初めて彼女を見た時、何故[なぜ]か、とても懐かしい気持ちがした。
 暗い空。
 彼女は雨の中、ひとり佇[たたず]んでいた。
 雨具もはおらず、濡[ぬ]れたまま。
 彼女の目の前には、まだ新しい、お墓がたてられていた。
 カペラは、薬草を採りに来たのも忘れて立ちつくし、彼女に見入ってしまった。
 雨に濡れている彼女は、恐いくらいに美しかった。
 すらりとした背丈[せたけ]。高い位置で結われた、 カペラと同じ青味がかった色の長いストレートの髪。水気を吸って重そうなのに、 雨の滴[しずく]を受けたそれは、どこからか当たる光を反射してきらりと光っていた。 俯[うつむ]いた横顔には、哀しげな色。けれど、それすらも周りの景色と相まって、 いっそう彼女を美しくしていた。
 ふいに彼女が顔を上げ、こちらを向く。
 強く印象を与えるのは、つり目気味な、光のない青い瞳。紅[あか]い唇[くちびる]。 小さく、整った顔立ち。
 視線が合うと、彼女は驚いたように目を開いた。
 カペラはびくっとして、思わず籠[かご]を落としてしまった。
 慌[あわ]てて、籠を拾う。
 その間に、彼女はゆっくりとカペラの方へ歩み寄ってきた。
「あ。えっと、あたし、薬草を採りに来ただけなの。あ、ご、ごめんなさいっ」
「待って」
 くるりと背を向けて走り出そうとするカペラに、彼女は声をかけた。
 その声に恐る恐る振り返ると、彼女は哀しい笑顔で立っていた。
「あたしはキル。お嬢ちゃんは?」
「あ、あたしはカペラ」
 カペラが名を告げると、彼女は今にも泣き出しそうな顔をした。
 その顔を見て、カペラは何故か胸がキュッとなった。
「おねえちゃん?」
 カペラが呼ぶと、彼女は優しい笑顔になった。それは何だかキュッとなった胸を、 ますます締めつけるような笑顔だったけれど。
「なんて顔してるのよ。確か、薬草を採りに来たって言ったよね? 何がいるの?」
「あ。あのね、『しんぞうのびょうき』に効くやつ。あのね、シーナがね、病気なの。熱が出てね、 あついって言ってるの」
「シーナ?」
 カペラがシーナのことを口にした時、彼女の瞳に光が射したような気がした。
「妹なの。あたしたちね、ふたごなの」
 どぎまぎしながら言い繕[つくろ]う。
「妹…。…シーナって、生きてるの?」
「う、うん。生きてるよ。でもね、苦しいって、あついって言ってるの」
「じゃあ、ここは……あたしは……」
「おねえちゃん?」
 困惑[こんわく]する彼女に声をかけると、彼女は顔を上げた。そして、 カペラに切ないような笑顔を向けた。
「おいで。薬草のある場所、教えてあげる」
 そう言って彼女は、カペラの手を取った。
 見上げた彼女の後ろでは、いつの間にか、雨が上がっていた。





「起きて、キル。いつまで寝てるつもり?」
 揺らされて目を開ける。視線をめぐらすと、すぐ傍[そば]に見慣れた顔があった。
「あ。シーナ」
 双子の妹。
 まだ目覚めていない頭でぼんやり考える。
 顔はうりふたつではないものの、自分に一番近しい存在。
 体が弱いので激しい運動のできない妹は、けれど昔よりずっと丈夫になったと思う。 今だって、カーテンと窓を開けて光と風を呼び込むシーナは、健常者にしか見えない。
「何呆[ほう]けてるの? さっさと起きて、朝ごはん済ましちゃってよね」
 シーナはそれだけ言うと、階段を下りて行ってしまった。
(…夢、だったのか)
 かつてカペラと呼ばれていた娘は、先程見た夢を思い出していた。
 今は亡きキルと、初めて出会った時の夢。


 あの後、キルはカペラに薬草を摘[つ]んでくれた。
「これを煮出して飲ませなさい。楽になるはずだから」
 渡された薬草は、カペラの知らないものだったけれど、その薬草のおかげで、 確かにシーナは落ち着いて眠れるようになった。
 そして初めて会ってから二週間後、再びキルは姉妹の元へとやって来た。 不思議な白い珠を持って。
 淡い光を放つそれは、本当に不思議な珠だった。シーナへと渡された、 両手に収まる大きさのそれは、持つとふんわりした気分にさせた。
 それだけではない。その珠がシーナの傍[そば]に来てからというもの、 寝たきり同然だったシーナが、それこそ目を見張るほど元気になっていった。 ベッドから起き上がれる回数が増えただけではなく、歩き回り、 普通の生活ができるようになったのだ。
 その頃だっただろうか、キルが姉妹に誘いをかけたのは。
 自分と一緒に世界を回らないかと手を差し伸べてくれたのだ。

 キルは踊り子だった。
 町で踊っても村で踊っても、広場だろうと舞台だろうと、 キルの舞に不得手[ふえて]な場所はなかった。烈[はげ]しくも鮮[あざ]やかな舞。 人の心をとらえて放さず、終わりにはいつも拍手の洪水[こうずい]が起こっていた。
 カペラはそんなキルに憧[あこが]れ、魅了[みりょう]されて、 シーナとともについて行くことにしたのだ。
 キルは、一緒に生活しながら、二人に自分の知識を余すことなく教えてくれた。 踊りの基本から始まり、世界のこと、人との交渉の仕方、薬草の見分け方、水晶を使った占い…
 様々な事を教わったおかげで、二人はキルのいなくなった今でも、なんとか生活できている。
 そう、今はもう、キルはいないのだ。
 彼女は、ある富豪に妾[めかけ]になれと迫られ、それを断ったために殺された。
 一番最後に舞った舞の、あの烈しさ、あの美しさは、今でも心に焼きついている。
 そして、息を引き取る前の、あの、切ない笑顔も。赤に埋[う]めつくされた色彩の中で、 それでも彼女の瞳の青は、最期の時まで強い光を放っていた。
 あれからもう、五年が経つ。
 カペラはキルの名を継いでいた。
 キルに似た色や長く伸ばした髪の所為[せい]か、 この頃ではシーナに若い頃のキルに似てきたと言われる。それは、 嬉しいような切ないような感覚だ。彼女のようになりたいと願い、憧れていたのだから。


「キル、それ食べちゃったら、ルードゥ買ってきてくれない? ちょっと切らしちゃって」
 ふんわりとした空気を纏[まと]うシーナは、自分の分の食器を片しながらそう告げた。
 この地域の主食である、ルードゥの二人分くらい重くはないが、昼間、 シーナは占いを担当するので、必然的に買出しはキルの担当になる。
「わかった。買ってくる」
 キルはそう言うと、朝食を頬張[ほおば]った。



 ガラガラと、荷台を引いた駄獣[だじゅう]が大通りを走り抜けてゆく。
 王都ほど立派な街ではないが、国境が近いせいか、それほど田舎町[いなかまち]でもない。 雨水を溜めて使えるようにした井戸が整備されている、そこそこの街だ。 路地に入ればごたごたと家が並ぶが、ある特定の場所に入り込まなければ、危ないこともない。
 少し距離を置くと大きな畑が広がるが、農業が主というわけではなく、 街の中では普通に物流がある。小さいながらも情報屋だってあることを、キルは知っていた。
 踊り子として生計を支えている自分にも、 占い師として小さな客をとるシーナにも合っていて、居心地の良い街である。 暮らす人のレベルも決して低くはない。 ずっと各地を転々として来たのだが、二人は今いる街が気に入って、小さな空家を借り、 いつもより長く滞在していた。
 もちろんそうすると、顔馴染[なじ]みになる人も出てくる。
 仕事をさせてもらっている飲み屋の親父さんもそうだし、 通りの中ごろにある食料品店の主人も、二人には馴染みの人となっていた。

「白のシャーレが、『白の涙』を探してる? 白のシャーレって確か、 城に閉じ込められてるって噂[うわさ]だったんじゃないの?」
「いや、それが何でも、別のシャーレらしいんだよ。これで神器が見つかって、 滅びが止められるといいんだがなぁ」
 恰幅[かっぷく]のいい主人は、ルードゥを袋に詰め込みながらキルの質問にそう答えた。
「ふーん…」
 さしたる興味もないような、曖昧[あいまい]な返事をして、キルは店の中を見回した。
 焼きたてのルードゥだけでなく、色々な物が並ぶ店内は、美味しそうな匂いが立ち込めている。 見ているだけで欲しくなってくるから、少しやっかいではあるのだけれど、 たくさんの品物が並ぶのを見るのは、嫌いではない。
 はいよ、と主人がカウンターに袋を置いて、キルは視線を戻した。
「ありがと。じゃね」
「ああ。細っこい妹さんにもよろしくな」
 にこやかに言う主人に手を振って、キルは店を出た。


「ただいま」
 キルが帰ると、客がきていないのか、シーナは洗濯物[せんたくもの]を干している所だった。
 鼻歌交じりで布を干すシーナは、青灰色を纏[まと]う自分より、髪も目も少し緑が強い。 自分に一番近しい存在なのに、自分と全てが同じではない。
「おかえり。……どーしたの?」
 何かを感じ取ったのか、手を止めて、シーナは不思議そうにキルの顔を見た。
「ん、何でもない。ルードゥ、テーブルの上に置いとくから」
 キルはそれだけ告げて家に入ると、二階の部屋へと階段を上がった。
 シーナが占いに使う部屋で、あるのはテーブルとイスが二つ。日を避けるためのカーテン。 小さな棚[たな]。そんなものしか置かれていない。
 キルはまっすぐに棚の前まで行くと、手のひらくらいの袋を取った。
 大事そうに、くるんである包みをそっと開く。
 中には、不思議な輝きを放つ珠が入っていた。キルがシーナに与えたあの珠である。
 それが『白の涙』と呼ばれる神器だと、キルは知っていた。
 在ることを確認し、そっと元に戻す。
(誰にも渡さない)
 あの子だけは、何があっても守ってみせる。
 キルは密[ひそ]かに、心の中で呟[つぶや]いていた。



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