巡ル想ヒ



 ――来る。
 灯とミサキのやり取りを後ろから静観していた蒼は、その足を踏み出した。
 灯の背後、手の届く位置にまで近づくと、彼はゆっくりとその瞼を閉じる。
 自分の力は、この身長の丈しか届かない。
 その範囲に確実に入るためには、霊自身の意思か、霊の意思を無理やりに操るしか術はない。――灯と 出会うまではその意思を捻じ曲げ、自分達の都合の良いようにやってきた。そこに霊の意思など存在せぬ かのように。
 だが、決して灯は霊の意思を捻じ曲げたりはしない。
 灯の言葉を以て、霊自身の意思で彼らはその限られた内へとやって来る。
 それがどれほど尊きことなのか、霊の意思を尊重すると言うことがどれほど貴重なことなのか、灯は理解しない。 だからこそ、良いのだろう。灯は灯の想いのままに動く。それが霊を封じるための行動だとしても、 それは誰かのためではなく、灯自身の想いが為せるもの。彼自身がそうしたいと思うからこそ、在る力。
 それが、良いのだ。
「……蒼!」
 胸元の光を抱くように腕を回しながら、灯は前を向いたままで彼の名を叫んだ。
 半径、180センチメートル。
 その限られたサークルの中に、灯はいる。
 ――そして、ミサキも、今その意思を以て、その中に入った。
 蒼は首もとの勾玉を外すと、それを左の拳に握りこむ。
 蒼の内なる力が、左の拳に、そして勾玉に凝縮する。それは金の光を放ち、闇の中で彼の存在を 浮かび上がらせる。
 金のしるしが彼を囲んだ。
 眩いばかりの色が、霊とは、闇とは迎合せぬ強い色が、彼を包んだ。
 足元から吹き上げる風が彼の髪を、服を打ち、やがてそれは半径180センチ の円の輪郭へと広がっていく。自分をも包んで渦巻く風に顔を歪めながらも、灯はその体勢を変えずにジッと 耐えていた。
「現世(うつしょ)に惑いし魂よ、……今、此処へ」
 蒼は紡ぐ。
 己が力を言霊に乗せて。
「――縛!」
 ごう、と風が鳴る。
 左の拳から放たれた金の色は弧を描き、灯の腕の中へと降り注ぐ。
 それは、一本のアーチとなる。一本の、道となる。
 青白い光は金の道を辿り、無色の器へと吸い寄せられていく。
 金の手の内にある勾玉と、球体となった魂とが、結ばれ、繋がり、やがて一つとなる。


 現世にも常世にも、たった一つしか存在しない――琥珀に煙る勾玉。


 それは、魂の色。
 生きとし生けるものがその内に宿す、魂魄のしるし。
 二つとして同じものはない、唯一無二の色。
 その色を、魂を器に封じることこそが蒼の力であり、彼の果たすべき役目だった。
 魂を消すのではなく、彷徨える魂の在り処を作り、清めを行うことで輪廻の道を切り拓く。
 果てしなく巡る時間の中で、輪廻の調和を保つこと――それが彼の力に込められた意義。
 琥珀の魂を持つ者は長い時を経て再び現世に生れ落ちることだろう。
 前世で彷徨える魂であったことすらも忘れ、何もかもを無に帰した状態で。
 それを彼が目にすることは、ない。
 けれど、彷徨える魂がある限り、彼はその力を揮い続けねばならない。
 それは、宿命。
 氷城の血を受け継いだ者としての定。
 ――輪廻を見定める者としての運命(さだめ)だった。



「終わった、か……?」
 風の弱まりを察した灯は後ろの蒼を振り返ると、抱え込むようにしていた腕を解いて乱れた髪の 中に手を突っ込んだ。蒼は自分の左の手を眺めていたが、問いかけられてその顔を上げる。その 穏やかな表情が全てを物語っていた。
「そ、か……」
 灯は知らぬ間に詰めていた息を吐き出す。彼らを取り巻いていた局地的な暴風は既になりを潜め、 公園は本来の姿を取り戻していた。夜の闇がもたらす、何処か物悲しい光景に。
「そん中にアイツがいるんだよな」
 髪に手をやったまま身を乗り出して灯は蒼の左の掌を覗き込んだ。そこにはガラスのように無色透明だった 勾玉の姿はない。まるで息づくように色を受けたそれが蒼の手の中にしっかりと包まれていた。手から零れ落ちた黒の紐が、 自然の風によって揺れる。
「彼女、というよりも彼女の『核』……輪廻に戻るべき魂が此処にあります」
「ふうん」
 再び勾玉に視線を落とし柔らかな口調で説明した蒼に、灯は興味なさそうに相槌を打つ。蒼はその様に微苦笑を浮かべると、 灯にも見えやすいように握りこんでいた手の指を広げた。
 薄暗い電灯の光のもとでも、その色ははっきりと二人の視界に刻まれた。
 くすんだ赤みの黄。茶にも似た色だ。それは透き通っており、その下にある蒼の手も見通せた。
「琥珀の色ですね……何とも彼女らしい色です」
「らしい?」
 灯は琥珀色の勾玉を見下ろしていた首を捻って蒼の目を見る。蒼の目はいつになく穏やかで、それでいて 悲哀を含んでいるようにも見えた。
「琥珀がどういう物か、ご存知ですか?」
「宝石だろ。……ああ正確には石じゃねえか。樹のヤニかなんかが固まったもんだろ、確か」
 灯は瞳を伏せて考え込む仕草を見せると、うろ覚えの知識を頭の片隅から引きずり出しながら答えた。 灯の返答に、蒼は小さく頷いた。
 琥珀とは新生代の第三紀の松柏科植物の樹脂が地中で長い年月を経て化石化したものである。 本来の意味からすると灯の言うとおり石にはならないが、地中から取れるため便宜上鉱物として扱われている。 ふつうは黄色みを帯び、透明または半透明の色をしていた『石』のことだ。
「らしい、ってのは、何? 植物関係の色だから?」
 短絡的、と言わんばかりに灯は肩をすくめた。
 確かに琥珀の元は植物ではあるが、それは一般的に考えられる『花』ではない。樹木だ。あまりの こじつけに、灯は半ば呆れていた。だが灯の言いたいことを理解した上で、蒼はいたって平然と 応える。
「勿論それもありますが、……この石の宝石言葉は」
「宝石言葉?」
 蒼の言葉を頭にやっていた手を下ろして途中で制し、灯は疑問を口にする。宝石などには全く 興味も関心もない灯にとっては耳慣れぬ言葉だった。
「花言葉のようなものですよ」
 簡単に説明した蒼に、灯は眉間に皺を寄せる。
「何でお前、んなこと知ってんの?」
「単なる雑学です。家にいる時間が長いもので、少しでも興味が出たものは調べるようにしているんです」
 何故宝石言葉などに興味が出たのか、まして何故それを逐一覚えているのかも謎だったが、灯は あえてそれについて口にはしなかった。その『宝石言葉』を引き合いにだして蒼が何を言おうとしているのか、そちらの興味の方が 強かったからだ。
「それで、琥珀の宝石言葉っていうのは何なわけ?」
「『誰よりもやさしく、家族の繁栄・長寿』……そう、言われています」
「………………」
 淡々とした蒼の返答に、灯は押し黙る。
 彼女は家族の繁栄のためにこの世に留まったのでは、この世を彷徨ったのではなかったか。
 憎しみではなく、誰よりもやさしい心を持って。
 彼女が――ソウマミサキが持つ魂の色。
 それは、彼女という人格を示すしるし。そうであるはずのもの。
 宝石言葉など、どこまでアテに出来るものかと灯は内心思う。
 しかしその言葉は確かに彼女らしい、彼女の持つ性質を示しているように感じられた。
「……アイツはまた、生まれ変われるんだよな」
 灯は身を翻し、その表情を見せぬようにしてから小さく問うた。
「ええ……長い、長い時を経て、再びこの現世に生れ落ちることでしょう」
 神妙な様子の灯の問いに、蒼は厳かに答える。そして、開いた左手を閉じると再びその勾玉を 自分の首に提げた。そうか、と曖昧に答えてバイクに向かっていく灯の後ろ姿を見つめながら、 蒼はまた胸元にあるその魂に触れる。
「必ず……」
 蒼は一人、呟く。その声はバイクのエンジン音にかき消され、灯の耳にも届かなかった。
「必ず……輪廻は巡ります」
 現世から常世に導かれるように。また、常世から現世へと魂は巡る。己が色を、有したままに。
 その輪廻の輪を保つことこそが我が使命。我らが、宿命。
 氷城の血を継ぎ、その力を携えた者達のあるべき姿。
「蒼、もう用ねーだろ。俺がいたらまた余計なモン来ちまうから、とっとと帰るぞ」
 灯は既にメットを被り、バイクにまたがっていた。いつでも出発できる状態で、早く乗れと親指で 蒼に指し示す。
 蒼はすぐさま動くことなく、灯をじっと見つめた。
 定められた使命も、宿命もなく、ただ力を、彼独自の力を有した者。
 ――否、彼が今此処にいるのもまた、宿命なのだろうか。
 氷城の業と相反する力を持って、氷城と共にある宿命なのだろうか。
 氷城にその力を欲され、氷城と共に輪廻を見定める宿命に、彼もあるのだろうか。
 それを彼に尋ねようとは思わない。彼の答えはおそらく明快なものだからだ。
 彼ならば、こういうだろう。
 輪廻など、宿命など関係ない、と。
 今此処にいるのは今此処にある自分自身が、日高灯という人間が考え、それを選んだからなのだと。
 最初から自分自身に定められたものなどではない。自分自身に定められたものなどない。
 彼ならば、そう、言うはずだ。
 その選択が正しいのかどうか、蒼にはわからなかった。
 彼の選んだ道が、彼に示された道が――この自分自身が持つ制約が、彼にとってどんな 影響を及ぼすのか、蒼には予測出来なかった。
 けれど、今は。
 今は確かに、彼の力が必要だった。
 彼の力を、見ていたかった。
 霊が集う者の、霊に慕われる者の姿を、見ていたかった。自分と対極にある存在を、傍に置いておきたかった。
 それがどれほど身勝手な思いかを知っていてもなお。
 灯がそれを選ぶ限りは――彼の優しさを、利用し続けるのだろう。
「灯は、本当に優しい人ですね」
「…………」
 自分の今の想いを素直に伝えた蒼に、灯はフルフェイスのメットの中で露骨に顔をしかめた。灯には 勿論、蒼が何を思い、何を考えてそんなことを言ったのか知る由もない。自分の発言を鑑みて、それに 対する蒼の嫌がらせだと――褒め言葉を嫌がらせととるのは灯の灯たる所以だったが――確信した灯は無言で手にしたもう一つのメットを勢い任せに 投げつけた。
 灯から投げつけられた自分用のメットを反射的に受け取った蒼は、 白い包帯をした手に強い衝撃が走っても眉一つ動かさなかった。灯はそれを見て、心底疲れたように 呟いた。
「……マジで手、平気なんだな?」
「そう、言ったはずですが?」
 蒼は人意地悪く微笑を浮かべた。それに対し灯が嘆息している間に、彼は身軽に灯の後ろへと乗り込む。
「さあ、帰りましょう」
 ここにはもう闇に彷徨う者はない。
 だから、帰るのだ。
 闇の中にありて、闇に棲む者の力を受けぬ清き場所へ。
 氷城の、棲家へ。









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