後編

 店を出た二人は地下鉄に乗って《学園都市》に向かった。学園都市には名前の通り沢山の大学や高校があり、そのうちの一つである外国語大学にハネの一番上の兄、コウノが通っている。2人は今日の夕食をコウノととる約束をしていた。約束の5時まではまだ時間があったけれど、2人は顔見知りのM教授のところでゆっくりするつもりで大学のキャンパスに入った。
 M教授の研究室はキャンパスの入り口にある第1研究棟の8階にある。2人は薄暗いエントランスからエレベータで8階まで上がって、M教授の研究室の前に立った。M教授は空の研究をしていて、研究室の扉には空に浮かんでいる大地の地図が張ってある。ハネとシャナがいつか必ず探しに行こうとこっそり約束している大地。ハネがその探検に思いを馳せているうちにいつも内側から開かれる扉が今日はいくら待っても開かない。
「どうしたんだろう。いないのかな」
 研究室の中の灯かりは点いている。ハネはドアに付いている郵便受けから中を覗いてみた。中はがらんとしていて、いつもM教授が座っている椅子には開きっぱなしの本だけがあった。
「いないよ、シャナ。どうしようか」
「きっとすぐに戻ってくるよ。待っていよう――そうだ!」
シャナが声をあげた途端、ハネもシャナが何を思いついたのかすぐにわかった。背中のカバンでわずかな重みを発してハネを幸せな気分にしていた、それをすぐに引っ張り出してハネは外国の新聞を丁寧に剥がした。箱を開いて、そっと晴雨香を取り出す。晴雨香は薄暗い廊下でもキラキラと光った。ハネが慎重にフタを開こうと手を掛けたのを、シャナが止めた。
「せっかくだから外に出よう」
 それはハネにはとても良いことに思えた。太陽の香りのする外のほうがずっと雨のにおいも強いに違いない。開けたままにしていた新聞紙ごと抱えて、ハネとシャナは非常階段へと出た。ドアを開いた途端、強い風が秋の始めのくん、とした香りを運んでくる。それに逆らうように外にでると、さっと視界がひらけて、ハネたちの前に学園都市のブロックで作ったような街並みと丘のつらなりが現れた。遠くには山を越えた先にある西神中央が蜃気楼のように亡羊と見える。それらをくるりと包むように底のない空があった。
「うわーうわー!今日は良く見えるね」
「秋だから靄もないしね。さ、ハネ」
 シャナが出した手にハネは線香花火を乗せる。シャナは薄荷煙草のためにいつも持っているマッチをポケットから出して、器用に片手で火を点けた。リンの酩酊を呼ぶような香りがして、線香花火に火が点いた。
 小さな朱い火が線香花火の先でしばらく戸惑うように揺れてから、火花がパチパチと散り始めた。すぐにそれは収まって、今度は線香花火の先に血豆のような火の玉ができた。シャナはそれを慎重に持ち上げて、ハネの持っていた晴雨香の中にか科学者のような手つきでポトリと落とした。火の玉は中でわずかにくすぶってから、また火花を散らして輝く。
チカチカチカチカ。
 ころころと転がりながら火花を散らしている線香花火を見ているうちに、ハネとシャナは雨の香りが自分達を包んでいることに気付いた。しっとりとした雨の香りとカクテルみたいに真っ青な空。そのアンバランスな取り合わせにハネとシャナはくすくすと2人で笑いあった。
「素敵だね。こんなのきっと兄さんもM教授も知らないよね」
「知らないだろうね」
 ハネは嬉しくなって、晴雨香を2人の目の高さまで持ち上げて眺めてみた。チカチカと相変わらず線香花火がガラスの中で頑張っている。
「あれ。ハネ、ちょっと見せてくれ」
 ハネがじっくりと眺めようとゆっくりと晴雨香を回し始めたところで、シャナがハネの手から晴雨香を取り上げた。それがあまりに急だったせいで、中の線香花火がほろりと崩れて消えた。ハネは少しむっとして、
「いったいどうしたって言うんだい」
とシャナに訊いた。シャナはそんなハネに気付いていないようで、くるりと1度自分の手の中で晴雨香を回して見てから、「なるほどね」とうなずいた。
「どうしたっていうんだい」
 ハネはもう1度聞いてみた。するとシャナはようやくハネに向き直った。
「ハネ、面白いことが書いてあるよ」
 《面白いこと》と言われて少し怒りを納めたハネはシャナに促されるがままに、晴雨香の上部を見た。そこには花柄のように7つの穴が開いているだけである。このうちの真ん中の大きな穴は線香花火を落とす穴だということはハネも知っていた。
「これが何なんだい」
「よく見てごらんよ。ほらここ」
 シャナはすっと指をすべらせて晴雨香の側面を指した。そこには小さな文字のようなものが書いてあった。
「えっ……と、R、AI、NBOW?ああ、《RAINBOW》!」
「そうさ、これはきっとこうするんだと思うんだ」
 シャナは柵の向こうの空間に向かって晴雨香を逆さに向けてさっさっと2度ほど振りかけた。先ほどの穴から漏れた灰が舞って、すっとそこに小さな虹がかかる。
「すごい!」
 ハネが喜んで手を叩くと、シャナはまた2度3度と晴雨香を振って虹を掛けた。
「虹までだせるなんて、まるで神様みたいだ」
 シャナは灰がなくなるまで何度も晴雨香を振って虹を咲かせた。快晴の秋空にいくつもの七色の橋がかかっては消えていくのは魔法のようですっかり2人はその光景に魅入ってしまっていて、後ろのドアが開いたときには本当に驚いて声もだせなかった。
「ああ、これはすごいな」
 M教授が身体を半分だけ外に出して、空にいくつもかかった七色の橋を見て言った。教授はしばらくじっとその光景を眺めていたが、ふと虹のうちの一つに手を差し入れて、にっこりと笑った。
「こうすると本当に空に触れられたみたいだね」
 確かにそういうM教授の手は空に手錠を掛けられているように見えて、2人も同じように手を差し入れてみた。真っ青な空の七色の手錠。ハネはそれに自ら捕らわれて、ふふふと微笑んだ。
「みんな空につかまっちゃったね」
 空の囚人たちは顔を見合わせてまた微笑んだ。

おわり

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またキリリク頂いてしまいましたv
しかもハネとシャナ!!(注:ハネは玻音ではありません) ごっつ可愛いですvv
ありがとうございます。ああ、本当に頭が上がりません。
これを書かれた椎楠 緋吾さんのサイトはこちら。(←閉鎖されました)



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