ざわめく大通り。
 天気が良いからか、人の行き交いも多い。
 整備された大通りは、真ん中が駄獣[だじゅう]専用になっていて、 人は左右の端で店をひやかしながら歩いてゆく。露天[ろてん]は少なく、 一階を店として開いている建物が軒を連ねて並んでいるので、人の流れも留まることは少ない。 ひょっとすると、鳥のように高い所から見れば、 駄獣と人の行き交いは三本の川の流れのように見えるかもしれない。
「本当に、ここに『白の涙』があるのか?」
 その流れの中で、ラークはルナに問いかけた。
 二人がいるこの街の名はファウリーという。地図上では緑の国の西側、 黒の国との国境近くに位置している。黒の国との交通路も通っているので、 人の流れもままある場所だ。
 赤の神殿を発った後、二人はルナの『呼ばれている』という感覚を頼りに、 この街までたどり着いていた。今はルナとラークの二人旅。青のシャーレ、 クレイも一緒に行きたいと言っていたのだが、他のシャーレに「邪魔になるだろう」と説得され、 つい先日、ガランサスに戻ったとの連絡があったばかりだ。
「たぶん、この街だと思うんだけど…」
 色つきの煉瓦[れんが]で模様の施[ほどこ]された地面を踏みしめつつ、 ルナは自信なさげにそう答えた。自分の中の感覚はここだと告げているのだが、 それが「本当にそうなのか?」と問われれば、もう一つ心許ない。 感覚だけでものを探すのだから、曖昧[あいまい]さがつきまとうのは、避けられないのだろう。
「あ。」
 ルナが足を止めたのは、通りを抜けた所にある古びた建物の前だった。
「この建物…?」
 ルナにならって、ラークも足を止める。
「ここ、なのか?」
 訊[たず]ねるラークに、ルナはただ、頷[うなず]いた。
 二階建ての、四角い普通の造り。古いもののしっかりとしているようで、二階の窓枠には、 洒落[しゃれ]た模様が刻んである。道に面した窓には薄いカーテンがかかっていて、 中を見ることはできないが、入口に小さな看板[かんばん]がかかっていた。
「…占い? どーする、ルナ。入ってみるか?」
 ルナは、扉の向こう側をじっと見つめていた。
「行く…しかないんじゃない? やっぱし…」
 そう告げるルナの瞳は、路地に射す歪[ゆが]んだ光のせいか、 普段とは違う不思議な色を湛[たた]えているように見えた。
 髪を覆[おお]っている白い布を取る。
 黄土色の豊かな髪が、ふわりと風に揺れた。
 扉へと一歩を踏み出す。
「後は、あたしの感覚が合ってることを、白の神に祈るしかないわね」
 そう言ってルナは、古びた扉を開けた。





 カランカランッ……
 上部についているドアベルが音を立てる。
「はいっ」
 奥から出てきたのは、若い女性だった。
 肘[ひじ]ぐらいまであるだろう、緑がかったストレートの髪が、 優しげな面立ちを縁[ふち]どっている。
 ごく普通の上着。ふわりとしたスカートにブーツ。普通の町娘といった感じだろうか。
「あ、あの……えーっと…」
 入ったはいいものの、どうしてよいかわからないルナに、彼女はにっこりと微笑んだ。
「占いの方ですね。どうぞ、今はお客様は来られてませんから」
「え、あ、その、えーっと……」
「申し訳ありませんけど、階段を上った部屋で少し待っていて下さい。準備をしてきますので」
 彼女は笑顔のままそう言うと、部屋を示し、では。と奥へと行ってしまった。
 残ったのは、タイミングをつかみ損ねた二人だけ。
「……どうする?」
 見上げてくるルナに、ラークはむぅと唸[うな]った。
「占いの客と思われてるみたいだったな」
「そうよね。やっぱし…」
「けど、占いに来たわけじゃないしなぁ」
「んでも、何て言えばいいのよ? まさか正直に、『白の涙を探してて、 ここにあるはずなんですけど』ってでも言うの?」
 カランカランッ…
 ルナが言いきるのと同時に扉が開いた。
 ドアベルの音に振り向くと、そこには青みがかった長い髪を高くでひとつに束ねた女性が、驚いたような顔で立っていた。
 年は先程の女性と同じくらいだろうか。すらりとした背の、かなりの美人だ。
「はぁい…って、あら、キル。おかえり。……キル?」
 キルと呼ばれた女性は、すっと目を細め、 睨[にら]みつけるようにルナとラークに視線を定めた。
「誰?」
 冷たい声。
 ルナはその冷たさに、思わず背筋がぞくりとした。
「誰…って、占いのお客さんよ。ごめんなさいね」
 ふわりとした甘い空気を纏[まと]う彼女は、申し訳なさそうにそう言った。
「シーナに何の用?」
「キル。お客様だって言ってるでしょう?」
 空気が切り裂くかのようなキルの態度に、シーナと呼ばれた娘がたしなめる。
 …それは、ある種の予感だったのかもしれない。
 ルナは不思議な衝動に駆られて、キルを正面から見上げた。
「『白の涙』を返して。」
 口からは、その言葉が出ていた。
「は? 何のこと?」
 変わらずに、冷たい声。
 それにも負けず、ルナはキルを見据えた。
「白の涙を探しているの。ここに、あるんでしょう?」
「は? 何それ。いきなり何ワケわかんないこと言ってんのよ」
 キルの凍てつくような声に、ルナはすっと目を閉じた。
「? 何…」
「上。」
 一言呟[つぶや]いて動き出す。
「ルナ !?」
 階段を上るルナに、一呼吸遅れてラークとキルが続く。
「ちょっと、何勝手にヒトの家…」
 文句を言いながら部屋に入ったキルは、部屋の中心に佇[たたず]むルナの雰囲気に、 思わず息を呑んだ。
 逆光を背にするルナは、不思議な迫力を持って佇んでいた。
「ここに、あるわ」
 キルの目を見て告げる。
 その様子を見て、ラークはキルを見上げた。
「俺たちは、『白の涙』を探してる。あれは、在[あ]るべき所にあってこそ世界を保てる。 このままだといずれ、滅びが来る」
 ラークの言葉に、キルは目を細めた。
「……何が言いたいワケ?」
「『白の涙』を返して」
 不思議な程落ち着いた声で、ルナは言葉を発した。
「あたしにどーしろって?」
 冷たい瞳で、ルナを睨む。
「この部屋から、『白の涙』の気配を感じてる。あなたが持ってるんでしょ?」
「何言ってんの? あんた、寝言は寝てから言いなさいよね。あたしがそんなモノ、 持ってるワケないじゃない。気配を感じる? バッカじゃないの? 白のシャーレでもあるまいし」
 キルは馬鹿にしたような表情でまくしたてたが、一瞬だけ眉[まゆ]をしかめたのを、 ルナは見逃さなかった。
「白のシャーレよ。あたし」
 淡々と、事実だけを述べる。
「ルナ…」
「白のシャーレ? あなたが?」
 後ろから声を出したのは、ゆっくりと階段を上ってきたシーナだった。
 聞こえてきた内容に驚き、まさかという目でルナを見る。
 深い緑色の瞳の少女は堂々としていて、嘘をついている様には見受けられない。だが……
「何デタラメ言ってんのよ。あんたが白のシャーレだっていう証拠でもあるわけ?  あったら見せてみなさいよ」
 そんなはずはないだろう、とでも言わんばかりに、キルはルナを見下ろした。
 その言葉にルナはキルを見、わずかに口許に笑みを浮かべた。そのまま目を閉じ、 両手を胸の前で組む。
「――――――――『世界』より生まれし、白き神の力の雫[しずく]よ」
「ルナ?」
 ラークが困惑気味に名を呼ぶが、ルナは変わらず目を閉じたまま言葉を続けた。
「我は『世界』、『世界』は我。『世界』の名の下に命ずる。我が前に現れよ―――――――」
「キル !?」
 シーナの声が、宙に飛んだ。
 ルナの台詞[せりふ]の途中で、キルは突然棚[たな]に駆け寄り、 引き出しから小ぶりの袋を取り出したのである。
 それを守ろうとでもするように、獣[けもの]のごとく身構える。
 ルナは言葉を紡ぐのを止め、目を開けてキルを見据えた。
「それが、『白の涙』ね」
「白の涙?」
 展開についてゆけず、シーナが呆然[ぼうぜん]と呟いた。
「今のは、呪文でも何でもないわ」
「 !?」
 キルの表情がさらに険[けわ]しくなる。
「『白の涙』、返してもらうわ」
「誰があんたなんかに渡すもんですか」
「それがなきゃ、世界が滅びるのよ !?」
 ルナの叫びに、キルは一瞬、複雑な表情を見せた。
 だが、それはほんの一時の事で、岩も砕けよとばかりにルナを睨みつける。
「こんな物がなくなるくらいで滅びる世界なら、いっそのこと滅んでしまえばいいのよ」
「何? それ。そんな、そんなのって、今まで『世界』がやってきたことを、 全部無駄[むだ]にするつもり?」
 ルナもキルを睨み返した。
「『白の涙』は返してもらうわ。世界を滅ぼすわけにはいかないのよ」
 ルナがキルににじり寄る。
 じわじわと二人が移動し、キルがシーナに触[ふ]れたその刹那[せつな]――――――――――
「 !?」
 二人はそのまま、煙[けむり]のようにフッと消えてしまった。



BACK   NEXT

TOP   CONTENTS   CLOSE   NOVELS   MAISETSU