ドアノブに手が触[ふ]れたその時。
「 !!」
バヂリと大きな音がして、指先に衝撃が走った。それと同時に部屋の電気が消える。
「痛…って何 !?」
くるりと振り向くと、窓の側に人影がゆらりと映っていた。
「ちょっと何よ。ここに特定のヤツっていなかったはずよ?」
内心冷や汗を流しながら対峙[たいじ]する。
手には提出するはずの書類のみ。対悪霊用の道具は今、手元にない。
(…出なきゃね)
逃げ出すタイミングを計ろうとしたその時、視界の端で何かが動いた。目をやると、参考書が数冊、 ふわりと浮き上がっている。
(ひょっとして社会科学習室で出たヤツって…)
嫌な予感が横切った瞬間、頭に強い衝撃を受けて、南の意識は深く沈んだ。
…誰かが自分を呼ぶ声を、耳にしながら。※
「…から、………ええ……」
遠くで声が聞こえて、南はぱちりと目を開けた。
タイルの敷かれたような天井と、蛍光灯が目に入る。
( !?)
状況がわからなくて、南はがばりと跳ね起きた。
途端に襲[おそ]われる頭の痛み。
「ういたたたた…って、何?」
「東都っ !?」
仕切られていたカーテンを開いて勢い良く顔を出したのは、部員の芦澤だった。
「…った、気がついて」
呟[つぶや]いて床にへたり込む。
「え、何? …ここ、保健室?」
わけのわからない南は首を動かして周りを見た。
白い床にベージュ色のカーテン。向こうには先生用の机と丸イス。
どうやらベットに寝かされていたらしい。
「あら、気がついたのね。よかったわ」
後ろから顔を出したのは保健室の主[あるじ]、宇野田[うのだ]先生だった。
丸眼鏡におばちゃんパーマのにこやかな先生である。
「あたし…?」
どうしてこんな所にいるのかわからず、南は眉をしかめた。
「芦澤、あたしどうしてここにいるの? 進路指導室にいたはずなんだけど…?」
「スマン」
南の声に立ち上がると、芦澤は手を合わせて頭を下げた。
「ちょっと、何?」
「ドアを開けた所に東都さんがいたんですってね」
宇野田先生が細い目をさらに細めてそう言った。
「え?」
「電気が消えてたから、まさかあそこに人がいるとは思わなかったんだ。スマン」
「えーと、つまり?」
「つまり、こういう事なんだが」
特殊波長測定機器で反応のあった部屋――――進路指導室に乗り込んだ所、 勢い良く開いたドアの前に南がいたため、頭にドアが激突したらしい。
「んで、コレが芦澤の所為[せい]って?」
ズキズキする頭を軽くさすって、南は芦澤を見上げた。
「スマン」と再び頭を下げる。
「まぁ、いーわ。にしても、よく救急車で運ばれなかったわね、あたし」
頭を打って倒れたのなら、病院へ直行になっていてもおかしくなさそうなのだが。
「ああ、レントゲンを撮らせてもらったけど、特に異常がなかったから。 それとも他に痛い所とかある? 東都さん」
(レントゲン !?)
にこやかにさらりと告げる宇野田先生に、南はびしりと固まった。
「えぇと…?」
「こう見えても、脳外科は得意分野なのよ。専門がその辺りでね」
にこやかに述べる宇野田先生に相づちを打ちながら、南の頭の中では、 『レントゲン』の言葉がぐるぐると回っていた。
(ここって高校よね。レントゲンってX線(放射線)よね。しかも脳断片って、 すんごい機械使うんじゃあ…)
「東都さん?」
「はいっ !?」
呼びかけられて、はたと我に返る。
「えーと、そう芦澤。進路指導室のヤツはどうなったの?」
「ああ。無事捕獲して浄化層に納めたぞ。アレが朝のヤツだったらしいな」
「そ。なら安心ね…って、もう5時半?」
何気なく目に入った時計に、南は驚いて声を上げた。
「あ―――。あたし、今日は帰るわ。頭痛くてちゃんと考えられそうもないし」
「ああ、東都さん、大きなたんこぶできてたものね」
宇野田先生に言われて頭に手をやると、なるほど大きなこぶができている。
(どうりで痛いはずね)
「なら俺、荷物取ってくるから。部室の鞄[かばん]だけでいいんだよな?」
「ん、そー。…お願いするわ」
「わかった」
短く了承を告げて、芦澤は保健室を出て行った。
「今の間だけでも、頭を冷やしておく?」
「いや、すぐだと思うし、いいです」
言うものの、痛みは続いていて、何か考えるのも億劫[おっくう]だ。
「無理はしないで、今日は安静にしてなさいね」
宇野田先生の声と共に、頭の後ろに冷やりとしたものが当てられた。
「それ、ケーキについてきた保冷剤だから、あげるわ。そんなものでもあった方がいいでしょう?」
確かに、冷たさが痛みを吸い取ってゆくのか、先程より少しマシになった感じがする。
「ありがとうございます」
「東都、鞄持って来たぞ」
声と共にドアが開き、芦澤が顔をのぞかせた。入口に鞄を置く。
「ありがと。先生、失礼しました」
「お大事ね」
手を振る宇野田先生に礼をして保健室を出ると、運動部の練習の声が風に乗って流れてきた。
「そういえば、あたし書類… !?」
ふと思い出し、南は足を止めた。
「書類? 倒れた時持ってたヤツか?」
「そうよ。どうしたの? アレ」
「あれなら、浜松が出しといてくれたはずだぞ」
のんびりした芦澤の答えに、南は肩の力を抜いた。
「あーよかった。顧問印までもらってたヤツだから、なくしたらどうしようかと思ったわ」
保冷剤を頭に当てたまま、芦澤を見上げる。
「それじゃ、あたし帰るから、後よろしくね」
「おう。…って、東都 !!」
「え?」
一歩踏み出したその足に、地面とは違う感触がして。
「うきゃあっ !?」
バランスを崩[くず]した南は後ろに倒れ込んだ。
硬[かた]い地面を覚悟して目を閉じたものの、予想外の緩やかな衝撃にみまわれた。
「 !?」
「大丈夫か?」
芦澤に抱きとめられるような形になった南は、慌てて体を起こした。
「うわゴメン。ありがと…って、テニスボール?」
少し先に黄色いテニスボールが転がっている。どうやらこれに足をとられたらしい。
「気をつけろよな」
「ん、ありがと。じゃね」
もらった保冷剤をぎゅっと握って、南は校門へと向かった。
だからそれを見届けた芦澤が呟[つぶや]いたひとことを南は知らない。
「役得…かな」
口許が微[かす]かに緩んでいたことも、早々にバスに乗った南が知ることはなかった。
The End.