ゆるさないから
 そう静かに告げた瞬間、少女の黒髪が、風もないのにふわりと宙に漂った。
 そして、少女の瞳がキラリと光った瞬間……
「!?」
 体が、動かなくなった。
 呼吸すらもできない。
 もがきたくても、指の先がぴくりとも動かない。このままではやがて、 窒息[ちっそく]死してしまうかもしれない。しかし、自分にはどうする術[すべ]もない。
 …だが、相馬[そうま]がもう駄目かと思った時、
「てえいっっ」
 という威勢[いせい]のいい声が聴こえ、体の呪縛[じゅばく]が解けた。
 いきなりの大量の空気に、ごほごほと咳[せ]き込む。 苦しみながらも上げた視線のその先にいたのは……
「東都[とうづ]、先輩……」
 傘[かさ]を放り出し、長い髪を雨に濡らしながらも毅然[きぜん]と立つ、 白露高校[はくろこうこう]悪霊退治部[ゴーストバスターズ・クラブ]部長、 東都 南[とうづ みなみ]だった。
 その隣には、おぼろげな、のえの姿もある。
大丈夫ですかぁ?
 のえが、表情を変えずに訊[き]いた。
「どうして、部長が…?」
 姫木[ひめぎ]の問いに、東都は傘[かさ]を拾って答えた。
「のえさんが、知らせてくれたのよ。…ったく、『触らぬ神に祟[たた]りなし』だっていうのに」
「…東都、今のはどうやって祓[はら]ったんだ?」
「ああ、あれ? 塩よ塩。決まってるでしょ? …んとに、芦澤[あしざわ]も副部長なんだから、 塩ぐらい持ってなさいよね」
 塩の袋を芦澤に見せながら、東都はそう言った。
「でもあれは一時的なものだから、ぐずぐずしてるヒマはないわよ」
「えーっ? 東都サン、あれで祓ったんじゃないんスか?」
 津野[つの]が眉をしかめて問うと、東都はもちろん、と頷[うなず]いた。
「自分で蒔[ま]いた種は、自分で刈ってもらうわよ。…っていう事で相馬、 あの紫陽花と同調しなさい」
「え? あの…」
 境内に植わっている紫陽花を指さして言う東都に、相馬はぱちくりとまばたきをした。
「何のために毎日毎日、精神統一の練習してると思ってるの? この中じゃあ、 あんたが一番適してるんだから、早くやりなさい」
 東都に促されて、得心のいかないながらも相馬は紫陽花のもとへと向かった。他の者は、 傘の下で興味深げに二人を見守っている。
「どうするんですか?」
 紫陽花の前で問う相馬に、東都は傘をさしてやりながら言った。
「紫陽花の上に手をかざして。そう。あとはいつもみたいに精神を世界に広げるの。今回は、 紫陽花と一体となるのよ。紫陽花の記憶を、自分の中に取り込むの。相馬ならできるはずよ」
 こともなげに言うが、実際にそんなことができるのだろうか。
 相馬は訝[いぶか]しがりながらも、東都に言われた通りにした。呪い殺されたいのか?  と言われれば、拒否権はない。腹をくくって実行するのみである。
 深呼吸をして気持ちを整える。
 目を閉じ、自分の感覚を世界に広げる。
 雨の音。虫の鳴き声。どんな些細[ささい]なことも、感じ取れるように。
 やがて、自分の輪郭[りんかく]が溶けてゆくような錯覚[さっかく]におちいる。
 すべてが、自分であるような感覚。
 すべてが、自分でないような感覚。
 世界と自分が混ざり合う。
 が、今回は、それが少し妙である。
 しかしそれが明確な意識となる前に、相馬は紫陽花と同調していた。





 歌が、聴こえる。
 あれは…数え歌?
 それが『紫陽花少女』の声だと気づいた途端、その映像が見えた。
 毬をつく、少女。
「みやーっっ」
 その声に、少女は毬[まり]つきを止めて顔を上げた。
「ねえさま?」
 辺りを見回して声の主を見つけると、うれしそうに駆け寄る。
 少女を呼んだのは、黒髪の美しい娘だった。ぱっと見た所、 全体の顔立ちはあまり似ていないようだったが、ただ一箇所、 くっきりと縁どられた瞳の形だけがよく似ている。娘は少女が駆け寄るのを、 優しい笑顔を浮かべて見ていた。
 だが…
 ドスッッ
「あ……?」
 一瞬、だった。
 娘の手に刃がきらめき、次の瞬間には、それが少女の胸に深々と突き刺さっていた。
「ね……さ……」
 そのまま少女は、娘の腕の中へと倒れ込んだ。
 息は、すでにない。途端に、娘の顔から表情が消えた。
 表情を失った娘は、まるで胡粉[ごふん]で塗り固められた人形のように見える。
「おお恐ろしい」
 娘に付き添っていた少し老けた女が、そう言って着物で口元を隠した。
「片方しか血のつながりがないとは言え、仮にも妹君であろうに」
 だがその声色には、哀れや悼[いた]みなど少しも現れてはいない。
「椿[つばき]」
「失礼致しました」
 娘が名を呼ぶと、女は頭[こうべ]を垂れた。
 それを冷たい瞳で見ると、娘は少女を抱いたまま紫陽花の木の前まで歩く。 そのまま少女をそっと地面に下ろした。
 と、無言で刀を抜く。
 まだ温かい、赤い液体が飛び散り、地面にしみ込んでゆく。
 娘はそれを見ると、女に告げた。
「椿、宮をここへ埋めておいて」
「はい」
 女が返事をすると、娘は立ち上がり、そのままどこかへ行ってしまった。
「…まったく、雪様も人使いが荒い。妹殺すんなら、ご自分で最後までやりゃあいいのにさ」
 こんな小娘、わざわざ埋めなくったって、そこら辺の土手にでも捨ててくりゃあいいのに。
 娘の姿が見えなくなると、女はぶつくさ文句を言いつつ少女の亡骸[なきがら]を埋めた。 そして自分の仕事を終えると、女もさっさとどこかへ行ってしまった。
 そして、映像は消える。
 たが暗闇の中、相馬は誰かのすすり泣く声を聞いた。
 星明り。誰かがしゃがんでいる。
 あれは、誰だ?
「ごめんね、ごめんね……宮」
 この声は確か…
「雪様?」
「…誰?」
「私です。あの…」
 年老いた男の声。
「庭師、の…」
 雪は震える声で呟[つぶや]くと、わっと男に泣きついた。
「雪様、一体どうなすったんです?」
「私、宮を、宮を……」
 殺してしまったの。
 消えるような声でそう告げると、雪はしばらく泣いた。泣いて泣いて、だいぶん落ち着くと、 雪はぽつりぽつりと語った。
 その、行為の理由[わけ]を。


 父親は、宮が嫌いだった。……宮は、本当の自分の子供ではなかったから。
 母親も、宮を疎[うと]んだ。宮を見る度[たび]、折檻[せっかん]した。……宮の事で、 他の者からさんざん苛[いじ]められていたから。
 宮は、この家ではいらない子供だった。
 そして、とうとう宮を売るという話が持ち上がった。
 暮らしに不自由をしていたわけではないのに。ただ、望まれていない子供だというだけで。
 だから……
「…だから、私は宮を殺したの」
 売られる前に。あの子が、これ以上傷つく前に。
 そう言って、雪は静かに泣いていた。





「相馬っっ!?」
 切羽[せっぱ]詰まった声で呼ばれて相馬が目を開けると、眼前には紫陽花の植木が迫っていた。
「うわっ!!」
 驚いてのけぞると、相馬はその反動で尻餅[しりもち]をついてしまった。
「……ってぇ」
「大丈夫? 相馬」
 見上げると、東都が心配そうに見下ろしていた。
「えーっと……?」
「こんな早く同調した奴も初めてだけど、同調でぶっ倒れた奴も初めて見るわ」
 相馬が立ち上がりながら視線で問うと、東都はあきれたように言った。
「相馬ぁ、大丈夫か?」
「ああ、まあな。……なぁ、どのくらい時間が経ったんだ?」
 近づいてきた津野に、相馬はそう訊いた。
「は?」
「いや、だから…」
「一分経ってないわよ」
 不可解な表情をする津野に、自分の意図を説明しようとすると、横で東都がさらりと言った。
「同調にかかった時間でしょ? あれから一分も経ってないわよ」
 相馬に笑みを向ける。
「夢と同じよ。一瞬の間に様々なものが見えるの。本当は時なんて関係ないものなんだけどね。 …で、どうだった?」
 興味津々な東都に、相馬は同調で見えたものを話した。



「キーワードは『雪様』ね」
 難しい顔をして、東都が呟いた。
「あの少女も不幸でしたのね」
「不幸だからって呪いをかけられちゃ、たまったものじゃないがな」
 姫木の言葉に芦澤はそう応えて腕を組んだ。
私もそこまでは知りませんでしたぁ
 いつもよりも更に細い声で、のえも言う。
「でも、どうして宮ちゃんは現れるのでしょう? 雪さんの方が自分のした事を悔やんで、 この世にとどまっていらっしゃるというのならば、わからなくもないのですけど」
 姫木は心底不思議そうに首をかしげた。
「『宮は姉様を待っているの』か…」
「…何ですか? それ」
 東都の呟きに相馬が問いかけた。それに応えて東都が顔を向ける。
「資料に載ってた紫陽花少女の言葉よ」
「資料? 何だそれは」
 聞いた事ないぞ、と芦澤が眉を寄せた。だが東都は、水を流すように答えた。
「部長は絶対に読破しないといけないっていう、今までの悪霊退治部の活動記録よ」
「活動記録?」
 芦澤はさらに怪訝[けげん]な顔をする。
「そうよ。もーすっかり黄ばんだ冊子を、延々と読まなきゃならなかったのよ。 仮名づかいも昔のとか入ってて、読みにくいったらありゃしなかったわよ」
 五十冊は軽くあったんだから、と憤然[ふんぜん]と答える。
「それに『梅雨の紫陽花少女』の事もちゃんと載ってたのよ。だいたい、 あれだけ有名な怪談を先輩方が放っておくはずないのよね」
「けど、そんな資料があったんなら、ひとこと言ってくれれば…」
 恨みがましく言う芦澤に、東都はあら、と厭味[いやみ]な視線を投げた。
「あたしだって、事前にここに出張活動に出るって聞いてれば、 それなりにちゃあんと言うつもりだったわよ?」
 言外に責められて、芦澤は言葉につまった。
「で、東都先輩。その資料には何が書いてあったんですか?」
 見かねて相馬が話題を戻すと、東都は真剣な面持ちでその問いに答えた。
「『宮ちゃん』から聞き出した事よ。紫陽花少女は、下手にちょっかいをかけなければ、 害のない幽霊なのよ」
「でも部長、噂では数え歌を聞くと呪われるとありますわ」
 姫木の言葉に東都はいいえ、と首を振った。
「呪いなんてないわ。それはただの噂よ。実際、先輩も呪いなんてかかってらっしゃらないし」
「そんな、東都サン、俺たちさっき、マジで死にかけたんですよ?」
「津野ちゃん、あたしは『下手にちょっかいをかけなければ』って言ったのよ? 先に 手出ししたのは、あなたたちじゃないの?」
「それは…」
 東都の正論に返す言葉もなく、津野と部員はうなだれた。
「まあ、今はそんなことより…相馬」
 呼ばれて相馬は顔を上げる。
「『雪様』の顔立ちとか、ちゃんと覚えてる?」
「はい、だいたいは。でもそれが何か?」
「覚えてるんならいいわ。あたしが言ったら、雪様のヴィジョンを思い浮かべなさい。いいわね?  …返事は?」
 東都が少し冗談ぽくそう訊いた瞬間、突然空間が歪[ゆが]んだ。
「な……!?」
 不意を突かれ、対処が遅れる。
 歪みの元は―――――境内の、中心。
 ゆらり、と何かが形を成してゆく。
「……来たわね」
 霧雨[きりさめ]の中、再び少女は現れた。





(…ミツケタ)
 許さない。絶対、許さない。許してなんて、やらない。
 宮をいじめた。宮をいじめた。宮を、いじめた。
 宮よりも大きなひと。
 姉様と同じくらいか、ひょっとすると姉様よりも大きいひと。
 宮をいじめた。
 姉様を待っていたのに。
 待っていたのに。待っていたのに。
 なのに邪魔をした。姉様を待つ、邪魔をした。
(ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイ)
 宮の心は怒りに染められていた。昏[くら]い昏い炎が燃えていた。
 あのひとたちは邪魔をした。
 宮の中では姉様を待つことは、『いちばん大切なこと』だったのに。……それを、邪魔した。
 それは、宮にとって許されないこと。制裁を与えるべきこと。
 怒りにまかせ宮が力を放とうとした時、突然ひとりの女のひとが、 何かを言って別のひとりの手をにぎった。
「相馬っ!!」
 女のひとが叫んだ瞬間、大きく空間がねじれて……
「あ……」

  ――――――――――――――――――――そこには、姉様が、立っていた。

 白い肌。『雪様』と呼ばれるのにふさわしいくらいの。
 黒い髪。さらさらと音が鳴るような綺麗な黒髪。
 そして……やさしい、笑顔。
 やさしい、やさしい笑顔。
 ぞくり、悪寒が走った。
 どうしてだろう。姉様なのに。姉様なのに。
 駆け寄って行きたいのに。
 いつもみたいに駆け寄って。
 駆け寄って……
 ずきん。
 どこかに痛みが走った。……どこかに。
 ずきん。
 どうして痛いんだろう。
 どうして……
「…ねえさま?」
 そうっと呼んでみた。
 綺麗なお顔。お人形様みたいな。
「宮」
 自分を呼んでくれるやさしいお声。やさしい、やさしい……
 ――――けれど、何かが引っかかった。
 姉様なのに。姉様なのに?
 姉様、なのに……
 チリン……
 手にした毬が音を立てた。
 それが、合図。
 途端、かけめぐる映像。色づいた紫陽花。姉様のやさしい笑顔。
 そして。そして……
「イヤァ ――――――――――――――――――――――――ッッ」
 手毬が落ちて、チリリンと音を立てた。



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