「どうして朝が来るなんて信じてられるの?」
 太い枝の上、月を背にした硝子[チェシャ]はするりとそう、問いかけた。
 鈴を転がすような声。
 逆光の彼女は、薄い光を浴びて神々しくも見える。
「たとえば」
 すっと、透[す]けるように白く細い腕を伸ばして先を示す。
「あの径[みち]を進めば、太陽に出合うことなんて、なくなるかもしれないのに」
 獣[けもの]の遠吠[ぼ]えが森に響く。
「たとえばほら」
 見つめられる、透明な視線。
「あなたが歩いてきた途[みち]も、こんなにも頼りなく消えてしまうのに」
 するすると、生えてくる草木。
 あっという間に辺りはそれらに覆われる。
「どこへ進めばいいかもわからないのに」
 見上げる彼女は脆[もろ]くて壊[こわ]れそうで。
「ねぇ、どうして信じていられるの?」
 それは、薄いガラスのように儚[はかな]い存在で。
 僕は一歩、彼女へと足を進めた。
 足の裏には草を踏みつける感覚。
「それでも、信じられるよ」
 僕の声は、ゆっくり森に浸透して。
「どんな日でも夜明けは来るんだ。暁の女神が杖を振るうから。だから、逃げなくていいよ」
 そっと、右手を差し伸べた。
「かえろう」
 視線で彼女を捉[とら]えて告げる。
「わたしは<惑わす者>なのよ?」
 眉を寄せる硝子に、ゆっくりと笑みを返す。
「硝子は硝子だろう? 自分の心まで、惑わさなくていいよ。迷いの森[ここ]に、 いなくてもいいよ」
「………どうして。」
 ため息と共に出た小さな呟[つぶや]きは。
 それでも彼女の降参の証で。
 すっと、硝子は木から飛び降りた。
 きらりと落ちる彼女を僕は受け止めて。
「かえるけど、でも、忘れないで」
 見上げてくる彼女は、どこまでも透明で。
「忘れないよ」
 消えそうな彼女を腕に抱いて。
 僕らは、迷いの森から抜け出した。




To the another world.