「あ……」
 雨の中、二人の姿は忽然[こつぜん]と消えた。音もなく、本当に突然に。
「…どう、なったんだ?」
 相馬[そうま]の呟[つぶや]きに応えは、ない。
 そこにあるのは、さらさら落ちてくる雨粒の音。
 辺りを見渡すと、ただ、色づき始めた紫陽花[あじさい]が雨粒に光っていた。



「あ、相馬。風邪治ったんだ」
 部室の戸を開けた途端[とたん]、相馬は賀田[かだ]の声に迎えられた。
「はい。まだ本調子じゃないんですが」
 言いながら部室を見回す。普段は騒々しいのだが、今日は賀田の他には誰もおらず、 がらんとしている。
「賀田先輩、他のみんなは?」
 相馬の問いに、賀田は走らせていたペンを止めて答えた。
「浜松[はままつ]、石原[いしはら]、橋塚[はしづか]はトレーニングするとかで、 渡瀬[わたせ]やんに連れられて校舎の中走ってるはずよ。 寺元くんは例のごとく五限からフケて早退したって。 南[みなみ]と芦澤[あしざわ]くんは書類もらいに行ってるわ。もうすぐ帰ってくると思うけど」
「姫木[ひめぎ]は?」
 問うと、賀田はさあ、と首を傾[かし]げた。
「どうなのかしらね。昨日は休んだって聞いてるけど、今日は見てないから何とも言えないわ」
 賀田が言い終わると同時に、廊下からにぎやかな話し声が聴こえてきた。
「噂をすれば何とやら、ね」
「…みたいですね」
 あの声は間違いなく部長と副部長だろう。
 声が近づき、戸がガラリと開けられる。
「あれ? 相馬じゃない。もう復活したんだ?」
 笑顔で言う東都[とうづ]の後ろから、芦澤が顔を出した。
「よう、相馬。お前も休んでたんだってな」
「『お前も』…って、ひょっとして先輩も休んでたんですか?」
「ああ。久々に39度の熱が出たんでな」
 そう言って芦澤は苦笑した。
「神社に行ったメンバーで、昨日来てたのは南だけだったのよ」
「え? 東都先輩。風邪、ひかなかったんですか?」
「まーね、それなりに対処はしたから。だって、悪霊退治部の部長が幽霊浄化で風邪ひいてたんじゃ、 ちょっと情けないでしょ?」
 もらってきた書類を賀田に渡しながら言う。
「そういえば相馬、津野[つの]ちゃんは?」
 訊[き]かれて相馬は、部員でもない情報通、もとい噂好き男を思い浮かべた。
「あいつは今日も休んでましたよ。担任が、熱40度あるって連絡受けたとか言ってましたから」
「40度? それは津野ちゃんも大変ね」
 他人事[ひとごと]よろしく言ってのける。
「まあ、あいつの場合は自業自得[じごうじとく]としか言いようがないんですけど」
 あの後、津野はどうせこれだけ濡れたのだから、 とずぶ濡れのまま傘もささずに街をうろうろしていたらしい。
「……ちょっと南ぃ。この解読し難[がた]い字は何?」
 書類に目を通していた賀田が、ふいに声を上げた。
「賀田先輩、それ、何の書類ですか?」
「『紫陽花少女の数え歌』よ」
 相馬の問いに、東都が答える。
「数え歌…って例の呪いの?」
 その反応に、東都は手を腰に当てた。
「相馬、あたし『呪われてなんてない』って言わなかった? それはただの数え歌よ」
「…それにしても読みにくいわね」
 書類を眺めながら賀田がぼやく。
「ちゃんと読めるのか?」
「うーん、ちょっと難しいわねぇ」
「貸してみて、読んだげるから」
 見かねて東都が手を出した。
「えーっと、『ひと、め ふた、め みやこ…し よめ、ご? いつやの む……か、し ななやの  や、つし ここ……のや とお?』…だと思うけど。本当に読みにくいわね、これ」
 古い書類に顔をしかめて言う。
「読めるだけでも十分よ。さすが南ね」
 書類を手渡されながら、賀田はそう言った。
「それにしても、紫陽花少女はどうなったんですかね」
 突然に消えてしまった姉妹。
 果して成仏できたのだろうか。それとも、またあの神社に現れるのだろうか。
 東都がぽつりと呟[つぶや]いた。
「たぶん、自分が在[あ]るべき所に行ったのよ」
「『あの世』っていう事ですか?」
 相馬が訊くと、東都はわからないと首を振った。
「あの世かもしれないし、この世の別のところかもしれない。次元の違う世界かもしれないし、 あるいは世界に溶けたのかもしれない。それは、自分が死ぬまでわからない事よ、きっと」
 そう言って窓の外を眺める。
「でもきっと、紫陽花少女はもう出て来ないわね。宮ちゃんの願いは叶ったんだから」

『宮は姉様を待っているの』

 雪はやっと、宮の元に現れたのだから。
「さ。とっとと着替えて渡瀬やんに合流しなきゃ。相馬、 病[や]み上がりだったら無理しなくていいから」
 幽霊退治部は文化系クラブだが基本は体力づくりにある。雨でグランドは使えないのだが、 体がなまってはいけないので、今日は校舎内でのトレーニングが入っている。
「俺も、今日はちょっと見学するかな」
 芦澤の一言に、東都が反応した。
「何言ってるのよ。副部長がそんなのでどうするのよ。芦澤はきっちりやってもらうわよ」
「ちょっと待て東都。相馬と待遇が違いすぎないか?」
「違うも何も、上級生が何言ってるのよ」
 東都と芦澤の口げんかを聞き流しながら、相馬は窓の外に視線をやった。空の低いところで、 重々しい灰色の雲がたゆたっている。もうしばらく梅雨が続くのだろう。
 校庭では、紫陽花が雨に色づき、大きな花を咲かせていた。
(雨に咲く花、か)
 そして雨が上がれば、もうすぐ、青い夏がやって来る。

The End.



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