一週間。レイ・ナンシェが予告した期間。長かったような短かったような、そんな日々。
 この一週間、三人は赤の神殿でのんびりと羽を伸ばしていた。
 町中をぶらぶらと散歩したり、巫女さんにこの地方独特の煮込み料理、 キリュイナを教えてもらったりもした。
 交わされる笑顔、上がる笑い声。
 世界が滅びへと向かっているとは思えない程、穏やかな生活。
(それでも滅びは確実に進んでいる……か)
 穏やかだからこそ、ルナの中にはこの言葉が絶えず渦巻いていた。
(あたしは何のために『白の涙』を探してるんだろ…)
 あの時は『世界を守るため』と答えたが、本当にそうなのだろうか?
 自分は『白のシャーレ』であって、世界の滅びを止めるには『白の涙』が必要で、 それが本当に白の神器だとわかるのは自分だけだ。…そう言われたから。
 自分しかできないことなのなら、自分がやらなくては。
 そう思ったから探している。
 だから『世界を守るため』だというのは間違ってはいない……と思う。
 しかし――――――
(何かが違う気がする)
 レイ・ナンシェのあの瞳を見た時、何か、言葉にはできない想いがあった。
(あたしは何のために『白の涙』を探してるんだろ…)
 ぐるぐると同じ言葉が回って、そこから抜け出せない。
「クゥイン・テルナ様」
 名を呼ばれて顔を上げる。
 そこには、ルナよりも幼い少女がいた。伸ばした赤茶の髪をきっかりとくくり、 巫女服をきっちり着こなしている。
「レイ・ナンシェ様がお呼びです」
 緊張に頬[ほお]を染めて告げる少女に、ルナは考えを打ち切って少女の後に従った。







 ルナが通されたのは、この神殿の中心部に位置するホールだった。
 背筋が伸びるような雰囲気[ふんいき]は緑の神殿とあまり変わらないが、他は大きく違う。
 天窓がない代わりに、日が入るように大きく取ってある硝子[がらす]窓。 祭壇[さいだん]に向かって並んだたくさんのイスと壁にかけられた細かな刺しゅうの飾り布。 あの大きな砂時計もないし、天へ捧げるような格好をした女神の像の手の上には、 赤い大きな剣[つるぎ]が浮かんでいる。
 あの大きな剣は、赤の国の神器『赤の剣』であるという。
 ごてごてとした飾りのないその剣は、『用の美』とでもいうのだろうか、 何ともいえない美しさがある。鞘[さや]のない抜き身の剣の直線と曲線。 淡く紅[あか]い光を放つ刀身は、薄ら寒くなるほどだ。
 ルナがホールに入ると、既[すで]にそこにはラークとクレイ、そして赤のシャーレ、 レイ・ナンシェが待っていた。それに加えて、そこにはルナの知らない人が二人いた。
 一人は背の高くて、黒髪に髭[ひげ]を生やした男の人。 動きやすそうだけど、貴族みたいな格好。三十前ぐらいだろうか。
 もう一人は、跳ねのあるオレンジの髪をポニーテールにした女の子。 袖[そで]なしの服に、肩からショールをかけている。クレイよりも年下かもしれない。
 男性の黒曜石[こくようせき]の瞳と、くりくりした琥珀[こはく]の瞳、 そしてルナの深い緑の瞳が交わった瞬間、ルナは『あの感覚』に襲われていた。
 あの、意識だけが浮かび上がるような、不思議な感覚。空気に混ざるような感覚。
(前より、強い !?)
 …ドクンッ ドクンッッ
 心臓の鼓動が響き渡る。
 色が褪[あ]せ、音が遠のく。けれど、別のどこかが研[と]ぎ澄[す]まされて、 いつもと違う感覚が流れ込む。耳が痛いような、体が溶けるような。
 何かが、何かがもう少しでわかりそうな、もどかしい感じ。もう少し。そう、もう少し……
「チェスっ !!」
「ルナっ !!」
(え…?)
 切羽[せっぱ]詰まったようなレイ・ナンシェとラークの声に、ルナの意識はするりと戻った。
 音が、世界がいつもの表情を見せる。
 たっ、とレイ・ナンシェが黒髪の男性に駆け寄った。
「大丈夫? チェス」
 見上げるその顔は、心配そうだ。
「大丈夫か?」
「えっ?」
 声をかけられてルナが振り向くと、そこにはラークの顔があった。
「大丈夫みたいだな」
 ほっとしたような表情。
「けど、俺らと一緒に来なくてよかったな。な、クレイ」
 会話を振られて藍色髪の少年は、そうそうと頷[うなず]いた。
「俺らん時は、四人で共鳴してたもんな。三人だから、姉ちゃんは俺らん時よりマシなハズだもんな」
「キョウメイ?」
 初めて耳にする言葉に、ルナは首を傾[かし]げた。
「そ。『あの感じ』の事。シャーレ同士が初対面の時とか、 自分の国の神器とか神殿とかに感じるヤツのこと。けど姉ちゃん、 同調は共鳴なんかよりもっとすげーんだぜ」
 クレイは得意げに、説明してくれた。
「ルナちゃん」
「あ、はいっ」
 レイ・ナンシェに呼ばれて振り向くと、二人がすぐ側へと来ていた。
「クレイとラークには言ったのだけど、紹介するわ。こちらは黒のシャーレ、 チェスターと黄のシャーレ、ユーシュン。『世界』に会うためには、 六人それぞれのシャーレの力が必要だったから、赤の神殿に来てもらったの」
「チェスターと申します。どうぞよろしく」
 レイ・ナンシェの紹介に、黒髪の男性がそう言って礼をした。
「アタシ、ユーシュンっていいまーすっ。どーぞ、よろしくっ
 琥珀の瞳の女の子も、にこにこ顔で元気に声を響かせる。
「えーっと、あたしはクゥイン・テルナ。ルナって呼んで下さい。こちらこそよろしく」
 つられてルナもにこにこと笑う。
 一見ほのぼのに見える空気。けれど無言のまま笑顔で対面している二人は何故[なぜ]か怖い。
「…ユーシュン、ルナちゃん。コワいから止めてくれる?」
「はーいっ
「あ、ごめんなさい」
 引きつった声に二人は空気を変えて、レイ・ナンシェに向き直った。
「レイ・ナンシェ様、『世界』に会うって一体どーやったらそんな事ができンの?」
 間をはかったように、クレイがレイ・ナンシェに訊[たず]ねる。
「空間を渡るのよ。『世界』は、私たちのいる空間とは別の空間に存在しているから、 『世界』に会うには空間を渡るしかないの」
「ふーん、空間を渡る、か」
「そうよ」
 レイ・ナンシェは頷[うなず]くと顔を上げ、表情を引き締めた。
「異なる国のシャーレが六人そろったから、今からでも空間を渡ろうと思うの。こうしている間にも、 世界は滅びへと向かっているんだから。…何か、異存[いぞん]はあるかしら?」
 そう言って、それぞれの顔を見渡す。
「ないみたいね。じゃ、早速[さっそく]始めるわ。こちらへ」
 レイ・ナンシェが促[うなが]した先には、 聖魔文字[せいまもじ]を基調とした魔法陣が敷[し]かれていた。
「魔法陣のそれぞれの力を示す位置に立ってもらえるかしら」
 六人のシャーレは、それぞれの守護神の示された位置に立つ。
「いい?」
 レイ・ナンシェの問いかけに、五人のシャーレが頷く。
 それを確認するとレイ・ナンシェは大きく深呼吸をし、呪文を唱え始めた。
「――――空間を司りし我が守護神、赤き神アザレアよ」
 呪文と共に、指先が聖魔文字を綴[つづ]ってゆく。淡い光が、宙にとどまる。
「我は願う。我らの母なる『世界』の元へ導かれんことを。その赤き剣によりて空間を超え、 我らにその道を示されんことを」
 聖魔文字が完成する。
「空間移動[パースレイ・ヒース]、ヴェル・ヴェーナ !!」
 レイ・ナンシェが詞[ことば]と解放のコトバを唱えると、魔法陣と赤の剣が反応し、 光が溢[あふ]れ出る。いや、光だけではない。足元の魔法陣からは熱と冷気が吹き上がっている。 それは炎の形をとり、六人を包み込み…
 六人のシャーレは温度を感じない炎に包まれて、空間を渡っていた。



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