巡ル想ヒ



「うーん……」
 平日の昼間、また氷浄寺の縁側でゴロゴロと寝そべりながら灯はうわ言を言った。
 平和だった。
 蒼は外へ出かけることもなく、灯は何度か霊に出くわしてはいたがさして困るようなこともなかった。 潮は恒常的に行動が不明瞭なのでよくわからないが、何も言ってきていないということは取り立てて 困るような依頼が来ている訳でもないのだろう。
 今日は、雨が降っていた。本格的に梅雨が到来したのかもしれない。蒼は勝色の着流しに身を包み、 紫陽花の葉にはねる水滴を眺めつつ、読書を楽しんでいた。勿論、お茶は彼のすぐ隣に用意されている。灯が眠る すぐ横には彼が持参したと思しきお茶のペットボトルが転がっていた。
「……灯」
 ふとその視線を流し、蒼は声をかける。
 だがやはりそれは、既に時遅かった。
「ぐはっ」
 灯は鈍い声を上げ、みぞおちを押さえながらその場でのたうち回る。潮は腕組みをして灯を踏みつけた足を下ろさずに そのままバランスをとりながら、天に向かって陽気に笑い声を上げた。
「いやあ灯君そんなトコロにいたのかい? まったく見えなかったよ☆」
 潮はまたスーツに身を包み、その目にはサングラスで覆われている。黒のしまったスーツは 彼のスタイルの良さを引き立てていた。
「こんのサド坊主……」
 うっすらと目に涙をためながら、灯は床に這いつくばったままで潮を睨み上げる。寝起きの悪い 灯も流石にこのやり方では一度で目が覚める。潮はようやく足を下ろし、サングラスを外すと 勝ち誇ったようにふふんと鼻を鳴らした。
「オレサマはたった今難解な仕事を終えたトコロなのだよ。サドなオレサマにその身を捧げ、 甘んじてオレサマを喜ばせるといい」
「蒼、この頭沸いたお前の兄貴何とかしろよ」
 第二撃を警戒して何とか身を起こした灯は、蒼に目を向けながら問題の男を顎でしゃくった。 蒼はそれに真剣な顔をして首を傾げる。
「これが潮ですから慣れていただくしか他にどうしようもありませんね」
「無理。ぜってー無理。つかコイツ、人としてあり得ないから」
「もしもし? 本人の目の前で堂々と陰口叩かないで下さる?」
 何処までが本気か読み取れぬやり取りをした後で――蒼と灯は間違いなく本気だっただろうが―― 、蒼はふっとため息をついた。
「仕事というのは、相馬社長への事後報告……でしょう?」
「そ。犯人は娘さんでしたーって言った時の顔を見せてやりたかったね」
 わざと軽く言って、潮はその場に座り込んだ。少し雨に濡れた上着を放り投げ、その上に外したネクタイも 無造作に投げる。その仕草一つ一つが様になっているところがまた、灯の癇に障った。
「お怒りでしたか?」
「いんや。泣いたね」
 潮は片眉をあげ、唇の端を歪める。そして思い出したくもないというように、首を振る。
「……もしかしたら、予測がついていたのかもしれませんね……」
 痛ましい思いを滲ませながら、蒼は呟いた。潮は肯定も否定もせず、肩をすくめた。
 自分の娘に祟られる辛さは、おそらく、親という立場にならなければわからないものだろう。 潮がどういった説明をしたのかは知るところではなかったが、『彼女』が父の仕事に、すなわち父に 危害を加えたことは事実だった。
 けれど、灯は潮の話を聞いた少しだけ安堵していた。
 泣いた、ということはまだ心があるということだろう。『彼女』に対し、何らかの想いがあるということだろう。
 自分の言ったことの、少なくとも全てが嘘ではないということだ。
 それは、家族のためを思って、そして家族が原因で彷徨い、苦しんだ彼女にとって救いに なると思った。
 たとえ彼女の魂がもうこの世になくとも。
 何よりも、救いになる、と。
「そういや、さ」
 座り直した灯は胡坐をかいてポリポリと顔をかきながら切り出した。
「結局、花の名前って何だったんだ?」
 その問いに、唖然と見開かれた二組の眼が灯を襲った。その目はまるで双子のように瓜二つだった。
「……よく、彼女は納得したもんだよ……」
「いえ……気付いていようといまいと、灯が答えたことは事実ですから……」
「俺はてっきり全部わかった上で彼女と会ったんだと思ってたんだけどなあ」
「あえて説明しなくてもわかっていると思った私のミスですね……」
 兄弟二人のやり取りに、灯はげんなりとして視線をそらした。本当にこういう意地の悪さはソックリだ。 もっともそれを言ったところで二人して認めはしないけれど。
「名前、ですよ」
「はあ?」
 灯の表情を見て取って、蒼は実に簡潔に説明した。それに対し、灯は間の抜けた声で問い返す。
「名前です。彼女の」
「……って……ソウマミサキ?」
 灯はますます解らないと首を捻ったが、蒼はしっかりと頷いた。
「ええ。彼女は自分の存在を花に例えたんですよ」
「ソウマミサキは、漢字では実り咲くと書くんだよ」
 蒼の説明に、潮が付け足した。それはいつものように人をバカにした響きは含んでいなかった。
 ソウマミサキ――相馬実咲。それが、彼女の本当の名。
 実り、咲くことを望まれ、生まれてきた娘の名。
「………………」
「皮肉な、たとえですね」
「自分のことを実りも咲きもしなかった花、というんだからね……」
 実らず咲かずして地に還る花。
 生まれながら、人として実ることもなく、咲くこともなく、この地に眠りについた――この地に還った その体。
 彼女はどんな想いでその問いをしたのか。
 そしてどんな想いでその答えを聞いたのか、それは彼女にしかわからない。
 それでもその名を呼ばれた時、彼女は満たされたのだろう。
 灯によってその名を呼ばれた時。実りも咲きもしなかった自分を認められた時。
 彼女の願いは、確かに叶ったのだ。
 ――それは、悲しい成就だった。
 灯は無言で眉間に皺を寄せ、考え込んでいた。蒼と潮は そんな灯には構わず、言葉を続けた。彼らの言葉は灯の耳には届いていない。雨音がか細く響く中で、 やがて灯は気難しい顔をあげた。
「……それ、おかしくねえか?」
 灯の問いに、蒼と潮は一瞬目と目を見合わせる。その後二人して灯に向き直ると、潮が 尋ねた。
「何が?」
 それは単刀直入の問いだった。灯は口元を押さえ、その問いに対して答えを返す。
「アイツは実りも咲きもしなかった花なんかじゃねえだろ」
 灯はそれだけをまずボソリと漏らした。蒼も潮も彼が何を言わんとしているのか読み取れなかったが、 黙って続きを待った。灯は二人を見ないまま、ただ床だけをじっと見つけて言葉をつなぐ。
「そりゃ、病気でガキん頃に死んじまったけどさ……アイツはちゃんと、咲いてただろう」
 悲嘆に暮れている訳でもなく、同情している訳でもなく。灯は心の底からそう感じていた。
「アイツがいたことで、アイツがやったことで、ちゃんと実ったことはあるだろう……」
 短い人生でも確かに彼女は咲いて、実り、そして散っていったのだと。
 そう、灯は思っていた。
 たとえ、彼女自身が自らを『実らず咲かずして地に還る花』と称していたとしても。そう、思っていたとしても。
 たとえどれほど少ない人間の間であったとしても、咲き、実った花の姿は、その記憶に残っている。
 相馬実咲という花は確かにこの世で咲いていたのだ。
 たった13年という、短い刻の中で。
「………………」
 訥々と話す灯に、兄弟は再度顔を見合わせた。そして灯の見えないところで、二人して優しい笑みを 浮かべる。
 それは、ほんの一瞬にしか過ぎなかったけれど。
「なるほどネ」
「ええ」
「脱帽ダネ」
「ええ……そうですね」
「……何がだ、この根性悪兄弟」
 先程までの真剣な様子とは違い、顔を上げた灯はぎらりと目を光らせて氷城兄弟をにらみつける。 勿論二人ともそんな眼差しに動じることはなく、おかしそうに微笑(わら)っていた。
「灯チャンはこれからも霊に好かれるんだろうなーって話ヨ」
「どうして生身の人間には警戒されるんでしょうか……人相手では素直になれないからですかね」
「いやーまず見た目が怖いからだろう」
「………………」
 反論する気力さえ起こらず、灯はそっぽ向いてため息をついた。こんな時だけ仲良くなる兄弟 に頭痛すら覚える。勝手に言ってろ、の境地で灯はしとしとと降る雨を眺めた。
 薄暗い、梅雨独特のじめじめとした空気の中でもここはやはり清浄で、こうして庭を眺めているだけでも 心が和らいでいく。
 ここが、氷浄寺。
 氷城一族が住まう場所。
 特別な力と、特別な業を負った者達が住む聖域。
 そこに、氷城の血とは何の関係もない自分が、ごく自然に溶け込んでいる。
 悪いことでは、なかった。
 悪いことではないと、思えた。
「やっぱねえ、この赤毛を下ろした方がいいと思うんだよ」
 ――たとえ住人の一人がどうしようもなく馬鹿であったとしても。
「っざけんな、触んな、汚(けが)れっだろ」
 庭先を眺めている間に勝手に話が進んだらしく、隙だらけだった灯はまんまと潮の手の動きを 許した。咄嗟に右の手は払えたものの、後ろからの左手には反応できず、ぐしゃぐしゃと髪を かき回される。
「ほら、これでその怖い目をまあるくすれば……」
 潮はいつの間にか灯の前に跪き、そのまま両手を顔に伸ばす。至近距離で鋭い眼光を放つ 灯をまるきり無視し、彼の両目尻を指で刺激した。灯の限界を察した蒼は二人を放置し、自分は 湯飲みを持って縁側の端へと緊急退避する。そんな蒼にも構わず、潮は面白そうに灯の頬をつまんで横に伸ばしていた。
「……ぶっ殺す」
 低い声が、なされるがままだった灯の喉から漏れた。ん? と潮が彼の顔を覗きこんだ瞬間、灯の手が残り約半分のペット ボトルに伸びる。そして掴んだと同時に鋭いスウィングを持って潮の体に投げつけた。重量を持った それは、咄嗟にのけぞった潮にぶつかることなく壁に衝突した。
「危機、一髪?」
 尻餅をつくような形で、両手を後ろについて後ずさりする潮は、縁側の片隅に突っ立っている蒼を上目遣いで見た。 蒼はゆっくりと首を横に振る。潮の正面では灯がゆらりと立ち上がるところだった。
「潮が怒らせるからですよ」
「まあ! 蒼だって乗ってたクセに!」
「うらぁ!」
 あくまでふざけた態度を止めない潮だったが、飛んできた足蹴りの速さに思わず本気で身をかわした。 手で反動をつけて立ち上がると、続けて放たれた回し蹴りからは人体の限界まで体を反らせて何とか事なきを得る。
「平和ですねえ……」
「これの何処が平和なんですか、蒼クン」
 相変わらず立ったままで手に持った湯のみに口を付けながら、蒼は感慨深そうに言う。潮は反論している 間にも灯が繰り出すパンチやキックを華麗な身のこなしで避け続けていた。無論、それが火に油を注ぐ ということを解っていながら。
「無事成仏できるよう祈っておきますよ」
「あ、お、し、クーン!」
 情けない声を上げながら、潮は靴下のまま庭先へと降り立った。もはや潮しか見えていない灯も それに続く。蒼は軽く息をつくとようやくその場に座り、雨の中熱戦を繰り広げる二人越しに外の 景色を眺めた。
「本当に……」
 雨踊る空には眩いばかりの光はない。
 雲に覆われ、光の遮断された世界はしかし、迫り来る闇ともまた違う趣を持つ。
 世界を包む柔らかな雨は、光に代わり、人を安寧へと導いている。
 安らぎという、安寧へ。
「平和、ですね……」
 その景色を、茶を飲み、興じることが出来るなど、どれほど平和なことか。
 平穏であることの真の意味を知る蒼は、その時間を何より大事に思う。
 この場所で、この寺の中で、外を見ていられる時間を。
「灯、俺が悪かった! 謝るから!」
「うるせえ! 一発殴らせろ!」
 雨に打たれながら、なおも続けられている喧騒。それを遠くに感じながら、蒼は瞼を閉じた。
 この身に訪れる平穏が長くは続かぬことを知りながらも、蒼は一人、願っていた。
 出来ることならば、今この時が永遠に続きますように――と。



<終>





「MOONSHINE」さんで、3万打企画に参加して頂いて参りました。
すごいですよね、3万打。おめでとうございますです♪
合同リクエスト企画ということで、雪山のリクは「琥珀に煙る勾玉[こはくにけぶるまがたま](もしくは勾玉)」でございました。
色々な方のリクが混ざって生まれているこのお話。
見事にそのお題をクリアされていてすごいなぁと思いました。
そしてそして、主人公さんsも魅力的ですよね☆
すごい素敵なお話をありがとうございましたvv
コレを書かれた野木さんのサイトはこちらです。





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