カガイジュギョウ


 このカガイジュギョウの必修事項は
 オモイデです


 夏、真っ盛り。
 年々温度も不快指数も増す真夏。 年を取るにつれて子供の頃のような元気も、 純粋さも、時間さえも奪われ、ただ暑くて過ごしにくい季節でしかなくなっていた。
「あっちー!!」
「後ろで喚くなウルサイ」
「右に同じ…」
 冷房のない教室は窓を全開にしていても涼をもたらしてくれる訳でもなく、 ただ座っているだけでも汗が吹き出す『天然サウナ』だった。 窓を開けたことで蝉の鳴き声がよりいっそう大きく耳まで届き、 体感気温が余計に増しているような錯覚すら覚える。
 彼らは、一人は団扇を、一人は下敷きを、 そしてもう一人は扇子を仰ぎながら、汗ばんだ手でペンを握り、弄んでいた。 こんな状態で、集中出来るわけもない。
「おまえらとっととそのプリント終わらせろよ……付き合わされる俺の身にもなってみ?」
 教壇に直接座り込んだ――行儀悪いこと極まりないが――内野は差し棒を器用に手で回しながら 虚ろな目で呟いた。彼も完全に暑さに参っていた。
「うっちーが適当に教えてくれたらいーんじゃん。物理なんか出来なくても生きて行けるって!」
 下敷きで仰ぎながら頬杖をついて、浩太はそう反論した。 彼の斜め前に座り、団扇をせわしなく動かす毅(つよし)も言葉にはしなかったがその場で 深くうなずいていた。
「うっちーじゃなくて内野センセイサマと呼べ。……ま、 俺はお前らに答え教えてとんずらしてもいいんだけど? 休み明けの実力テストとか赤点続き3人組の進級問題とか考えなきゃ?」
「ダブらせたら教師も問題にされますからねえ……」
 浩太の前、毅の右隣に座り、一人高校生らしからず扇子をはためかせていた龍がそっぽを向いて独りごちる。 それを聞き咎め、内野は教壇から華麗に飛び降りると、3人の前に笑顔で歩み寄ってきた。
 今年新卒でこの高校に着任したの内野は年齢そのものも若かったが、 ティーシャツとチノパンツという格好のせいもあって 教師というよりどちらかというと生徒のように見える。教師らしい威厳は何処にも感じられなかった。
「アカサカ君ってほんと可愛げないよねー?他の科目は満点に近いのにどーして物理だけ白紙なのかなー?」
「先生の教え方が大変素晴らしいからじゃないですか?」
 パシリと扇子を閉じ、しれっと答えておいて、『赤阪』龍は嫌味なほどの笑顔で内野と顔を見合わせた。 その横で毅は後ろの浩太をこっそりと振り返る。
「この周りだけ一気に氷点下近くまで冷えた気がしねえ?」
「言えてる…」
 好き勝手言い合いながら、間近でにらみ合う――表面上は笑顔そのものだったが―― 教師と生徒を二人は見つめる。だが膠着状態に陥り進展しなさそうなことを悟ると、 浩太は短く息を吐いて割って入った。
「うっちー、進級の危機も大事だけど俺としてはヒトナツのバカンスがこーんなプリントで終わっちゃう方が辛いなー」
「そうそー。補習補習で全然遊べないんだもん」
 浩太の愚痴にのっかって、毅も挙手して発言する。 内野はようやく龍から目を離し、二人にむきなおってわざとらしく首を振った。
「そーれーはおまえらが他の科目も赤点ばっかで 通常補習でもわかんなくて特別補習まで受けてるからだろ?俺のせいじゃない」
「最初から解けるんだったら解いてるさ! 俺のせいでもねーよっ。こんなこと発見した奴が悪いんだー!」
 今にも泣き出しそうな勢いで、浩太は未だ解答欄が白紙のプリントの上に突っ伏する。 高校生らしからぬ浩太の仕草に、内野は思わず頭を押さえた。
「今年の俺たちの夏は補習を受けてろくに進歩もしなかったって思い出になるだけだ。諦めろ」
 今まで黙っていた龍は、妙に悟ったようなことを言って後ろの浩太の肩をポンポンと叩いた。 その龍の言葉に内野の眉間にはシワが刻まれる。
「んだよー。龍は物理だけじゃん!俺補習免れたの国語だけだぜ?」
「俺は英語平気だったけど古典ひっかかったしなー」
 浩太も毅も平然と、むしろ胸を張って言ったが、その内容はまったくもって自慢にならない。
「ああ。けどその代わり生徒会がね。会計の仕事だけじゃなくて 会長の仕事も副会長の仕事も回ってきてるから結局忙殺だ」
「あ、あはー」
 笑顔のままでスラスラと述べた龍に、生徒会長・浩太と生徒会副会長・毅は同じように愛想笑いをしてごまかす。 そんな3人のやり取りを見て、内野はぼりぼりと髪をかきむしった。
「…今年の生徒会コンビは問題山積みだな…」
「でも、俺たちを選んだのは生徒たちですから その期待に応えるべく夏休みが潰れてしまっても文句も言わず働くわけですよ」
「…………」
「勿論学生の本分は勉強だからこうして補習にもさぼらず来ますしね」
「…………」
「……というわけで、ずっと学校に来てたっていうのも立派な思い出になるよきっとそのうち」
 龍は最後に仲間二人を見返り、そう結論付けた。
 龍が並び立てた言葉に、内野はだあああああ、と奇声を上げて両手をオーバーに広げた。
「わーかーった。もーいい、そのプリントしまえっ。聞いててこっちが空しくなる」
 内野はそのまま諸手を上げて降参する。 それに黙って見ていた浩太と毅の二人は歓喜の声をあげ、龍はしてやったりと唇を歪めて微笑する。そそくさと プリントを鞄の中にしまいこみ、三人が三人とも即座に帰り支度を始める。
「……でも、単に補習失くすだけじゃ面白くないな……」
 そう独りごちると、やがて何かにひらめいた様に、内野は龍とよく似た笑みを浮かべた。
「課外授業してやる。ありがたく思え」
 本当に、本当に嬉しそうに笑ってから、内野はそう宣告した。


「うっちーって教師だよな、一応」
「…一応、そうだったと思う」
 私服姿の浩太と毅は、お互いそんなことを言いながら半ば呆れた様子でその場所に立っていた。
 日が陰り、夜も更けて幾分過ごしやすくなっている。 しかし熱帯夜という言葉に相応しい暑さはやはり二人の身体から水分を奪っていた。
「教師が夜中にこんな場所に生徒呼び出していーのか?」
「一応教師だけど、普通の教師じゃないからなあうっちーは…」
 本人がきいていたらあんまりな会話を繰り広げながら浩太と毅は 『こんな場所』――人気のない、整地された川原に来ていた。
 約束の時間は午後11時。あと5分もない。
「そいや龍は?こねーの?」
 自分のデジタルウォッチで時間を確認してから、 思い出したように浩太は問う。毅は軽く首を傾げた。
「課外授業って最後の最後までうっちーが言い張ってたから来るとは思うけど。 うっちーと犬猿の仲でも、なんだかんだ言って龍は真面目だし」
「あそこまで仲悪いと、見てて楽しいよな」
「仲が悪いっていうか……仲、良いと思えてくるから不思議だよなあ」
「そうそ。息合ってる感じがしてくるんだよな」
 二人が聞いていたら即刻否定する言葉の数々を並べ、二人は談笑している。約束の時間が 来たのにも気付かずに、二人は内野と龍のことを話して笑いあっていた。
 だから、最初の一撃に驚き慄き、混乱の極みに陥った。
 ひゅるるる、と音を立てて。
 それは円を描きながら、猛スピードで二人へと向かってきた。
「な、何?何だ?」
 浩太は抜群の運動神経で飛びのいて、瞬時のタイミングを逃さずにそれを上から踏みつける。さっさと 逃げた毅は浩太がそれを潰したのを確認してまた彼の隣へと戻ってくる。
「……ネズミ花火?」
 そう、毅が呟いたのもつかの間。
 第二撃が、二人の体をめがけて走り寄って来る。
「だあああああ!なんなんだよこれは!!」
 不規則な楕円を描くネズミ花火を避けつつ、浩太はそれを懸命に捕らえようと奮闘する。一方で 毅はその軌道から離れた所まで避難すると、周囲を見渡してそれを投げやった犯人を捜した。
 そして、毅は不自然にはみ出した頭と白いシャツを月光の下に見出した。
「うっちー!何やってんだよ!」
「え。うっちー?」
 待ち合わせ場所より5メートルほど離れた所に植えられている低木。そこに隠し切れない長身を小さく屈めた男の 体を見つけ、毅は叫んだ。2発目のネズミ花火の撃退にも成功した浩太は、毅の視線を追う。
「あっはっは。お前らの夏の思い出作りに協力してやる!」
 そう言って威勢良く立ち上がった内野の右手には山ほどのネズミ花火が、左手には一本のライターが握られていた。
「……教師、だよな?」
「……多分」
 浩太と毅は唖然として、意気揚々と笑う内野を見つめた。そうこうしているうちにも、内野は器用に 新しいネズミ花火に火をつけている。
「いっくぞー!今度は2発同時だ!」
「な、何考えてるんだよ!あぶねっ!」
 そう言って、内野は火をつけたネズミ花火を浩太と毅に向かって放つ。浩太が反駁するが、上手い具合に二つのネズミ花火は 一つずつ、それぞれ浩太と毅に向かって走り出した。
「こっちは武器ねーのに!卑怯!卑怯者!教師のクセに!」
 浩太は懸命にネズミ花火を踏み消そうと、ガンガンと足を下ろすが、毅はただ逃げ惑うばかりである。 内野はそんな二人を見て、花火とライターを持ったまま腰に手を当て、快活に笑った。
「隙を見せる方が悪いんだよ!ここは戦場だ!卑怯も教師も関係ねえ!」
「その通り」
 聞きなれた声が、内野よりさらに遠くから聞こえた。
「え?あ?うおっ!」
 内野が実に良いリアクションをして、飛び跳ねる。その直後、スパパパパンと小気味の良い 音を立てて何かが弾けた。
「こんなことだと思ったんだ。どうせ」
 そう言って立っているのは、呆れ顔の龍その人だった。浩太と毅はネズミ花火攻撃が途切れた隙に 救世主のもとへと駆け寄る。
「龍!てめ、爆竹はねーだろ爆竹は!」
「隙を見せる方が悪いんだろ?」
 完全にタメ口をききながら、龍はニヤリと笑った。そして、手に持っていた袋から大量の 爆竹と、2本のライターを取り出してそれぞれ浩太と毅に分け与える。『武器』を与えられ、 浩太にも毅にも自然と人の悪い笑みが浮かんだ。
「卑怯も教師も、関係ないんだよな?」
 ニッコリ笑って告げたそれは、龍の最後の駄目押しだった。

「うっちー、覚悟!」
 浩太がニッカリと笑う。
「だー!3対1はあり得ねーだろ!柴崎!平常点やるからこっち来い!」
 内野が叫んで往生際の悪い提案をする。
「え、マジで?行く行く!」
 『柴崎』毅がなびいて寝返って。
「毅、お前裏切るのか?俺が持って来た爆竹なのに?」
 龍はわざと厭味たらしく、非難する。
 
 爆竹の音。ネズミ花火の音。
 二つが入り混じって、奇妙な戦場が生まれる。
 走り回って、悲鳴をあげて、笑いあって。
 とても小さな火は、とても大きな歓声を呼び起こす。


 それは、夏に相応しい声(もの)。
 相応しい、格別の、思い出になる。


「はー、疲れた。汗びっしょりだな」
 お互い武器を使い果たしたのを確認して、内野はその場に座り込む。Tシャツの襟ぐりを掴み、上下させて 風を送り込む。空になった袋を下敷きに龍も同じように座ると、浩太も毅も続いて座り込んだ。浩太に至っては へたり込んだといった方が正しい。誰よりも走り回り、誰よりも大声を上げていたから無理もない。
「上総(かずさ)、俺が爆竹持ってくること最初っから想定してただろ……?」
「爆竹とは思わなかったけどな……。てか、普通爆竹人に向けようと思うか?」
「本当はロケット花火にしようと思ってたんだけど。数が揃わなかった」
「うわお前最低。マジ最低」
「従兄弟の我侭につき合わされる身にもなってほしいと思うけど?」
 言い合う内野と龍に、浩太も毅も声を上げて笑った。
 教師と生徒という関係になる以前から、従兄弟同士だというこの二人は年齢差はあれども深い親交があった。仲が良いのか悪いのか いまいち判別しがたいので、親交と一言に言ってしまっていいものかどうかは微妙ではあるが。
 ただ、良くも悪くもお互いを理解していることだけは確かである。
「うっちー、ホント、ガキみてえ」
 ぜーぜーと息をしながら、切れ切れに浩太が呟いた。毅も笑ってそれに同意する。ただ一人、 張本人の内野だけが不快な顔をした。
「お前らの思い出作りに一役買ってやったんだぜ?感謝しろよ」
「ていうか、いくら補習だのなんだので ロクに夏休み遊べないからって自分の思い出作りに俺達を利用しないでほしい」
 龍が溜息混じりに鋭い一言を投げかけると、図星だったのか内野はうっと言葉を詰まらせた。しばらく俯いて、 浩太と毅の爆笑を誘ってから、おもむろに立ち上がる。
「さーて、こっからが課外授業の本番だ」
 内野はよろめきながら最初に自分が居た低木まで歩み寄ると、月の下で何かを掲げた。
「そーじするぞ!立て立て!!」
 両手に二本ずつ、掴まれているのは紛れもない箒。
「……あれ、学校のヤツだろ……しかも、生徒会室の」
「……マジで、うっちーを教師にしてていいのか?」
「……今更訊くな、そんなこと」
 毅、浩太、龍、各々複雑な心境で呟いて陽気に箒を振るその人を眺めやる。
「……まあ、このままゴミ放っとくわけにはいかないし」
 最初に毅が頭をかきむしりながら、立ち上がる。
「物理の課外授業なんだから、物理の点上げてもらえるよな?掃除であげてもらえんなら、いいか」
 などとのんきに考えながら、流れ落ちる汗をそのままに、浩太がそれに続く。
「上総の後始末はいつも俺に回ってくんだよな……」
 長い長い溜息を吐きながら、最後に龍が重い腰を上げた。
 一本ずつ投げ寄越される箒をキャッチして、3人は打ち合わせするでもなく方々に散り、 花火以外のゴミも一緒にかき集め始めた。


 暑い、夏。
 子供の頃のようにいつもはしゃいで遊びまわる訳にはいかなくなっても。
 ――少しだけ、純粋な心に耳を傾けて。
 そうすれば、きっと特別な夏に出来るから。


(終)







残暑見舞いで頂きました。
「先生」だって元少年ですものね
コレを書かれた野木さんのサイトはこちらです。
ありがとうございますです


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