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龍の娘 −夕凪伝承−
陽[ひ]が、山の向こうへと落ちる。
青々としていたはずの空が黄色みを帯び、落ちゆく陽を求めるように緋[あか]く燃える。 白いはずの雲も残り陽[び]に燃え、赤みを帯びた色に染まる。その中を泳ぐのは、 住処[すみか]へ向かう鳥の群れ。
山風が海風に変わる刹那[せつな]、風は風となるのをやめる。そこに在るのは、 ぬるいような空気。風の止むその時は、「凪の刻[なぎのこく]」と呼ばれるのだという。
籠[かご]いっぱいに山菜を摘[つ]み、山から集落へと向かっていた翠雨[すいう]は、 風の止まりを感じふと空を見上げた。ざわめいていた木々さえも、音を立てるのを止める。 夕焼けに染まる空の中、きらりと何かが光った。
(何かしら?)
不思議に思い、もっとよく見ようとすると、それはきらきらと朱[あか]の光を反射しながら、 翠雨の元へとゆっくりと落ちてきた。手を伸ばすと、ふわりと手のひらの上に乗る。
(これは、何かしら?)
何もないはずの空から降ってきたのは、白がかった半透明な、 二枚貝の貝殻を薄く薄く伸ばしたようなものだった。大きさは、翠雨の手のひらの半分ほど。 お日様の残滓[ざんし]を映して、綺麗に光る。
(神様が落とされでもしたのかしら)
そう思って空を見上げる。七色以上の色を纏[まと]うそこには、薄い彩雲[さいうん]。 鳥の黒い影が、すいと泳いでいく。
翠雨はもう一度、手の中のそれを見つめた。まるで何かの破片[かけら]のような、 けれど今までに見たこともない、それ。縁[ふち]を持って少し力を加えてみる。 脆[もろ]く割れるかと思ったが意外と弾力があり、ふにゃりと曲がる。力を抜くと元に戻った。
ぼんやりとしばらく見つめていたが、ふいにふっと微笑むと、 翠雨はそれを手に集落へと歩き出した。
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