ここにいる意味を考えたりはしない。
 ここにいるのは自分の望みで
 それ以外の理由は全て付けたしにしか過ぎなくて
 ただ自分はここにいる、と
 そう、言いたかった。
 そう、知って欲しかった。



巡ル想ヒ



 こんなのは別に今に始まったことじゃない。
 灯(あかり)は心の中でまたか、と嘆息しながら、うっすらと光る街灯の下で 目の前にあるモノと対峙した。
 決して目を反らさずに。弱みを見せずに。灯は真っ直ぐに、相対する。
 慣れというものは恐ろしいと思う。こうやって対応の仕方を知っている自分、それについて さして疑問に思わなくなった自分。 頭で考えるよりも心で感じるよりも先に、体が覚えてしまったからだ。
 恐怖はない。
 ただ、面倒だとは思わないでもないけれど。
「……俺に、何を言いに来たんだ」
 静かに、けれど確固たる意志を持って、灯は尋ねる。
「聞いてやるから、言ってみろ」
 横柄な言葉で、灯は促す。その間も灯はジッとそれを見つめていた。
『花は』
 それは、小さく答えた。
 茫洋と揺らめく姿は虚ろに灯を見つめたままで、囁くように呟いた。
『実らず咲かずして地に還る花は』
 詩を朗読するようにそれは語る。抑揚のない声で、感情の失せた声で、語り継ぐ。
「花……?」
 灯は、眉をしかめる。
 実らず咲かずして地に還る花。
 その言葉が意図するものを、灯は理解できなかったからだ。
『花の、名を――』
「あ……おい!」
 灯は、焦って手を伸ばした。触れることのかなわぬ存在であると誰よりも知りながら、それでも その動きを止めるがため本能的に制止の手を伸ばす。しかしそれは宵闇の虚空を切り、涼やかな風を捕らえるだけだった。
『――教えて』
 最後にそう告げると、その影は灯の前から消え去った。


「実らず咲かずして地に還る花……ですか」
 縁側で湯飲みを両手で包むようにして持ち、緑茶をすすりながら彼は繰り返した。
「なぞなぞか何かですか?」
「俺に聞いても知らねえよ」
 自分から謎を振っておいて、その当人はぞんざいに答えるとそのままごろりと床の上に寝転がった。
 天気の良い、月曜の午後のひと時。麗らかな日差しは縁側に惜しみなく降り注いでいる。日向ぼっこには最適だ。 硬い板ばりの間でも簡単に寝付けそうだ。
 無駄に広い庭に面したこの場所はいつでも空気が澱むことなく清浄で在り続けている。静寂を破る騒音もなく、 まるで時の流れを何処かに置き忘れたかのように蕩蕩と景色は移ろいでいく。そこで灯は完全に茶飲み爺と化している、 自分と年端の変わらないはずの男の横でゴロゴロと寝そべっていた。
「あーねみー……」
「ところで灯、今日、大学(がっこう)はどうしたんです?」
 正座をしたまま茶を飲み終えた湯飲みをコトリと床に置くと、彼――氷城蒼(ひじょうあおし)は隣で完全に目を瞑っている灯を 見返った。
 蒼は今時の容姿を持ちながら、何処か古風な雰囲気を持ち合わせる青年だった。彼は 着流しを身に着けていた。その襟元から覗く胸には、黒い革紐を通された、ガラスのように無色透明の勾玉がぶら下げられている。
 その衣装が彼を古風に見せているのではない。
 その杜若色の着流しを悠然と着こなし、現代の若者にはない落ち着きを醸し出す姿自体がどこか浮世離れしているのだった。
「1、2限は出たけどなー……どーにも気になってさー……」
 欠伸をかみ殺す様は到底『気になっていた』人間がするものではなかった。どうせ昼休み後に授業に 出るのがだるくなってこちらに逃げて来たのだろう。灯が大学から脱走してくることは格別珍しいことでもなかった。
 蒼に対して、日高灯は今風の、何処にでもいる大学生だった。紅く逆立った髪と左耳だけに三つ空いたピアスは今時にしても 派手な方かもしれない。首もとと黒のジーンズには幾重にも巻かれたチェーンが垂れ下がっている。しかし そんな派手な恰好でも灯自身が負けることなく、むしろ彼は自分に一番似合う服装を選んでいると言えた。
 似ても似つかない、両極端ともいえる蒼と灯が二人縁側で時を過ごしている様は、 一種異様であった。
「ああ、灯……」
 灯が寝息を立て始めても取り立てて何も言わなかった蒼がふと、口を開く。
 だがそれは既に、手遅れだった。
「学校サボるような悪い子はこうしちゃえ☆」
「ぐえっ!」
 非常に軽快な声に続き、静寂に満ちていた庭中に響いたのは奇怪な呻き声だった。目を大きく見開いた灯はすぐさま起き上がり、鳩尾を押さえて 蹲った。
「危ない、と言おうと思ったんですけどね……」
 特に悪いことをしたと思うでもなく、蒼は小さく嘆息しながら続けた。
「踏みつけるのはいけませんよ。灯も一応人間なんですから」
「俺は正真正銘人間だ!」
 あまりの言われ様に涙目になりながらも灯は反駁する。だが自分で発した声の勢いに負けて、 灯は再びむせ返った。
「そんな所で暢気に腹出して寝てるのが悪いの。俺様は仕事仕事で目ぇ回っちゃうってーのにさあ」
「スーツ着て何が仕事だ、この似非坊主」
「あ、これ似合ってる? 新調しちゃったんだよねー、アルマーニ」
 サングラスをかけ、本物のモデル並のルックスを持つ青年はその場で優雅にくるりと回って見せた。ようやく落ち着きを取り戻した 灯はそれを見てケッと毒づくと胡坐をかいてそっぽ向く。
「坊主が俗世に染まりきってんじゃねーよ」
「坊主が俗世に染まっちゃいけないって法はここでは通用しないように俺が変えたからいいの」
 本音の見えぬ笑顔を浮かべ、彼は自身のサングラスを長い指で引き抜いて胸元のポケットにしまった。 露になった目は切れ長で、漆黒の色を湛えている。
 その目元だけは、確かに彼らは似ていると言えた。
「潮が変える変えない以前にここはもとから俗世の中でこそ在る場所ですからね。その住職が俗世に大いなる興味を 抱いていると言うのはむしろ良いことなのではないでしょうか」
「なんっっっかひっかかるものを感じるが、まあいい。心優しい兄は許して差し上げることにしよう」
「私は素直に心のままを述べているだけですが」
「お前ら兄弟、絶対どっかおかしいぜ……」
 冷え切った空気に耐え切れず、灯はわざとらしく身震いをしながらそう口を挟んだ。
 アルマーニのスーツを着こなした男の名は、氷城潮(うしお)という。色素の薄い髪は地毛だと言い張っている がどう見てもブリーチ(既製品)である。
 このホストのような風貌の潮と、現代とはかけ離れた世界に いる蒼は兄弟であった。
 彼ら兄弟、そしてもう一人下の妹を含め三人でこの氷浄寺に住み、切り盛りをしている。 そう、間違いなく潮はこの寺の住職であり、この寺にいるただ一人の僧なのである。否、僧であるはずなのである。
 もっとも彼らにとって寺としての生業はあくまで副業にしか過ぎないのだが。
「それよりも俺は一仕事も二仕事もしてきて本当に疲れているわけ。それなのに何? わざわざ昼寝しにガッコサボって ここに来てるなんて言ったら俺は本気で蹴っちゃうよ、灯」
「八つ当たりすんな。つか、疲れてるんならとっとと寝るなりなんなりしろよ鬱陶しい」
「ま、そんなつれないこと言う子はこうしてやる★」
「蹴んな! こんのクソ坊主!」
 潮に足蹴にされかけ、灯は瞬時に身を翻して立ち上がる。潮はチッと小さく舌打ちすると今まで灯が いた場所にそのまま胡坐をかいて座った。
「潮、灯は昼寝をしに来ただけではないようです」
「お前、その言い方はねえだろ……」
「実らず咲かずして地に還る花の名を潮はご存知ですか」
 うんざりしながら口を挟んだ灯を完全に無視する形で、蒼は淡々と言った。
「実らず咲かず……? 花っていうのは実をつけるために咲くもののことを言うんでしょ? 実りもせず咲きもしない花なんてどこにあるの?  ていうか、それって花?」
 潮は胡坐をかいた足を両手で抱え、首を傾げながら隣の蒼を見た。
「……と、考えますよね……」
 予想内の返答に、蒼はふ、と軽く吐息を漏らして小さく首を振る。その衝撃に胸元の勾玉が揺れた。
「花……、そうか、花か……」
 潮は独りごちながら蒼から視線を外し、庭に向き直るとそこに咲く紫陽花の花を見つめた。しかしそれは花を愛でる目 ではなかった。紫陽花と言う『花』に目をやり、全く違う『花』について思いを馳せていた。
「……何か心当たりあんのかよ」
 尋ねたのは灯だった。自分に向けられた潮の背中を、腕を組んだまま横目で胡散臭げに眺めている。
「関係があるといーな、と思ってたトコロ」
 潮は灯を振り返り、肩をすくめて要領を得ない返答を返した。灯はその答えに眉をひそめる。
「……依頼、ですか」
 先ほどまで潮が見つめていた紫の花を見つめながら、蒼は小さく呟く。それを聞いた灯は、げ、と声を漏らすとあからさまに顔を歪めた。
「そーいうことだね」
 露骨に嫌な顔を示した灯に、潮はニヤリと意地悪く――そして実に楽しげに――笑ってみせたのだった。


 一族は古よりその地にいた。
 その名は氷城。
 彼らは現(うつつ)の理を正す者。
 彼らは、輪廻の輪を見つめる者。
 現に在りてはならぬものを浄化し、現に秩序を取り戻す。
 その一族は、その力は決して表に出ることはない。しかしながら今日まで確かに語り継がれてきた。


 そして現代まで氷城の一族はまさにそれこそを生業とし、生き永らえていた。
 現に在りてはならぬもの――霊を、取り祓う。
 氷浄の寺は浄化の寺。
 すなわち、『除霊』の寺なのである。









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