一向に止みそうもない雨の中、白露[はくろ]高校悪霊退治部[ゴーストバスターズ・クラブ] 副部長の芦澤[あしざわ]と、一年生のうち今日来ていた二人は、高台の神社に来ていた。
 ちなみに賀田[かだ]は、雨がイヤだと言って来ていない。
 石の階段を嫌になるくらい登ったところに、その神社は建っていた。境内には、 うっすらと色づき始めた紫陽花が植えられていて、それなりに綺麗な景色を映し出していた。が、 来るまでの途中、雨で濡れた階段はすべりやすくなっていて、 登るのにいつもより苦労させられてしまった。学校から近かったのが、せめてもの救いである。
「あー、雨だからやっぱ人いないなぁ」
 津野[つの]の呟[つぶや]きに、相馬[そうま]は確かにと思った。
 それなりに広い境内は、雨音の他はしんとして、人はおろかノラネコの姿も見えない。
「そうだよな…って津野、よく考えたら、どうしてお前がここにいるんだ?」
「いえーい」
「『いえーい』じゃなくてお前…」
「だって楽しそうじゃん」
「楽しそう…ってお前なあ」
「そうかそうか。じゃ、津野。お前ウチの部に入部しろ。そしたらいつでも出張活動できるぞ」
 横から芦澤が会話に割って入った。
 笑顔が何故か恐い。
「いや、それは遠慮しときマス。俺、体弱いから、文科系クラブなのに、 何故か毎日体トレがあるような部には入れませんよ」
 津野は入れられては一大事、と冷や汗をかきながらそう言った。
「いやいや大丈夫。体が弱いのなら鍛えればいいし。対悪霊用武器も使い放題だぞ」
 と、前を歩いていた姫木[ひめぎ]が振り返った。
「芦澤先輩」
 丁度いいタイミングで声をかけられ、津野は胸をなで下ろした。
「とりあえず、雨露のしのげる所へ行った方がいいと思うのですけど」
 だいぶん待つおつもりなのでしょう?
 そう問われ、一行は社の軒下で、紫陽花少女が出てくるのを待つことにした。





 宮[みや]は毬[まり]をついていた。
「ねえさまが、きてくれるから」
 ずっと、ずっと待っていた。
 きっと迎えに来てくれると信じて。
 けれど、ずいぶんと長いこと経っているような気がするのに、姉様は、まだ来てくれない。
(ドウシテ ドウシテ ドウシテ?)
 待っているのに。ずっとずうっと、待っているのに。
(ネエサマハ、キテクレナイノ?)
 そんなはずはない。姉様に限って、絶対それはない。
「ねえさまは、やさしいから」
(カアサマハ、コワイノ)
 大好きなのに、宮の事を嫌いって言った。
(トウサマモ、コワイノ)
 怒ったお顔で、宮を捨ててきてしまえって言った。
 ……でも。
(ネエサマハ、ヤサシイ)
 宮の事、大好きだよって言ってくれる。
 宮の頭をなでてくれる。
 宮を守ってくれる。
「ねえさまは、ぜったいにきてくれるから」
 時々、宮に声をかけてくるひとがいたけど。でも、そのひと達はみんな、姉様じゃなかった。
 だから、宮は毬をついていた。
 姉様を、ずっとずっと待っていた。





 ちりん……
 一瞬、雨音の中に鈴の音が聞こえたような気がして、相馬はがばりと顔を上げた。
「どうした? 相馬」
 隣で同じように座り込んでいた津野が、それに気づき声をかけてきた。
「今、鈴の音しなかったか?」
「すずぅ?」
 津野は訝[いぶか]しげに言って、顔をしかめた。
 ちりん……
「あ、また」
 言われて津野は、耳を澄ましてみた。が、はっきり言って雨音以外は何も聞こえない。
「…何にも聞こえねーけど」
 けれど、相馬の耳には確かに鈴の音が届いていた。
「どうかしたか?」
「芦澤センパイ、コイツ耳がどーにかなったみたいで…」
「鈴の音が聞こえるんです」
 津野を無視して、相馬は芦澤に告げた。
「鈴の音?」
 ちりん ちりん ちりん……
「ほら、聞こえませんか?」
「……いや、聞こえんが」
「そんなはずは…」
「聞こえますわ」
 相馬の言葉をさえぎって、姫木が言った。
「確かにこれは鈴の音ですわね。何か、一定のリズムで……」
「そう、向こうの方から…」
 相馬が言って指をさした瞬間、その少女は境内に現れていた。
「え…」
 噂どおりの着物姿。幼いその姿は、確かに小学校低学年と言えるだろう。それに黒髪のおかっぱ頭。 毬をつく度にしゃらしゃら揺れる。ちりんという鈴の音は、 どうやらその手毬から聴こえてくるらしい。
「…『紫陽花少女』だ」
 津野が呆然[ぼうぜん]とつぶやいた。
ひとめ、ふため……
 少女のか細い声が聴こえた時、芦澤は、はっと我に返った。
「歌を聞くな、全員耳を塞[ふさ]げ!」
 だが、耳を塞いでも、少女の声は消えなかった。
 耳というより、頭に直接響いている。
「センパイ、耳を塞いでも聴こえるんスけど…」
 顔色を失[な]くして津野が言う。それは芦澤も感じていたが、どうする手立てもない。まさか、 こうもタイミング良く現れるとは思っていなかったのだ。
 ……歌が、終わる。
 気丈な姫木も、思わず芦澤の服の裾[すそ]をつかんでいた。
 少女は毬を手に、くるりと振り向く。
 ちりん……
 手毬が音を立てた。
「…相馬、捕獲網、あるか?」
 芦澤が低い声で問う。
「え、あ、はい。あります」
 ごそごそと荷袋から取り出す。
「それで紫陽花少女を捕獲しろ」
「え? 先輩俺、これの扱い方教えてもらってな…」
「このまま呪われたいか?」
 ぎくり、と固まった相馬は、ぎこちなく首を横に振った。
 すっ、と少女がこちらに近づいて来た。
「貸せっっ」
 芦澤は捕獲網発射装置を相馬からぶん取ると、近づく少女に照準を合わせた。
ねえさま……?
 少女の声が聴こえたと同時に、芦澤は捕獲網を発射した。
 静電気が起きたのを大きくしたような音が空を裂き、一瞬、光が迸[ほとばし]った。



「…どう、なったんだ?」
 相馬は光に灼[や]かれた目を周りに何とか慣れさせようと、何度もしばたかせた。
 耳は、雨音しか伝えてくれない。
 やっと慣れた目で最初に見た物は、捕獲網に絡[から]まっている少女だった。手毬が、 少し離れた所に転がっている。
「助かった…のか?」
 ほっと安堵のため息を吐いて、相馬は俯[うつむ]いた。一時はどうなる事かと思ったが……
 が、その時、ひっ、と息を呑む声が聴こえた。
 何事かと相馬が顔を上げると……
(嘘だろ?)
 確かに捕らえていたはずの網が消え……。
 まるで、硝子[がらす]のような瞳をした少女が、こちらを睨[にら]んで立っていた。





 宮は、手毬をついていた。
 姉様に教えてもらった数え歌を歌って。
 歌い終わったとき人の気配がしたから、振り向くと、家の軒下に四人の知らない人がいた。
 着ているのは、おそろいみたいだったけど、変な服だった。宮の着ているみたいな、 着物ではない。
 でも、その中にひとり、女のひとがいた。
 だから宮はもしかしてと思って、声をかけてみた。
「ねえさま……?」
 けれど……
 突然、雷様に似た大きな音がして、その次の瞬間には、宮の上に何かが降ってきた。
(……?)
 宮はびっくりして、手毬を落としてしまった。
 あ、と思う間もなく、降ってきたそれが、宮にまとわりついてきた。
 体が、思うように動かない。
(ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ?)
 どうしてこんな目に遇[あ]わなければならないのか。
 自分は何もしていないのに。
 宮は待っているだけなのに。
 姉様を、待っているだけなのに。
(ドウシテ?)
 昏[くら]い感情が、宮の中で頭をもたげた。
(ドウシテミヤノ、ジャマヲスルノ? ドウシテミヤヲ、イジメルノ?)
 宮は、何も悪くないのに。
 悪いことなんてしてないのに。
 それは多分、怒りとも呼べる感情。
 宮にこんなことをするなんて、絶対姉様じゃない。
(ネエサマジャナイ。ネエサマジャナイ。ネエサマジャナイ)
 知らないひと。
 宮をいじめるひと。
(ユルサナイ。ミヤヲ、イジメルナンテ、ユルサナイ)
 そして怒りは、力となる。
 宮にまとわりついていた物は、霧散した。
「ゆるさないから」
 宮は雨の中、ゆっくりと立ち上がった。



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