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澄んだ夜空に月と星が煌々[こうこう]と輝いている。
月が明るければ星の数は減るというけれど、それでも満天の星は、 空いっぱいに敷[し]き詰められて輝いていた。その奥の空は闇色。けれど雲の動きがわかるから、 単純な黒色ではないらしい。
風が時折、髪を揺らして通り過ぎてゆくのが心地いい。昼間の街中のように騒がしい音はなく、 草のさやさやと揺れる音に混じって、微[かす]かな虫の声が聴こえている。
耳障[みみざわ]りでなく、心に響く、きれいな音。
ルナは一つ息を吐くと、上体を倒して草の上に仰向[あおむ]けになった。
目に映る空。自分の生きてゆく時間の流れの中に在るもの。
ここに戻ってきたのは、ルナとラークの二人だけだった。…シーナの葬儀[そうぎ]を終えて。
ファウリーで宿を取ったものの、とても眠る気にはなれなくて、 ルナはこっそりと寝床[ねどこ]を抜け出し、街の見下ろせるこの丘でひとり、 空と街に灯る光を眺めていた。
…人の死とは、ああいうものなのだろうか。
あの時、悲しいとかそういう感情よりも、恐怖が心の大部分を占めていた。そう、とても怖かった。 とてもとても、怖かった。
理由のわからない恐怖がルナを包み込んでいた。
鼓動[こどう]が聞こえなくても返事をしなくても、あの時、まだシーナの身体は温かかった。 ただ、眠っているだけのように見えたのだ。
それが、時間が経つにつれてだんだんと冷たくなり、硬[かた]くなっていった。そして……
思考を打ち切り、ルナはそっとため息をついた。
指先が、布で包まれた硬い石のようなものに触[ふ]れる。
ルナはそれをそっと握りしめた。
カチャリ、という小さな音がする。
砕[くだ]けたそれは、もう淡い光を放ってはいなかった。
シーナから渡された『それ』。
その存在を知ってから、ずっと探し求めていたもの。
どうしてあの姉妹が持っていたのか、何故キルは渡したくなかったのか。それらは結局、 わからないままになっている。
そして、何故砕けてしまったのか、という事も。
時を飛んだことが影響したのだろうか。
しかし、それを考えてみても何にもならない。
砕けたそれは、ありふれた、いくらでも代わりのあるという物ではないのだから。
ふわりと吹くのは、やわらかな風。
かさり、と草を踏[ふ]む音が聴こえて、ルナは身を起こしてそちらを向いた。
星明りの下、影が近づく。
「ラー…ク……」
ルナの元へとやって来たのは、旅の相方だった。
「隣[となり]の部屋で何か音がするなと思って戸を開けたら、お前が出てく所だったから…」
そう言うラークから、ルナは視線を外して俯[うつむ]いた。
すぐ傍[そば]まで気配が近づく。
「…あたし、こんなに無力だなんて思わなかった」
ラークはそれには応えず、静かにルナの隣に腰[こし]を下ろした。
「『白のシャーレ』ったって、何にもできない。せっかく、『白の涙』を見つけたのに……」
「ルナ…」
「あたし……あたし、悔しい。今まであたしたちが、『世界』がやってきた事って何だったの? こんなのってないわよ。ううん。それより自分自身に腹が立つ。…約束したのに。 約束を守れなかった自分自身に腹が立つ。何にもできない自分に腹が立つ。あたし、あたしは……」
(え……?)
気がつくと、ルナはラークに抱きしめられていた。
「ルナ」
落ち着いた、優しい声。
「違うだろ。お前は『白の涙』を取り戻した。白の神器が割れたのは、お前のせいじゃないだろ」
「でも、でもっ……」
そう言いながらも、知らずにルナは泣いていた。
涙が止めどなく溢[あふ]れてくる。
ラークはそっと、ルナの頭をなでてやった。
その途端[とたん]、ルナの中に張り詰めていた糸が切れた。
ルナは声を殺して泣いた。今までルナの中に溜まっていた、ぐちゃぐちゃの感情を洗い流すように。 激しい嗚咽[おえつ]が辺りにもれる。
涙を止められなくて、止めようと思わなくて。
怖いくらいに安心できる場所で、ルナはただただ泣いていた。
白のシャーレでも南の盗賊の頭[かしら]の娘でもなく、たったひとりの『ルナ』として。
「ごめん、ラーク。泣いたらちょっとすっきりした」
泣きやんだルナは、赤い目のままつき物が落ちたような顔でそう言った。
「そうか」
それを見て、ラークも安心したように表情を緩[ゆる]めた。
「でも…」
視線を落としてルナは言葉を吐き出した。
「でも、『白の涙』が割れたんじゃ、世界の滅びはもう、止められない……」
(…悔しい。守りたかったのに。守りたかったのに。世界を、『世界』を、 『世界』の想いを―――――え…?)
思考に沈んだルナの前を何かが通り過ぎた。それを追って顔を上げた瞬間、ルナは身動きをやめた。
『風』が取り巻いていた。
それは、『言葉』として表すなら、白い白い風。
それに包まれた中心に、『世界』が佇[たたず]んでいた。
(『世、界』?)
その中でルナは『世界』と出逢った。
彼女と目が合う。
すべてを知っていて、すべてを知らない者。
「『世界』……」
ルナが呼ぶと、彼女は優しく微笑んだ。
―――――諦[あきら]めないで 大丈夫
まだ 大丈夫
あなたがあなたである限り
わたしがわたしである限り
形あるものは いつか壊れてしまう
でも 大丈夫
あなたがいるのだから
『白のシャーレ』である 『あなた』がいるのだから
諦めないで
あなたの中に眠っている
あなただけの力を信じて
あなたならきっと 『シャーレ』の本当の力に気づくはず
本当の力がわかるはず
あなたなら大丈夫
あなたの中のあなたを信じてあげて
大丈夫
そう
あなたがあなたである限り
わたしがわたしである限り
クゥイン・テルナ…
(『クゥイン・テルナ』……)
彼女に真名を呼ばれて、ドクンッと鼓動[こどう]が響いた。
(あたしがあたしである限り。『世界』が『世界』である限り……)
と、『世界』がある方向を指さした。
その先にあるのは―――――
(白の、国…)
彼女は優しくやさしく微笑んだ。
すべてを包み込むかのように。
そして、一際[ひときわ]強い風が吹いた。
思わず目を閉じる。
風が通り過ぎ、そっと目を開けると、そこは先程いた丘の上で、立ち上がり見回しても、 彼女の姿はどこにもなかった。
ただ、天で月と星たちが、煌々と輝いていた。
風がふわりと通り過ぎる。
「ルナ……」
ラークが立っていた。
「『世界』に逢ったわ」
「『世界』に?」
こくりと頷[うなず]く。
「行くわ。あたし」
「?」
怪訝[けげん]そうな顔をするラークに、ルナは微笑[わら]ってみせた。
「『大丈夫』って言われたの。『まだ、大丈夫』って。『世界』が大丈夫って言うんなら、 きっと大丈夫だから。あたしは『世界』を信じてる」
「ルナ…」
ルナは先程までのルナとは変わっていた。
『世界』に真名を呼ばれた時、ルナの中で何かが目覚めた。
具体的には言えないけれど、『シャーレ』として大切な『何か』。
目覚めたそれが、体を満たしてゆく。
「『世界』は、白の国の方向を指したわ。だから、あたしは白の国に、 あたしの前のシャーレに会いに行こうと思うの」
背筋を伸ばして宣言する。
『シャーレ』の本当の力を知るために。
白のシャーレ、『クゥイン・テルナ』として。
告げるルナの瞳には、強い光が映っていた。
ラークはそれに、頷く。
優しい風が、二人をかすめて通り過ぎて行った。
頭上には、月と星のやわらかな光。
ルナとラークが南の砂漠を発ってから、一年が経[た]っていた。
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