遠くから見たその建物は、白い色をしていると思った。
 煉瓦[れんが]色の街並の中、抜きん出て見える白だと。
 しかし、傍[そば]まで来てそれは間違いだと気づいた。
 淡い淡い朱色。
 この大きな建物の外壁は、近づいてやっとわかるくらいの淡い朱色をしていたのである。 しかも、細密なレリーフが一面に刻まれている。
 聞くところによると、この赤の神殿は夕刻に峠[とうげ]から見ると、夕日に照らされ、 まるで燃えているかのように赤い光を放っているという。



 そんな大きな建物の、通用口とは別の事務対応専門の入口から入り、 溌剌[はつらつ]とした受付係にレイ・ナンシェに会いたい旨を告げると、 前緑のシャーレであるサイアの紹介状とクレイの身分証明証もあってか、 三人はすんなりと神殿の中へと通された。
 三人が案内されたのは、応接間らしい部屋だった。
 足音を消す長い毛の絨毯[じゅうたん]。使われている色数は多くないものの、 その模様の細かさは外壁のレリーフと変わらない。緻密[ちみつ]な模様が描かれていて、 足を乗せるのをためらうほどである。案内をしてくれた巫女さんによると、これは信者が集って作り、 出来上がった物を寄付[きふ]されたのだという。
 その上に置かれるのは低いテーブルと、それを挟[はさ]んで三人掛けのソファーが二つ。 そして一人掛けのイスが一つ。壁に沿う棚[たな]の上には、 赤い硝子細工[がらすざいく]がいくつか置かれている。
 そろそろとソファーに腰掛け、出されたお茶にも手をつけられずに居心地悪く待っていると、 しばらくして、三人が入ってきたドアとは別の扉が開いた。
「失礼します」
 そう言って入って来たのは、長い髪を後ろでひとつの三つ編みにした、二十代半ばの女性だった。
 体の線をすっぽり隠す巫女の衣[ころも]に身を包み、耳には、紅色の耳飾りをつけている。 日に当たっていないのではないかと思うほど白い肌。窓から射し込む弱い光に、 儚[はかな]く浮き立つ。髪の色は、『燃えるような』というよりは、 『やさしく暖かい』という形容の似合う緋色。
 そして、その深紅の瞳と合った時、ルナは『あの感覚』に襲[おそ]われた。
 意識だけが浮き上がるような、決して慣れることのない、あの、不思議な感覚。
「ルナ?」
 ラークの声に、ルナの意識はすとんと戻った。
「姉ちゃん大丈夫?」
「え、あ、うん」
 心配そうなクレイに、曖昧[あいまい]な答えを返す。
 その間に、女性は三人に歩み寄っていた。
「クレイが来ているとは聞いていたけど、他のシャーレが来てるなんて思わなかったわ。 久しぶりね、クレイ、ラーク。それから…はじめまして、私はレイ・ナンシェ。赤のシャーレよ。 よろしくね」
 そう言って笑顔を向ける。
「え、あ、はい。はじめまして。あたしはルナ。あ、じゃなくって、クゥイン・テルナっていいます。 こちらこそよろしくお願いします」
 ルナはなぜか緊張して頭を下げた。
 代わってラークが席を立つ。
「あの、レイ・ナンシェ様。うちの母親から手紙を託[ことづか]ってるんです」
 そう言って手紙を渡す。
「サイア様から? 何かしら?」
 レイ・ナンシェは手紙を受け取ると、向かいのソファーに腰掛け、 三人に断ってから手紙を読み始めた。読み進むにつれて、表情が険しくなる。
 手紙を読み終えると、レイ・ナンシェは少し考え込むようなしぐさを見せた。
「レイ・ナンシェ、様?」
 クレイの声に応えるようにして、レイ・ナンシェは顔を上げた。
「大体のことはわかったけれど―――――クゥイン・テルナさん、でしたっけ?」
「は、はい」
 呼ばれてルナは背筋を伸ばした。
 深紅の瞳は幼いシャーレを見据える。
「貴女[あなた]は何のために、『白の涙』を探しているの?」
(え…?)
 予想もしなかった質問に、ルナは面食らった。
「えーっと、そりゃあ『世界を守るため』かな?」
 見つめる紅い瞳に耐え切れなくなって、ルナは、はははと愛想笑いを浮かべた。
 ルナの冗談めかした応えに、レイ・ナンシェはこっそりと心の中でため息を吐[つ]いた。
(本当に『世界』をわかっていないのね)
 もし本当に『世界』をわかっているのであれば、あんな応えは絶対にできない。
「わかりました。『世界』にお会わせしましょう」
(それで何かが変わるのなら)
「うっしゃっ !!」
 喜ぶクレイにただし、とつけ加える。
「『世界』に会うためにはそれなりの準備がいるから、 そうね……急いでも一週間ぐらいはかかるかな。だから、 それまではこの赤の神殿で自由にしてもらっていいわ」
 レイ・ナンシェはそう言って、にっこりと微笑んだ。





「ナンシェ」
 レイ・ナンシェが応接間を出ると、一人の巫女が声をかけてきた。
「ミント」
 駆け寄ってきたのは、神殿の備品の管理を任されているミントだった。 レイ・ナンシェとは幼なじみにあたる。そばかすの浮いた愛嬌[あいきょう]のある顔。 長めの栗毛は、きちんとひとまとめにして背中に流している。
「どーしたの? 何か元気ないけど」
 ミントはそう言って不思議そうにレイ・ナンシェを見上げた。
「別に、何でもない。ただ…」
「ただ?」
「ただ、今会ってた女の子が、昔の私とちょっと似てるかなって思っただけ」
 それだけ言って、レイ・ナンシェは何故[なぜ]か淋[さみ]しげに微笑んだ。



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