「この辺りなんですね?」 「あー、そう、確かこの電灯の下」 夜の帳が下りた頃、彼らはその人気のない道にいた。 住宅街の中にある一本の道、それは何の変哲もない場所だった。人が行き、帰る。ただそれだけの用途に 使われる道。車が辛うじてすれ違えるような細い道であった。 けれどその特に変わった所のない道こそが、彼らの目的地であった。正確には、その道の、その一点 だけが。 灯が、出遭った場所。 あの、なぞかけを出された場所だ。 「場所的なものではなさそうですね……そういう思念は、感じられません」 蒼はゆっくりと周囲を見渡してから、触れていた街灯の柱から手を離した。 蒼は着流しから黒のシャツとパンツに着替えていた。上からボタンが二つ外されたシャツは大きく襟元が開き、そこから鎖骨とやはり勾玉が覗いている。 蒼は細身で身長が高い。立つとそのシルエットは非常に均整が取れていた。その姿は単にルックスが良いというだけではなく、妖しい魅力を放っている。宵闇の 中に佇んでいると、その妖艶な美しさがより一層際立つように見えた。 「事故とかそんなんじゃねえってことか」 後ろで様子を眺めていた灯が、ため息混じりに呟いた。 「そりゃあ、厄介だな……」 交通事故など、突発的な死、予測できない死を迎えた者は自分の死自体を受け入れられず現世に 留まるケースが多い。自分の死を認めずに、また死んだということを理解出来ないままに、自らの輪廻を 見失ってしまうのだ。 だが、逆に言えば彼らは自らの道を見失い、迷っているだけである。そういう意味で、除霊するのは容易いことなのだ。迷っているならば、正しき道を教えてやれば良い。 そうすれば彼らは再び自分の道を歩み始める。 だがしかし、自分の死を知ってもなおこの現世に留まるものはそうはいかない。 自分の死を理解し、なおかつ輪廻の道筋を歩まない者――その遺志を、思念を浄化するのはただ道案内を するだけでは済まない。 やり方は場合によって違えど、彼らと真正面から対峙し、敵対していかなくてはならないのだ。 一言で簡潔に言えば確かに、厄介、である。 「そうですね……灯は確かに、厄介かもしれませんね。灯に懐いた上に、 問いかけだけをして消えたとなれば、勿論答えを聞きにやってくるでしょうから」 「俺はお前らと違って除霊師でも何でもねーんだぞ……」 灯はうんざりした顔でそう言うと、勢い任せに電灯を蹴りつける。完全なる八つ当たりだ。 思った以上の衝撃に灯の方は顔をしかめるが、街灯はほんの少し震え、 夜を照らす光が一瞬ぶれるだけだった。 灯は、氷城の者ではない。輪廻も、浄化も、本来ならば関係のない人間である。 だが、彼は氷城の存在も知らぬうちから霊と関わる機会は多くあった。 いわゆる霊感が強かったのである。 それは、生まれつきの特異な能力だった。霊の姿を見、霊の言葉を聴く。しかしそれだけならば、 ただ霊感が強い人間であるだけで、氷城と行動を共にする機会も恵まれなかっただろう。霊感が強い人間は、 氷城の一族でなくても生まれ得るものである。 だが、普通の霊感が強い者と彼とは大きな違いがあった。 彼は、慕われるのである。 敵対するでもなく、怯えるでもなく、現世にありながら現世にないものを対等に扱う者を、彼らは慕い、集うのである。 ――灯本人が望む望まぬに拘らず。 昨日の夜灯が見たものは、間違いなく霊だった。しかも何が問題かというと、 あの霊は勝手に問題を出して灯が何か言う前に消えてしまったということだ。 少なくとももう一度は、灯の前に姿を現すことにはなるだろう。蒼の言うとおり、『答え』を聞くために。 はっきり言って、灯にとっては面倒以外の何者でもない。 「物に当たるのは得策とは言えませんね」 「お前にはこの気持ちはわかんねーよ」 「そうでしょうね。私が彼らと相対することは義務であり当然のことですから、灯の ように感じることはないでしょうね」 「しれっと言われるとそれはそれで腹立つな……」 「灯が言い出したことですよ」 含み笑いを浮かべた蒼を蹴りつけたい衝動に駆られたが、灯は我慢した。この男を蹴った 所で痛いですねだの冷静すぎてつまらない言葉が返ってくるだけだ。やる方が空しい。 「……私は霊には懐かれません。そういう意味では、心から灯の力は羨ましいと思っています」 「んなことで羨ましがられてもちっとも嬉しくねーなー」 蒼の言葉に、灯は肩を竦めて毒づいた。しかし、語気は随分と弱かった。懐かれないという意味も、 そのせいで蒼が負う苦労も、灯は知っていたからだ。灯の言葉を聞き、蒼は微苦笑を浮かべた。 「さて……これ以上ここにいても、手がかりは得られそうにないですね」 蒼は話題を変え――というよりもむしろ、そもそもの本題に戻して――体を反転させる。もうここにいる気はないと、行動ではっきりとその意志を示していた。 「つってどうせ違う手がかり得に行くつもりなんだろうが、お前はよ」 「私は、そうしなければならないですから。灯は灯のお好きにどうぞ」 夜の風を颯爽と切りながら前を歩き出した蒼に、灯は後ろで盛大にため息をついた。 「んじゃ、好きにさせてもらうわ」 灯は半ば呆れながら答えると、蒼の背を追った。 除霊師として動くには二つのケースがある。依頼を受けて仕事に見合う報酬を得る場合と、 依頼はないが霊の存在に自発的に気付き執り行う場合の二つだ。 大雑把に言うと、有償であるか、無償であるか。それだけの違いである。 先刻、灯が見た『霊』について調べたのが無償のケースであれば、今、ここで二人が調査している 『霊』は有償のケースである。 「……で、ここがその現場?」 二人が移動した先は、公園であった。闇に覆われた公園は、昼間の陽気な姿とは違い、いっそ寒々しいまでの寂寥感をまとっていた。 遊具で遊ぶ子供達はもう既にそれぞれの家路に着き、ブランコはただ風に吹かれるがままに揺れていた。 人気も活気もないその所々を照らす白い光はより一層、広がる暗がりを意識させた。 「正確には現場の一つ、ですね。この場所以外にもいくつかやられているようです」 蒼は軽く頷き、その場に片膝を付く。 「こりゃお見事……っつってもらんねえんだろうけどな」 灯は頭をかきむしりながら、蒼が跪いたその場を横目で眺めた。 そこは、花壇だった。花壇であるはずの場所だった。 だがしかし、無残にも、今は花一片さえも咲いてはいなかった。 植えられていたはずの花々は一方では全体が拉げ、一方では茎の部分から鋭利な刃物で切り裂かれたように 分断されていた。そこにはもう花が持つ生気はなく、残忍な行為の後が痛ましく残っているだけだった。 「……少し、残留思念がありますね」 街灯に触れたように、汚れるのも構わず蒼は緑が散乱する地に手を置いた。その目は閉じられ、一身に その場に残されている、目に見えぬ何かを感じ取ろうとしていた。 「人がやったんじゃないってことか……」 灯は蒼の後ろからその花壇跡を覗き込み、小声で呟く。灯には蒼のように霊が残した力――残留思念を感じ取る ことは出来なかった。灯はただ、今目の前にいる霊を知覚するだけだ。極力邪魔にならないように、 灯はただ蒼の傍に立ち、彼の『仕事』を眺めていた。 これは、潮が引き受けてきた『依頼』だった。 とある造園業者の仕事場がここの所連続で荒らされているというのだ。 勿論、一般人による――ここで言う一般人とは、霊ではなく人間、という意味だ――悪質な悪戯である と考えられなかった訳ではない。潮よりも先に、警察による捜査も行われていたらしい。 だが、被害はやまなかった。 様々な仕事場を警察官が夜通し張り込んでいたところ、またしてもそのうちの一箇所が荒らされたのだという。警察官が怠惰であったわけではない。張り込みに隙があったわけではない。 彼らはその状況を見、なおかつ、それを止めることができなかったのだ。 何故なら、その時荒らされているはずの現場に、人影は全くなかったのだから。 彼らの目の前で、まるでマジックのように花々は切り裂かれ、花壇は潰されていった。普通の人間 である彼らはそこで何が起こっているか、どのような力が働いているのか把握することすら出来なかったのだ。 彼らには、お手上げだった。もはやどうしようもなかった。 そこで何処をどう回ってか、霊的な処理を行う潮のもとへと、すなわち氷浄寺のもとへと依頼が舞い込んだのだった。 ――そして、その時荒らされた現場こそが、今、二人がいるこの花壇なのである。 「花……か」 灯は動かない蒼をそのままに、地面に手を伸ばすと少し色あせた花びらの一片を手にとった。 何か関係があるのだろうか、と、灯は疑問に思う。 あの、咲きもせず、実りもしないという『花』の問いと。問いをもたらしたモノと。 結びつくものが、あるのだろうか。 潮は花という言葉に共通点を見出したようだった。だがあの男のひらめきは根拠のないただの 勘でしかないと、灯は軽蔑交じりに認識していた。よしんば何かしら理由があるものなのだとしても、 あの男の考えていることはようとして知れないのでこちらの判断材料にはならない。 関係あるとするならば、だ。 関係あるとするならば、このように花壇を荒らしまわっているのは、あの時灯が見た霊ということになる。 けれど、それは何故だ? あの霊がもたらした問いかけと、花の命を潰して回ることと、どういう関係がある? あの霊にとって、花を踏みにじることにどういう意味がある――? 「……っと」 考えに耽っていた灯は、ふと我に返る。ジーンズの後ろポケットで携帯が震えていた。灯はそれを取り出し、着信画面を 開いてから一度蒼を見返った。 座り込んだままの蒼は、こちらに気付く様子もない。 灯は軽くため息をつき、電話してくる、と小さく告げるとその場から少し距離をとってジャングルジム まで歩いた。 「もしもし?」 それは保育園以来の友人――腐れ縁といったほうが正しいかもしれない――からの電話だった。灯は電話を取りながら、彼の背格好には小さい、 子供用のジャングルジムにもたれかかる。蒼は相変わらず地面に手を触れさせたまま、硬直している。おそらく 今灯が離れたことにも、電話をしていることにも気付いていないのだろう。 『……もしもし? もしもし、日高、日高か?』 「俺だけど……どうした?」 尋常でない様子のその声に、灯は眉をひそめた。 『お前、大丈夫か? 変なことになってないか?』 それはあまりに突然で、あまりに奇妙な問いだった。灯は顔をしかめ、首を傾げる。 「はあ? 何言ってんの、お前」 『いや、何もないならいいんだけどさ……僕の考えすぎ……だったんなら、いいんだけど……』 要領を得ない相手の言葉に、灯は舌打ちして体の向きを変えた。片方で電話を握ったまま、もう一方の手は体を 反転させて少し錆びた鉄の棒を握る。 「一人で納得してないで、俺にもわかるように話して欲しいんデスけど? 何で俺がヤバイって 思った訳?」 『それは……写真が……』 「写真?」 灯は急に電話が遠くなったように感じ、電話を一度肩に挟んでから持ち直した。 『この前の……写真に……』 「写真って……よく聞こえねーんだけど!」 小声でボソボソと話す声に、灯は電話口に向かって声を荒げた。電波が悪いのかと自分の電話を確認するが、きちんとアンテナは 三本立っている。障害物もない。聞こえ辛いのは向こうのせいなのだと、灯は信じて疑わなかった。 だが、そうではなかった。 そうではなかったのだ。 『お前の……後ろ……何か……』 灯の怒声に、向こうも必死に言葉を紡いでいた。しかし、その言葉は特異なフィルターを通したように、 灯の耳にははっきりとは届かなかった。 「……後ろ?」 映っている、と、電話先は伝えた。 けれど、その声は灯の耳には入らなかった。 反射的に背後を振り返った灯は、その時はもう電話を耳から離していた。 後ろを見たのは相手にそう言われたからなのか、自分の第六感が働いたからなのか、灯自身にも 判別は出来なかった。 「――蒼!」 その名を呼ぶと同時に、灯は通話状態の携帯を握り締めたまま駆け出す。蒼もそれに気付いていた のだろう。地に置いた手を基点に、体を翻す。躍り出た勾玉が、月光を浴びてキラリと光を放った。 ざう、と今まで蒼がいた場所を、見えない力が抉る。それは蒼が避けるたびに、彼の後を追った。 青く光る刃の波動。それは形を持たず、しかし明確な意思を持って蒼の体だけを目指す。 「力、使え!」 灯は握っていることすら煩わしくなった携帯を放り出し、そう怒鳴りつけた。力の軌道が弧を描き、的確に蒼を 狙っている為、容易に近づくことも出来ない。近づけば自分も巻き込まれてしまうし、そうなってしまっては 蒼を救うこともままならない。 「駄目です……!」 蒼は逃げの一手に回りながら、灯に返す。 「ここからだと届きません……っ」 こんな時にまで蒼は、切迫感はあるものの、自身の口調を崩すことはなかった。 「っ! クソ!」 いまや蒼の体は公園端のフェンスにまで追いやられていた。あと一撃がくれば、逃げることすら ままならない。灯は唇を噛むと、蒼から目を離し、首を激しく振って公園中に目を配った。 確かにそれは、佇んでいた。 先ほどまで灯が触れていた、ジャングルジムの頂上に。 淡い光に纏われ、君臨する――女王のように、全てを見下ろしていた。 灯はそれを、地表から睨みすえ、そして、彼の唯一の武器を、力を、放つ。 「止(ヤ)めろ!」 それは、たった一言。 闇の中に轟く、彼が紡ぐ言葉。 「俺の言葉が聞こえるな……? 今すぐそれ、やめんだよ!」 決して臆することなく、激昂し、命ずる灯に、それは確かに手を止める。蒼を襲う、その力を封じた。 「お前がコイツを狙うなら、俺はお前の声なんか聞く耳もたねー。何か聞いて欲しいことあんなら、 とっとと言ってとっとと消えろ!」 怒りに任せて、灯は吐き出す。そんな灯に、それをまとう青白い光は怯んだように薄く、ぼやけた。 『………………』 長く答えるものはなかった。けれどその間、力が何かを襲うこともなかった。ただ、灯は待つだけだ。 鋭い視線を投げかけたまま、応えを待つだけだった。 『花は……』 小さな『声』が、空から漏れた。 ――実らず咲かずして地に還る花は。 それは、灯が昨日聞いた声と、同じもの。 『花の、名が……』 「花の、名が?」 灯は先を促すように、問いかける。 『……聞きたい、だけ……』 その声は、霞み行く光と同じくして遠のき、やがて、途切れた。 |