おかしな夜
「甘いものはお好き?」
そう言って差し出されたトレイの上には、透明な砂糖のまぶされた、赤いゼリィが乗っていた。
ゼリィといっても冷たく冷やされたゼリーではない。常温で口に入れる、 あの少し固[かた]めな、ねちゃりとした砂糖菓子だ。
喫茶店特有のオレンジ色のランプに照らされたそれは、飾り模様の入った小皿の上で、 小刻みに明かりを反射した。
「あ、ああ。どうも」
言ってそれを手でつかみ、半分口へと放り込む。
噛み千切ったそれは甘く、懐かしい味がした。
出された飲み物を一口すすり、残りの半分も口へ入れると、 手先についた砂糖をぺろりと舐[な]める。
水飴[みずあめ]の、懐かしい甘さ。けれどそれだけではない、どこか鼻の通るような味がする。
その様子をちろりと見て、彼女は口の端を持ち上げた。
「こんな日に、道に迷った人なんて、太らせて食べてしまおうかしら?」
「何だそりゃ?」
冗談めかして告げた彼女は、あら? と首を傾[かし]げた。
「そういう童話があるのでしょう? お菓子の家の魔女の話」
「お菓子の家? 『ヘンゼルとグレーテル』か?」
お菓子の家の出てくる童話など、それぐらいしか知らない。
「そんな題名だったかしら?」
カウンタ越しに立つ彼女は、拭[ふ]いた皿を戻しながらうそぶいた。
閉店の時間は過ぎていたのだろう。左奥の、テーブル席の明かりは消えている。
「だって、ねぇ」
知っているかしら? と彼女は人の悪い笑みを浮かべた。
「今日は、魔法使いの祭典なのよ?」
軽く告げてエプロンをとる。
そのまま、ランプの加減で明るく映るにんじん色の髪もほどくと、 どこからか黒のケープを取り出し、くるりと肩にかけた。
「おいっ…!?」
客を置いてどこかへ行かれるのかと声をかけたその瞬間、気がつくと彼女の指が鼻先にあった。
「良い夢を。いつかの子供さん」
くらり、と視界が揺れて、唐突[とうとつ]に強い睡魔[すいま]に襲われる。
ただ、笑んだ瞳の深い緑だけが、記憶の欠片[かけら]に残った。
ふぁさり。
彼女が手にしていた大き目の布を肩からかけられる。
「外は寒いのだから、薄着では風邪を引いてしまうわ」
しゃがんで目線を合わせると、大きな安全ピンで合わせを留[と]めてくれた。
「行きましょう」
にんじん色の髪の彼女は、そう言って扉を開けた。
ドアベルの乾いた音と共に冷たい夜気にさらされて、一瞬身をすくめる。 ひやりと纏[まと]いつく空気に混じるのは、かすかな潮の匂い。
鍵を閉めた彼女は、どこからか1本の箒[ほうき]を取り出し、にっこりと笑んで告げた。
「『こちら』の魔女はこれに乗るんですってね」
手招きに誘われて彼女の前に座ると、頭の上から楽しげな声が降って来た。
「さあ、行きましょう。しっかり掴[つか]まっていてね」
「どこへ?」
見上げると彼女は、にっこりと微笑んだ。
「言ったでしょう? 『今日は魔法使いの祭典だ』って。もちろん、祭典の会場へ」
その言葉と共に、彼女は視線を斜[なな]め上へと向けた。ぐっと持ち上げられる感覚と共に、 足が宙に浮く。
「うわ」
街灯や建物の明かりが、足の下で光る。
少し冷たい風を頬[ほお]で切って、箒は夜空を進んで行った。
彼女に手を引かれて石畳[いしだたみ]の上を歩く。
人が多くて、あちこちで笑い声が上がっている。
頭の上には、ぼんやりと光る明かりが宙にふんわりと浮かんでいた。
飲み物を手に話す人々。ペットを連れている人も多い。
「さわら」
彼女が声をかけたのは、長くうねる髪の女の人だった。それは、暗い中でも印象的で、 強い金の光を集めたような色をしている。
「遅かったわね、玻音[はね]。…何? この子」
こちらに注意を向けられて、思わず半歩後ずさった。
「かわいいでしょう? 迷子さんなのですって。うちに来たから、連れて来てみたの」
ね? と首をかしげられる。
金色の女の人の視線に、彼女の手をぎゅっと握[にぎ]った。
「ふーん?」
訝[いぶか]しげな視線は、けれどあっけなく緩[ゆる]んで、口の端[は]に笑みがのせられた。
「ま、いいわ。こっちは子供の祭りでもあるんでしょう?」
せっかくだから、楽しんでみれば?
言って女の人は、ウインクをひとつくれた。
ざわめく人とぼんやりとした明かり。
少し先では、明るい音楽に合わせて水の踊[おど]りが催[もよお]されていた。
「はい」
差し出されたのは、大きな綿菓子[わたがし]だった。
ふわふわふとしたそれは、虹色に色づいている。
「いいの?」
びっくりして見上げると、彼女の笑顔に出会った。
「ええ。ここにあるものは、好きに食べていいのよ」
長いテーブルに並ぶ料理はきれいで。でも、 それよりも銀のプレートに盛られたお菓子がさっきからずっと気になっていた。
何色あるのかわからないくらいのカラフルなビーンズ。
チョコレートのかかったビスケット。ポテトのチップスに果物まで。
綿菓子を食べ終えると、それらへと手をのばす。
どれも外れなんてなくて、美味[おい]しくて。温かいクレープにかぶりつくと、 甘い南の国のフルーツが中に巻かれていた。 こんなにたくさん甘いものを食べたのは久しぶりで。
りんごのジュースをもらって、ほぅ、と息をつくと、 見上げた彼女は紅[あか]い飲み物を口にしていた。
「なぁに? それ」
「これ? ワインよ。とっておきなのですって」
あんまり美味しそうに飲むから。
「ちょうだい」
ねだってみたら、彼女はあら? と小首を傾[かし]げた。
一口[ひとくち]だけね、と手渡されたグラスは、力を入れると割れそうで、そっと、 でも落とさないように気をつけて持つ。
たぷりと揺れるそれをそうっと一口、口に含んだ。
「☆%!$Я*И〜?」
びっくりしすぎてごくんと飲み込んだけれど。
「あらあら、大丈夫?」
けほけほと噎[む]せる背中をさすってくれて。
「…おいしくない。」
涙目で言うと、彼女は一瞬きょとりとして。
「ま、いつかね」
言ってにっこりと微笑まれた。
花火が上がって、周りのざわめきがよりいっそう大きくなった時。
「おいでなさい」
手を引かれて連れて行かれたのは、ざわめきから少し離れた場所[ところ]。
「あの花火が終われば、祭典はお終いなの。だから、今日しか使えない、 今日だから使える魔法[プレゼント]をあげましょう」
今日は特別な日なのよ? と彼女は言った。
「両手を出して」
手のひらを上にして出した手の上に、彼女の両手がかざされる。
歌うように、彼女は知らない言葉を紡[つむ]いで。
「うわ」
生まれたのは、光。
手の上で、きらきらと眩[まぶ]しいほどに輝[かがや]く。
予想外の贈り物[プレゼント]はすごくきれいで、夢中になって見入っていた。
「それは、貴方[あなた]の『星』」
覚えていて、と彼女は言った。
「貴方の『星』は、ずっと貴方と共に在[あ]るから」
消えたりしないから、と。
そして。
「おやすみなさい」
最後の花火の音と共に、彼女はそう、告げた。
(ん……)
居心地[いごこち]の良い体勢[たいせい]をとろうと、身体[からだ]をよじる。
妙[みょう]に硬[かた]い感覚。足も、膝[ひざ]がずっと曲がっているような……?
「あ゛……?」
目覚めたのは、ベンチの上だった。
どうやら駅の待合所らしい。
どうして自分がここにいるのか状況が把握できなくて、起き上がったまま記憶をたどる。
あれは、夢だったのだろうか?
子供になって、魔法使いの祭典に行って。
けれど夢にしてはやけにリアルな……。
ふと、何かを握[にぎ]っていた手を開く。
きらり、と何かが光って消えた。
頭の中を掠[かす]めるのは。
(『星』…?)
彼女にもらった?
『消えたりしないから』
耳に残る、彼女の声。
何故[なぜ]か、オレンジの光の下で食べたはずの奇妙なゼリィの味がまだ、 残っている気がした。
The End.
あとがき…らしきもの。
3年越しですか。…ですか(謎)?
やっと書けました。ハロウィン企画話。
ハロウィンらしくないですが、でも気持ちはハロウィンで。
ウチの子たちで魔女といえばさわらと玻音さんッ。
とかいうことで、「Double×2」関連話? です。
玻音さんが明るいので、 時間的にはきっと「Double×2」終了後かと。
ゼリィ。
雪山は、あまり常温ゼリィは好きな方ではありません。どちらかと言うと、 スプーンで食べる冷やしたゼリーの方が好みです。
あ、でもヨーグルトと比べるとヨーグルトのが好きかもです。
アロエヨーグルト、美味しいですよねv
今回ちょっと悔しかったのが、「掴まる」の漢字。
つくりの『国』の字が『國』の方が好きなのですが、メモ帳で表示できず(涙)。
紙媒体なら、絶対旧字にしてますわッ。
そして今回の挑戦は、一人称のない一人称話。
無茶なものに取り組みました(←何もそんなモノに取り組まなくても…)。
だって、一人称を出したくなかったんですもの。
何はともあれ、魔力の一番強まる夜。夢のような体験はできましたか?
ではまたお目にかかれることを祈って。
2005.10
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