Key of Heart ―盗賊来栖―



 心の、鍵を
 盗んでも、良いですか?


 家の鍵を落としたのに気が付いたのは、夜中の3時を越えた頃だった。
「チッ……、しゃーねーな」
 この時間に帰っても、家には誰もいない―――否、どんな時間に帰っても、あの家に人がいることなんて、ほとんどない。
 父親は仕事で海外を飛びまくっているし。母親は知りもしない男の家を飛び回ってるし。姉貴は姉貴で、どっか遠い大学で自分勝手に生きてるはずだし。
「窓でも……ぶっ壊して入るか」
 口元ににじんだ血を手の甲で乱暴にぬぐいながら、少年は一人ぼやき、暗闇の中ぼんやりと光る自動販売機の前で立ち止まった。小銭を ポケットから探り当て、炭酸飲料のボタンを押す。
 ガコン
 落ちてきたジュースを拾い上げようと、身を屈める前に、何者かが自分の前に立ちはだかったのに気づき、少年は思わず身構えた。
 目の前に現れるまで、そこに人がいることなんて、まるで気づかなかった。
「コンバンハ」
 自動販売機のあかりと、点滅する街灯だけが、彼女を照らし出す。
 金色の長い髪に、碧色の目が、暗闇の中でもはっきりと映る。少年と変わらない背丈の美女が、ニッコリと微笑んで少年の前に、先ほど少年が 買ったはずのジュースを手渡した。
「……なんだよアンタ」
 それを受け取ってしまってから、少年は険しい表情でドスのきいた―――とはいえ、それはまだ少年の幼さが残っていたが―――声を出す。
 彼女は、ニッコリと微笑んで少年に向き直る。
「お困りのようですね」
 容姿とは似つかわしくない流暢な日本語で答えると、彼女は魔法のように自分の手に何かを取り出し、それを少年の前に示した。少年の視線は 、自ずと彼女の手に吸い寄せられる。
 手の上にあったのは、一本の、金色の鍵。
 それは現代の物ではなく、漫画に出てくるような、奇妙に曲がった鍵だった。
「これを差し上げましょう」
「……あ?」
 そんな鍵を貰って何になるのか。少年の疑問を読み取ったかのように、少女はふふふと笑って言葉を足した。
「これはどんな物でも開ける事ができる魔法の鍵。そう、貴方の家でも、貴方が開けたいと思うものなら、全て」
 彼女は笑いながら少年を見つめる。少年は、鍵から彼女の顔に目を移し、その表情をジッと見据える。
 イカれてる。
 そう判断して、少年は彼女の横を素通りしようとした。
「例えばこうやって、貴方の心も」
 彼女は通り抜けようとした少年の胸元に、鍵の先端を素早く押し当てた。
「何を―――!」
 カッとなって、彼女をにらみ返した、その時に。
 少年は自分の異変に気が付いた。
『寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい』
「―――ヤメロっ!!!」
 延々と自分の頭の中で流れつづけるフレーズに、少年は思わず缶ジュースを落とし、頭を押さえて叫んでいた。大量の汗が噴出し、彼の全身から流れ落ちる。
「それを、口に出させることもできますよ……」
 彼女は、少年の胸に差し当てた鍵を、クルリ、とまるで本当に鍵穴に差し込んだが如く、回した。
「さみ、しい……」
 少年の口から、自分の意思とは反した言葉が漏れ落ちる。
 閉ざされた心の闇が。
 噴出する。
 一筋の涙とともに。
「これは貴方の物です」
 彼女は少年の胸から鍵を放すと、それを彼のポケットに差し込んだ。
「どう使うかは貴方の自由。私は……」
 彼女は少年の頬にそっと手を触れた。
 真夏の夜にもかかわらず、あまりにも冷たいその手に少年はゾッとする。
「貴方の幸せを、願っているだけ」
 彼女は、それだけを言い残し、消えた。
 現れた時と同じように、音もなく、消え去った。


 一人しか住まないにしては豪勢すぎる家の前まで戻ってきた少年―――洋司は、茫然とその玄関で立ち尽くした。
「あい、た……」
 自分の手の中の、金色の鍵に目を落とす。
 気味が悪いと、投げ捨てることも出来た。
 だが、家の鍵で―――試して、みたくなった。
 本当に、何でも開けることができるのかと。
 洋司は、恐ろしくなった。慌てて我に返り、玄関の鍵を閉めると、まずリビングに飛び込んだ。リビングには、テレビがある。電灯も つけずに手探りでそれをつけると、夏、色んなテレビ局が競ってする24時間番組の中で大勢の芸能人が深夜にもかかわらず、生放送で笑っている。
(たとえば、こいつの……)
 洋司は、コツリとテレビ画面に鍵の先を押し当てる。画面はすぐさま移り変わっていくが、対象は誰でも良かった。
(心の中の言葉を、聞きたい……)
 洋司は、鍵を、先ほど彼女が自分にした時と同じように、クルリと回す。
 回した時、鍵の先にいたのは、新人のお笑い芸人だった。
『どうせ俺なんかほっとんど映んないのによ〜こんな夜中にやってらんねえよ』
 テレビのスピーカーから、二重音声で大きな音が漏れる。
 洋司は、思わずテレビから飛び退った。鍵もテレビから離れ、画面も一瞬だけ映った芸人から、司会者にまた切り替えられ、声は、そこで 途切れた。
(なんだよ、これ……)
 洋司はまた、震える手の中の鍵を見る。けれど、それを投げ出すことはやはり出来なかった。
 これさえあれば、誰の心でも知ることができる。
 そう―――誰の心でも―――
「ダメだよ」
 パチリ、と電気がつく。洋司は聞きなれない声に、愕然として後ろを振り返る。
 背の高い、青年。彼の顔には、不釣合いなほどの笑みがこぼれていた。
(鍵は、閉めたはず―――?!)
 あまりの驚きに、ケンカ慣れして度胸も据わっていると自負していたはずの洋司も動けなかった。もともとの動揺も重なって、彼にそうさせた。
「その鍵にはね、『呪縛』がこめられているから」
 青年はゆっくりと洋司に近づき、腰を抜かしている彼の目の前にしゃがみこんだ。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。君にそれを渡したヒトよりもずっと健全だから」
 青年はニッコリと笑って、笑えないことを言う。
「アンタ……あの女のこと、知ってるのか?」
 それでも根性で声が震えることだけは抑えて、洋司は問う。うん?と青年は首をかしげるとしゃがんだ膝の上に手を置き、ちょっと考え込む。そして、 やはり笑顔で、言った。
「直接お目にかかったことはないけれど、知っているといえば知ってるかな」
 青年は膝に置いていた手をひょいと伸ばすと、力をこめて握っていたはずの洋司の手からいとも簡単に鍵を抜き出した。
「――――あっ!」
 洋司は思わず、それを目で追う。そして、反射的に手を伸ばした。だが、青年が立ち上がったことで奪回は阻まれる。
「こんなもの持ってるとねえ、誰も信じられなくなっちゃうよ」
 器用にクルクルと鍵を回しながら、青年は口元でニヤッと笑い、下から見上げる洋司に言う。
 ヒトの心を覗くうちに。
 覗かなければ、ヒトを信じられなくなる。
 心を覗いて確認しなければ、生きていけなくなる。
「俺は……俺は、誰も信用なんかしねえ!!」
 家族も、不良(ナカマ)も、誰も。
 信じてなんか、いられない。
 信じる価値なんて、ないものだからだ。
 信じる意味なんて、ないものだから……。
「じゃあ、手始めに俺を信じてみてよ」
 青年は何でもないことかのように、そんな提案をした。
「こんな鍵なんてなくても、君は自分で鍵を開けられる」
 青年の笑い顔のせいで、それは随分と優しい言葉に聞こえる。
 優しくて、温かい、言葉。
 ―――洋司には、なかったもの。
 それは……安らぎ。
 自分を、認めてくれる、言葉。
「心の鍵は誰でも持ってる。でもそれを開けるのは、こんなものじゃなくて、やっぱりヒトの心なんだ」
「……俺はっ!!」
 洋司はそれ以上青年の満面の笑みを見ることが出来なくて、床に両手をついてうつむいた。そんな洋司の前に、青年がまた屈み込んだ ことが気配で知れる。
(俺には……)
 誰も、いなかった。
 心の鍵を開けてくれるヒトなんて、誰も、いなかった。
 独りだったから。ずっと。
「……寂しかったんだね」
 ポタリ、と落ちた涙を見て、青年は洋司の頭に軽く手を置いた。
 それは、彼女とは違う、熱のこもったものだった。
 温かい、ヒトの、体温を感じられるものだった。
「寂しくなんか……っ」
「寂しいなら、俺を呼べば良いよ」
 洋司の強がりを遮って、青年は言う。顔は見えないけれど、きっと、見る者の心に自然と入り込んでくる、あの笑みを浮かべながら。
「それで君の呪縛が盗めるなら、俺は、嬉しいから」
 青年は洋司から手を放すと、立ち上がってしっかりと鍵を自分のポケットにしまいこむ。洋司は顔も上げられずに、黙って青年の言葉を聞いていた。
 『呪縛』とは何なのか、何が『呪縛』なのか、洋司にはわからない。
 だが―――確かに、自分の心から、何かが溶け出していることに洋司は気づいていた。
「俺は来栖。……君は?」
 来栖は、鍵を入れたポケットから紙とペンを取り出し、何かを書き示す。
「……洋司」
 洋司は、ボソリと、答えた。来栖は、うん、と、意味のわからない相槌を返す。
「じゃあ、また、だね。洋司」
 その声が聞こえた頃には。
 その声が聞こえ、洋司がハッと顔を上げた頃には。
 来栖の姿は、そこにはなかった。


「……呼んでよったって」
 バカみたいに泣いた目をこすり、鼻をすすり上げると、洋司は軽く唇を噛んだ。
(何も知らないのに。お前のことなんか)
 知っているのは、その笑顔と、言葉の温かさだけ。
「そうやって、また……」
 洋司に言い切れない不安と絶望がのしかかる。
 皆は、俺を置いていくんだ。
 そうして、また、独りになる。
 鍵を開けてくれるヒトも、鍵を開けるヒトも、俺には、誰もいなくなる……。
(……なんだ?)
 目の前に落ちていた紙に気がつくまでには、多くの時間がかかった。洋司はそれを拾い上げ、尖った目を丸くする。
『でぃあーようじ』
 まるで、ガキみたいな、女みたいな、丸っこい字で。
 一枚の紙に書き殴られていたのは、090から始まる、乱暴な数字の羅列だった。


「ちゃんと鍵、閉めといてあげてね」
 来栖は豪邸の玄関から出てくると、その庭先で待っていた小さな少女に向かって声をかけた。
「アフターケアもバッチリにしとかなきゃ」
「アフターケアが聞いて呆れるくらいのお人よしね」
 金髪碧眼の少女はそう毒づきながらも、開けた時と同じようにきちんと鍵をかけ、来栖に向き直る。
「ドールは俺の心の鍵、開けてくれる?」
 少女―――『ドール』は、怪訝な顔をして来栖を見上げると、やがて視線をそらし、長いため息をついた。
「自分と同じような人間見つけたからって喜んでるんじゃないわよ」
 ドールは再度毒づくと、踵を返し、家から離れる。来栖はその後ろ姿に、笑い声を上げながら彼女のあとを追う。
「俺なんかと一緒にしたら、洋司が可哀想だよ」
 大股でドールに並んで、来栖は頭の後ろで手を組み合わせ、明け始めた空を見上げながら呟いた。
「洋司には明るい未来が待っているんだからネ」


 心の鍵を、開けましょう。
 それが、貴方の幸せになるのなら。


 ―――貴方の不幸、盗みに行きます。


《終》







野木さんの所で12321hitを踏みまして、で、キリ番ではなかったのですが、 正規キリ番の12345hitの申告者さんがいらっしゃらなかったため、 12345hit代リクということでリクエストさせて頂いたものです。
私がお願いしたお題は『鍵』。
どんな味付けをされるのかと楽しみにしてましたら、このようなものを頂いてしまいましたv
来栖、むちゃむちゃ格好良いですよねv このような話を頂けて幸せですv
ありがとうございましたーvvv

これを書かれた野木さんのサイトは こちらです。


TOP   CLOSE   NOVELS   MAIKA