ひてんおとぎぞうし
飛天御伽草子
よ く き い ん つ い
翼姫イン墜




 高い天井[てんじょう]。それ自体、細かな模様の一部となっている天窓が、 空からの光をほのかに導いている。そのほのかな光は、やわらかく部屋を満たしていた。明るすぎず、 だからといって暗すぎもしない光量。計算しつくされたような明るさ。
 部屋の中は香でも焚[た]いてあるのか、知らないがいい匂いがしていた。 雨上がりの野原にいるような、そんな感覚。素足にふれる、敷[し]かれた冷たい石も気持ちいい。
 静けさの中で、少女はまどろんでいた。この部屋に入る前にあった、 緊張や言葉にできないどきどきは、嘘のように消えていた。目の前に座しているのは、 滅多[めった]に姿を見ることもかなわない、高貴なる者のひとりであるというのに。
 だが、そんな事すらも関係がなかった。あまりにも気持ちが良すぎて、 このままここで眠り込んでしまうかもしれないとすら、ぼんやり思っていたのだ。
 けれど、高貴なる者は突然に言葉を送った。
『お前は、下の世界に降り立つね』
(え?)
 告げられ、黒髪の少女はきょとりとした。心地よいまどろみから、するりと抜け出す。
「大ばば様?」
 ややあって、のどから出てきたのは困惑[こんわく]した声。
『お前が見えるのは浮島[ここ]じゃあない。あたしも初めて視[み]る……下の世界だ』
 けれど、脳裏に響くその声は淡々と告げる。
『縷紅[るこう]の影糸[えいし]。お前は、下の世界に降り立つよ』






「ねえねえ影糸。大ばば様、どんな未来が見えたって?」
 大ばば様の未来予知が終わるないなや、珍しい淡青色[たんせいしょく]の髪を結い上げた少女が、 影糸の元に駆け寄った。かわいらしい顔立ち。うきうきと親友の予言を問いかける。 子供は十歳になると、大ばば様より祝いに自分の未来の一部を教えてもらえるのだ。
「白綺[しらぎ]……」
 だが影糸は、ぼんやりと親友の名を呟[つぶや]いた。
「あたし、下の世界に行くんだって」
「……へっ?」
 わけがわからないというような表情をする白綺に、影糸は重ねて言った。
「あたしは浮島[エンシリアム]じゃないどこかにいるんだって」
「何それ?」
 言って白綺は顔をしかめた。
「そんな事、あるわけないじゃない。影糸がここを出るなんて、考えられないわよ」
「…そう、だよね」
 白綺の言葉に影糸は頷[うなず]く。そうだ、だってそんな事、 万が一にもあるはずがない事なのだから。
「だって、影糸は邑[ゆう]様みたいな薬師[くすし]になるんでしょう?」
「うん」
 迷わずに言う影糸に、白綺はにっこりと笑んだ。
「だったらきっと、大ばば様が先見[さきみ]に失敗したんだわ。大ばば様、 あんまりいっぱいの飛天[ひてん]の先見をしたから、きっと、こんがらがっちゃったのよ」
 その言い方がおかしくて、影糸はぷっと吹き出した。白綺もつられて笑い出し、 二人してけらけら笑った。そして二人は何事もなかったかのように、いつもの遊び場へと飛び立った。
 たったそれだけの事だった。ありふれた日常。
 その記憶は「楽しい思い出」として影糸の記憶にしまわれていた。
 だから影糸は忘れていたのだ。予言されたその言葉を。

『お前は、下の世界に降り立つよ』

 その予言が、現実となる時まで。



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