← →
※
境内の中心にゆらり、と現れた少女は、静かながらも周りに怒りを撒き散らしていた。 手の中には見事な刺しゅうの手毬[てまり]。風もないのに漂う、黒い髪。
「どうするんだ? 東都[とうづ]」
一年が呆然[ぼうぜん]と声も出せずにいる中、芦澤[あしざわ]は小声で東都に問うた。
「一か八かよ。相馬[そうま]、雪様を思い浮かべなさい」
東都はそう言うと相馬の手を握った。
「え? あの…」
「相馬っ!!」
東都の切羽[せっぱ]詰まった声に、相馬はよくわからないながらも、 言われるままに雪のヴィジョンを思い描いた。
と、その途端。大きく空間がねじれ……
「!!」
相馬の思い描いたままの雪が、境内に現れていた。
「な……!?」
「相馬、意識を集中しなさい! じゃないと、『雪様』を保ってられないわ」
何が何だかわからなかったが、東都の咎[とが]めに、 相馬はとりあえず自分に与えられた仕事に集中した。
残りの者たちは、突然現れた雪に目がくぎづけになっている。
「…ねえさま?」
少女が小さく問いかけた。
「相馬、雪様の声を思い出して」
東都の要求に、相馬が思い浮かべると…
「宮」
境内に立つ雪がひとこと声を発した。
少女は戸惑う様に、一歩踏み出した。
ちりん……
手毬が音を立てる。
と……
「イヤァ ―――――――――――――――――――――――― ッッ」
少女が絶叫し、突然に空気の塊[かたまり]が襲[おそ]ってきた。
「うわっ」
塊がモロにぶつかり、相馬は派手にぶっ飛ばされる。
東都の手が離れると同時に、雪がふっ、とかき消えた。
「相馬!!」
地面にしたたかに打ちつけられた相馬に、津野[つの]が駆けつけようとするが、 横から来た衝撃に津野自身も飛ばされてしまった。
「相馬、津野ちゃんっ!! きゃ…」
東都は足を踏ん張り、何とか衝撃に耐える。自分よりも力のない姫木[ひめぎ]は? と見ると、 芦澤の背にかばわれていた。
「ネエサマ……ネエサマ……」
相馬が起き上がると、そこには放心した少女の姿があった。
瞳の焦点が合っていない。だが、決して雨に濡れるはずのない少女の頬[ほほ]には、 ひとすじの光があった。
…まさか。
(泣いてるのか?)
紫陽花少女が。――――――――――『宮』が。
「ウソ、ウソ、ウソ。イヤダ、 ネエサマ……ネエサマ……」
目に見えない衝撃に、木々がなぎ倒される。
「東都先輩、これは一体…?」
相馬の問いに、東都は周りを警戒しながら答えた。
「暴走してるのよ。『紫陽花少女』が」
芦澤も振り返り問う。
「東都っ、何とかならないのか?」
「どーにもこーにも、あたしの手には負えないわ」
傘[かさ]を飛ばされ、全身ずぶ濡れになりながらも必死で耐える。
「イヤアァァァァアアァァァッッ」
少女の叫び声と共に、一瞬閃光[せんこう]が走った。
「うわっ!!」
いきなりの事に目が眩[くら]む。
ゴロゴロと鳴る音に、それが雷だと気づいたのは後のこと。
ようやく見えるようになった目にぼんやりと映ったのは、紫陽花少女と、 その傍[かたわ]らに佇[たたず]む女性の姿だった。
※
(ドウシテ ドウシテ ドウシテ?)
宮は、疑問符の嵐の中にいた。
浮かび上がった記憶を信じられないでいた。
一方ではそれを事実だと認めているのに。……わかるのに。
なのに、どうしても信じられないでいた。
だって。
(ネエサマガ、ソンナコトヲスルハズハナイ)
姉様は、優しいのに。
宮を、「大好きだよ」って言ってくれたのに。
なのに、そんなことするはずない。
でも。
(ナラバ、ドウシテコンナニイタイノ?)
ずきん、ずきんと傷が疼[うず]く。
しっているのだ。本当のことを。
けれど。
(チガウ。チガウ。チガウ)
姉様に限ってそんなことはない。
だけど。
でも。
重なり合う、否定語の山。
(ドウシテ ドウシテ ドウシテ?)
吹き荒れる、疑問符の嵐。
「ネエサマ……ネエサマ……」
そしてたどり着く、ひとつの考え。
(ネエサマハ、ミヤガキライナノ?)
優しい姉様は。姉様まで。
姉様まで宮が嫌いなのだろうか。
母様[かあさま]が「嫌い」だと言っていたみたいに、姉様も宮のことを嫌いだったのだろうか。
宮を「いらない」と。
「ウソ、ウソ、ウソ。イヤダ、ネエサマ……ネエサマ……」
混乱する、精神[こころ]。
届かない、心[おもい]。
(ネエサマハ、キテクレナイ)
どんなにどんなに待ったとしても。
姉様は宮が「嫌い」だから。
――――――宮を、「キライ」って。
(…ミヤハ、ヒトリ、ナノ?)
誰も「いらない」というのだろうか。
誰も、誰も、誰も……
「イヤアァァァァアアァァァッッ」
宮の叫びに応えるかのように、稲妻[いなづま]が、辺りを染めた。
その瞬間、唐突[とうとつ]に現れたのは。
…ずっと待ち続けた、気配。
姿は違うけれど。
ずっと年をとっているけれど。
けれど。
「……ねえ、さま?」
訊[き]くと、そのひとは何も言わずに涙を流した。
頬から雫[しずく]が落ち、地面に飛び散る。
堪[こら]えきれずにもれる、嗚咽[おえつ]。
そして。
「ごめん、ごめんね……宮」
そのひとは、宮をだきしめてくれた。
※
「あれは、誰なんだ?」
芦澤の呟きが聞こえた。
見たところ、三十代ぐらいだろう。白い肌に黒い髪。着物を纏[まと]った女性は、 突然に紫陽花少女の傍[かたわ]らに現れていた。
少女は呆然と、その女性を見上げている。不思議なことに、 あれほど激しかった力の暴走はぴたりと治まっていた。
細かな雨粒が、空からさらさらと落ちてくる。
まるで霧のように、さらさらと。
「……ねえ、さま?」
少女の口から小さな声がもれた。
問いかけるような。
すがるような。
驚きやほんのかすかな希望やそんな色々なものが複雑に入り混じった、そんな、声。
「あ……」
姫木が小さく声を上げた。
つ、と女性の頬に光る道筋ができる。
ぽたり、と雨ではない雫が落ちた。
俯[うつむ]き、肩を震わせる女性。
小さな嗚咽が聴こえる。
「……もしかして」
雨音に混ざり、東都は知らず呟いていた。
「あれは……」
女性が顔を上げる。視線の先には、紫陽花少女が立っていた。
「ごめん、ごめんね……宮」
そう言って少女を抱きしめる。
「雪、さん?」
津野が起き上がり、嘘だろ? と口にのせる。
この神社が屋敷であったのはずいぶん昔の事。雪が生きているはずはない。
けれどあの女性にある、若い雪の面影は。
あの涙は。
(雪、さん……)
雪もまた、この世界に留まっていたのだろうか。
自分の妹を思って。
自分の罪を思って…
「ねえさまは、みやが『きらい』じゃないの?」
抱きしめられたまま、細い声で少女が尋ねた。
その言葉に、女性は一瞬びくり、と震えた。
「……きらい、なの?」
泣きそうな声を、少女は紡いだ。
その声に女性は激しく首を振る。
「違うわ。私は宮が嫌いなんかじゃない。大好きよ。 …でも、きっと私にはこんな事を言う資格はないわね。……ごめん、ごめんね。宮」
涙をはたはたとこぼす。
「ごめん。ごめんなさい…」
さらさらと落ちてくる雨に混ざって紡がれる、悲しいほどの想い。
少女は、しばらくしてそっと顔を上げた。
「わかった。いこう、ねえさま」
言って、にこりと笑む。
「……宮?」
「いこう、ねえさま。みやは、ねえさまをまってたの」
少女はそう言って手を差し出した。
ちりん、と鈴が鳴る。
「だいじょうぶ。みや、わかったの。 いっしょにいこう、ねえさま」
少女に言われ、女性は戸惑いながらも、小さな手のひらに自分の手を乗せた。
少女の顔が、輝く。
そして……
※
宮をだきしめてくれた。
宮をだきしめてくれた。
姉様が。姉様が。
姉様が、宮をだきしめてくれた。
姿は違うけれど、宮にはわかった。
(コノヒトハ、ネエサマダ)
理屈とかそんなものではなくて。ただ、わかった。
でも。
「ねえさまは、みやが『きらい』じゃないの?」
どうしてだきしめてくれるのだろう。
姉様は、来てくれないと思ったのに。
思ったのに……
けれど宮が訊くと、雪は一瞬びくりと震えた。抱きしめられている宮には、 それが直[じか]に伝わる。
「……きらい、なの?」
ずきん、とどこかが痛んだ。
やはり、姉様は宮が嫌いなのだろうか。
「……違う」
雪は小さく呟いた。激しく首を振る。
「違うわ。私は宮が嫌いなんかじゃない。大好きよ。…でも、 きっと私にはこんな事を言う資格はないわね。……ごめん、ごめんね。宮」
雪の目からこぼれる、熱い水が宮に落ちた。
(ネエサマガ、ナイテル……)
姉様は、宮のことを嫌いじゃなかった。
だって宮のことをこんなに想ってくれる。
宮は、嫌われてなかった。
宮は……
「ごめん。ごめんなさい…」
はたはたとこぼれる熱いしずくを受けて、宮は唐突[とうとつ]に理解した。
自分がここにいる理由[わけ]を。
自分がするべきことを。
やはり宮は、姉様を待っていたのだ。
宮はそっと顔を上げた。
「わかった。いこう、ねえさま」
姉様は来てくれたのだから。
「……宮?」
「いこう、ねえさま。みやは、ねえさまをまってたの」
迷ってどこにも行けなくなった雪を。
優しい優しい姉様を。
宮は雪に手を差し出した。
チリン……
もう片方の腕に抱えた手毬が音を立てる。
「だいじょうぶ。みや、わかったの。いっしょにいこう、ねえさま」
大丈夫。何があっても、絶対一緒に行くのだから。
雪は、それがわかったらしく戸惑っていたが、結局は宮の小さな手のひらに自分の手を置いた。
宮はそれに安心する。ぎゅっと雪の手を握った。
途中で、はぐれたりしないように。
そして、向かう。
自分の行くべき所に。
自分が在[あ]るべき場所[ところ]に。
……やっと。
BACK NEXT
TOP CLOSE NOVELS MAISETSU