ハネの家とシャナの家のちょうど真ん中、街のメインストリートの端に1軒の古本屋さんがある。屋号は「古書肆 如月」。間口2軒ほどの店内には商品の本が壁にしつらえられた本棚にところ狭しと並べられ、それと同じくらいたくさんの骨董品があちらこちらに陳列してある。それらの骨董品も店主の如月さんの気まぐれな時価で売られている商品だ。遠い異国の飛行船の模型やペンシルロケット、古地図にもう失われてしまった文字で書かれた海賊の航海日誌など、「古書肆 如月」の骨董品はハネやシャナにとってはまさに《イケてる》ものばかり。おかげで2人はしょっちゅう如月さんのところを訪れては、それらの骨董に魅せられているのだった。
 しかしこどもの2人がそれらを買えるのはお小遣いをもらえる月のはじめだけである。1月に1度。ハネとシャナのささやかな贅沢が「古書肆 如月」での買い物だ。
 今月も2人はお小遣い日の1日に、学校帰りに「古書肆 如月」に寄った。店主の如月さんはいつもと同じように着流し姿で店の奥の座卓に何やら古めかしい本を開いていたが、2人が入るとすぐに本を閉じて顔を上げた。
「いらっしゃい。今日は暑いですね。2人ともアイスレモンティでもいかがですか?」
「ありがとうございます」
「あ、俺はミルクティでお願いします」
 如月さんはにっこりと微笑んで、「はいはい」と言って奥に入って行った。
 ハネとシャナは2人でさっそく本棚に並んだ骨董品を眺めて回ることにした。
 つい3日前に来たばかりだから、商品にそれほどの変化は無かった。ただ、ハネがずっと目をつけていたオペラグラスは売れてしまっていた。
「ハネの欲しがってたの無くなってるね」
「うん。あれで覗いてみると世界が真っ青に見えるのが、海のなかにいるみたいで気に入ってたんだけどな」
「仕方ないね」
「うん、仕方ないね」
 2人がさらに見て回ってくるりと店内を1周したところで、如月さんがグラスを2つお盆にのせて奥から出てきた。カフェみたいにグラスにレモンの輪切りが添えてあるのがとても涼しげだ。
「さあ、どうぞ」
 如月さんは2人にそれぞれグラスを手渡して、元いた座卓の向こうに腰を下ろした。
「何かお気に召したものはありましたか」
 如月さんは座卓の上にあった湯のみを手に取って、つるりとひと撫でして訊いた。この人の場合、商談がそうは聞こえないのが不思議だとハネはいつも思う。またそこがハネの気に入っていたりするのだけれど。
「入り口の右の棚にハネ君の気に入っていたオペラグラスがあったでしょう。取っておいてあげたかったんですけれど、どうしてもとおっしゃられて手放してしまいました。すみません」
「一体どんな人があれを買って行ったんですか、如月さん」
 ハネが興味をそそられて訊くと、如月さんはふふふと笑って答えた。
「イルカです」
「「イルカ?」」
 ハネとシャナがそろって首をかしげると、如月さんはさらに楽しそうに続けた。
「水族園のイルカたちがね、海を思い出すためにあれが欲しいって買って行ったんです。これは断れないでしょう」
 ハネは想像してみた。水族園なら何度も行ったことがあるから、イルカショーのプールはすぐに思い浮かべられる。そのなかで悠々と泳ぎながら、オペラグラスを覗くイルカたち。滑稽だけれどとても愛らしい姿だった。
「それは断れないね」
 シャナも想像していたのか、クスクスと笑いながら言った。ハネも一緒にクスクスと笑い、如月さんの淹れてくれたアイスレモンティを飲んだ。
 如月さんも2人と一緒になって微笑んでいたが、ふと笑いを納めて立ちあがった。突然の行動にハネとシャナも笑うのを止めて、如月さんを目で追った。如月さんは店に下りると左の本棚の上のほうから何か取って戻ってきた。
「おわびというわけではありませんけど、これなんかいかがですか」
 差し出された如月さんの大きな手にのっていたのは、小さな木箱だった。シャナが受けとってなかを開くと、一見、砂時計のようなものと線香花火が入っていた。形はまるっきり砂時計なのだが、ひょうたん型のガラスのなかには砂ではなく磁石のようなものが中心の細いところに詰まっている。
「砂時計、じゃないよね」
「うん、あ、箱の裏に何か書いてある……晴、雨香?」
「晴れと雨の匂いのお香ってことかなあ」
「そうです。このお香は晴れた日に焚くと雨の香りが、雨の日なら晴れの香りがするんです。今日は快晴ですから雨の匂いがするはずですよ。やってみますか」
 如月さんは線香花火を手に取ると、着物の袖からマッチを出して火を点けた。火はじわじわと明るくなりやがて激しく火花を散らせ始めたので、如月さんは本を庇うように手をかざした。そして火花が落ちつき、花火の先に朱い玉ができると、それを晴雨香の上に開いた7つの穴のうち、中心の一番大きな穴から中に落とした。
「あ……」
 火の玉は晴雨香のガラスの中で磁石のような香の上に落ちて、ちかちかとまた小さな火花をいくつか散らせ始めた。
 ちかちかちかちか。
 線香花火に見入っているうちに、気がつけば辺りは雨の匂いに包まれていた。むっとするような木々や風の匂いが小さなガラスの香壷から立ち上る。
「すごい、本当に雨の匂いだ!」
 シャナが嬉しそうに声を上げて、晴雨香を手に取って目の高さまで持ち上げた。それでも中の線香花火は消えずにちかちかと頑張っている。
「ハネ、今月はこれにしよう。俺、これが良い。キレイだし、面白しね」
 もちろんハネに反対する気はなかった。シャナが言い出さなければ、自分が言い出していたに違いない。
「そうしよう。もうすぐまた秋雨が降るからきっと役に立つよ」
「そうだね。これを持って、お月見もしよう。雨の匂いをかいでお月見なんてなかなかできるものじゃないよ。如月さん、これいくらですか」
 シャナが大事そうに両手で包み込んで如月さんに差し出すと、如月さんはちょうど2人のお小遣いの半分の値段を言った。いつもそうなのだ。如月さんはハネたちが何を買っても、この金額しかいわない。きっと骨董品は高いに違いないのに。
 それでも2人は本当の値段を言われたら買うこともできないので、悪いとは思いつつ言われた通りの金額を払う。如月さんは少しも厭そうな顔をせずに商品を丁寧に外国の新聞で包んで渡してくれる。この包装紙も2人のお気に入りだ。
 今日も2人がお金を払うと、如月さんは晴雨香のなかの線香花火を消して、木箱に戻し、きちんと包装して手渡してくれた。
「「ありがとうございます」」
 2人がぺこりと頭を下げて受け取ると、如月さんも同じように頭を下げた。
「ありがとうございました。またのご来店をおまちしております」

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