あじさいせきか
紫陽花昔歌




 ひとめ
 ふため
 みやこし よめご
 いつやの むかし
 ななやの やつし
 ここのや とお

「みやーっっ」
 呼ばれて宮[みや]は、毬[まり]をつくのをやめて、声の主を探した。
 切り揃[そろ]えたばかりの黒髪が、首筋にちくちくと当たる。
「ねえさま?」
 きょときょとと見回して声の主を見つけると、宮はとてとてと駆け寄った。 それに合わせて、毬の中に入れてある鈴が、ちりんちりんと音を立てた。
 向けられる、やさしい笑顔。
 そして……
 それからの記憶は、宮には、ない。





 時は六月。重くじめじめとした空気が漂[ただよ]い、外はしとしと曇り空。 一応電気はついているものの、弱い蛍光灯の光だけではいつもよりも暗く感じる。
 窓が開けられないので、むんとした空気のこもった部室で雑誌に目を通していた相馬 拓人 [そうま たくと]は、廊下を駆けてくる足音に顔を上げ、入口に視線をやった。 湿気でいつもよりさらにやわらかくなっている、僅[わず]かに焦げ茶をおびた髪が、 動きに合わせて頼りなく沿う。
 足音は部室の前でピタリと止まり、次の瞬間、ノックもなしに戸がガラリと開かれた。
「なあなあ、聞いたか? 例のヤツ」
「ああ?」
 相馬は不機嫌そうに、声の主を見上げた。
 嬉しげな声に寸分違[たが]わぬ表情。それでも男前はくずれていないのだから憎たらしい。 およそ礼というものを欠きまくって現れたのは、やはりというか何というか、 正規部員でもない噂好き、津野 尚之[つの なおゆき]だった。
 男で噂好きというのは普通は嫌われるものだが、津野の場合は整った顔立ちにスポーツ刈りの 短い髪と高い背丈、というルックスの良さのためか、『噂好き』が『情報通』として扱われている。 得な男だ、と相馬は思う。
「まさか、聞いてねーのか? 相馬、六月だぜ六月」
「……何の事だ?」
「何って…」
「例の、紫陽花[あじさい]の少女の事なのでしょう?」
 横から涼しげな声が割って入った。
 姫木 馨[ひめぎ かおる]。華奢[きゃしゃ]な体つきに色白の肌、ストレートの黒髪。 伏せたまつげは長く、色白美少女という代名詞がぴったり来そうな少女である。
 本人いわく、『霊感少女』であるらしい。また、たおやかな外見からはあまり想像できないが、 実は行動力、スタミナともにあり、春のスポーツテストでは総合得点の上位に名を連ねていた。
「そうそう、それそれ。何だ、姫木ちゃん知ってるんじゃん」
「有名ですもの」
 上機嫌な津野をさらりとかわす。
「それがさ、今年も見たっていう奴が、もう二、三人いてさ」
宮ちゃん、今年は早いですねぇ
 津野の背後から、不意に細い声が放たれた。
「うわっ。……何だ、のえさんか。あーびっくりしたぁ」
 津野が振り返ると、そこには通称「のえさん」という浮幽霊が浮かんでいた。半透明な存在で、 体を通して反対側がぼんやりと見える。足はあるのだが、 その素足の先は床から数センチ離れて浮いている。
 相馬の通う白露[はくろ]高校は、ある意味で有名な高校である。…『怪談が多い』と。
 実際、それは間違っていない。どこの学校でも、怪談など一つや二つはあるだろう。だが、 白露高校ではその桁[けた]とレベルが違う。骸骨[がいこつ]の標本の移動目撃は多々あるが、 この学校では骸骨の標本(のえさんいわく、『哲次郎』という名らしい)は、 生徒あるいは教師と平気で会話を交わす。音楽室のピアノは勝手に鳴るだけでなく、 日々上達しているらしい。間違えるとしばらく音が止んだあと、再び最初から弾き直されるとか。 細かい怪談など、掃[は]いて捨てるほどある。
 のえもそのクチなのだが、害は全くないので七不思議の一つにも入れられず、 白露高校の住人として、ごく普通に扱われている。成仏できずにうろつくのえは、 昼間でも常人に姿が見えるほど強い想いを残しているはずなのだが、本人は何故成仏できないのか わかっていないらしい。
 のえは音もなく部室へ入ると、そのまま椅子[いす]の一つに腰掛けた。
「『宮ちゃん』っていうんですの? その少女は」
 姫木が訊[き]くと、のえは血の気のない顔のまま、はいと頷いた。
ええ、私はそう聞いていますぅ
「……誰だ? それ」
 相馬が問うと、その場の空気が一時[ひととき]固まった。
「お前、マジで悪霊退治部員か? それぐらい知っとけよ。『梅雨の紫陽花少女』って言えば、 すげぇ有名な話だぞ?」
「……へ?」
 先輩の芦澤[あしざわ]に言われても、知らないものは知らない。
「本当に、知らないようですわね」
 姫木がため息をつく。
「しょうがありませんわね。教えてさしあげますわ」
 本当に…とでも言いたげに、姫木が口を開いた。



 時は梅雨。
 紫陽花の咲く間にだけ、その少女は現れるという。
 現れる場所は決まってはいないが、よく現れると言われているのが高台にある神社。昔は、 大きな武家のお屋敷だったらしい。
 まだ小学校の低学年くらいの少女は、髪はおかっぱで着物を着ているという。
 そして、その手には手毬[てまり]。
 何か数え歌のようなものを歌いながら、手毬をついているらしい。
 少女を見かけるくらいでは害はないが、その数え歌を最後まで聞くと呪われてしまう ……というのが、『梅雨の紫陽花少女』の怪談である。呪われてどうなるのかという事までは、 知られていないのだが。

「まぁ、去年の夏まで知らなかったっていう奴もいるけどなぁ……」
 力なくそう言って、副部長の芦澤 透[あしざわ とおる]は、かっくりと首を落とした。
 大柄・温和で通っている芦澤がそんな態度をとると、何故だか愛嬌[あいきょう]のある 大熊を連想してしまう。
「芦澤先輩、何方[どなた]ですの? それは」
「東都[とうづ]だよ。とーず みなみ」
「え? 東都先輩…って、部長がですか?」
「そうそう。去年、梅雨過ぎてから知ってさ、『今年は絶対会ってやる』とか言ってたなあ」
「へぇ。意外だなぁ。東都サンって、ここら辺の怪談は全部把握してそうなのに。 …そう言や、東都サンは?」
 きょろきょろ見回す津野に、相馬は不機嫌に答えた。
「今日は用事があって、部活は休まれるんだと」
 不機嫌な相馬を見て、津野はにやりと笑んだ。
「あ、そっかそっか。東都サンがいないから、相馬ってば不機嫌なんだな。 アコガレのセンパイがいないと……ってヤツか?」
「んなんじゃねーよ。っさいなあ。だいたいお前、部員じゃね―のに何しに来てんだよ」
 相馬の邪険な扱いに、津野は胸を張って答えた。
「そんなの、悪霊退治部の栄えある活動を見学に来たに決まってんじゃねーか」
「……単なるヒマつぶしですわね」
「うーん、そうとも言うかな?」
 身も蓋[ふた]もない言葉を浴びせられ愛想笑を浮かべる津野に、 姫木はさらに追い打ちをかけるように言った。
「けれど今日は実質、部活は休みですわよ。雨が降っていて、グランドが使えませんし。それに 部長がいらっしゃらないと、我が『ごおすとばすたあず・くらぶ』は出張活動しませんもの」
「そうでもないぞ」
 姫木の言葉に反応したのは芦澤だった。
「そこまで言われちゃ、黙ってられないなぁ。東都がいなくても、出張活動する時もあるんだぞ?  なあ?」
「そうね、確かにわたしが入った当時は、南がいなくても活動してたわね」
 眼鏡を直しながら、同じく先輩の賀田 柚果[かだ ゆうか]が答えた。
 背が高く、綺麗な茶髪の持ち主である。賀田はもっぱら面倒な書類を担当している。 今も、どうやらこの間の活動報告書を書いていたらしい。
「今は、南がいないとダメみたいだけど?」
 挑発でもするように芦澤に視線を送る。
「…しょうがないな。東都がいなくても大丈夫だってトコを見せてやろう」
「寺元先輩もいらっしゃらないのに、大丈夫ですの?」
「副部長の意地で何とかなる」
 姫木の心配そうな声に、芦澤はそう言って握りこぶしをつくり、あらぬ方向へ視線を泳がせた。
 同じく先輩の寺元 智貴[てらもと ともき]は、細身の外見とは裏腹に、 『バズーカ寺元』の異名を持つ程の対悪霊用武器のスペシャリストである。寺元も、今一つ やる気が起きないなどという、何ともふざけた理由で今日は来ていない。
「…まぁ、道具は特マルのついてないやつなら、一年でも一応は使えるはずだよな?」
 歴史のある悪霊退治部は、対悪霊用武器も数多く所持しているが、特マル指定のある武器は、 部長および武器担当者の許可がないと使用できない。その部長の許可というのも、 緊急事態意外は顧問印が必要な書類を提出しなければならないという、ややこしいものである。
「……芦澤先輩、マジでこの雨の中、行くんですか?」
 相馬が訊[き]くと、芦澤はもちろんだと答えた。
「東都抜きで、紫陽花少女に会いに行ってやろうじゃないか」
 芦澤のその言葉に部員+津野は、本当に大丈夫なのか? と内心逃げ出したくなっていた。





 宮が次に気がついた時には、手毬を持ったまま、庭に一人きりで立っていた。
 紫陽花の花が綺麗に咲いていて、青々とした葉っぱには、雨の滴[しずく]が光っている。
 暗い庭。
 しとしとと、雨が降っている。
 けれど、宮はなぜか雨に濡れていなかった。
 灰色の空。
 しとしと、しとしと雨は降る。
「ねえさま?」
 呼んでみても、返事はない。
 宮は辺りをくるりと見渡した。
 …知っている、はずの場所。
 けれど、何かが違う。
(コンナトコロ、シラナイ)
 思ったけれど、どうしようもなくて…
 途方に暮れた宮は、ふと、手毬をついてみた。
 チリン チリン チリン……
 中に入れてある鈴が、音を立てる。
 毬つきをしていれば、そのうちに姉様が迎えに来てくれるかもしれない。
 チリン チリン チリン……
 たぶん、きっと、迎えに来てくれるだろう。
 …姉様は、いつも優しいから。
 チリン チリン チリン……

 ひとめ
 ふため……



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