大理石のやわらかな色の柱。広い廊下には少ない色の、 けれど細かい柄[がら]の織り込んである絨毯[じゅうたん]が奥まで長く敷かれている。 右側の大きく取られた窓からは、穏やかな陽の光が差し込んでいた。窓際には、 香水でもかかっているのか僅[わず]かに甘い匂いを放つ造花が、 文字の細かく彫[ほ]られた窓枠[まどわく]と共に自己主張をせずそこに居る。 反対側の壁には、神話として伝えられている、ある精霊と人との物語を織り込んだ大きな壁掛け。 それの傍[そば]には、邪魔をしない品の良い小さな壁飾りが掛かっている。
 決して新しくはない建物なのだが、 年月の積もりが逆に、その建物の貫録[かんろく]を漂[ただよ]わせていた。
 そんな豪勢な廊下を、毅然[きぜん]と歩く人影があった。
 すれ違う人々に恭[うやうや]しく礼をされながらも、 肩で風を切るように進む、癖[くせ]のある赤茶の髪の男と、 それに付き従う護衛のような厳[いかめ]しい男。
 上背[うわぜい]のない赤茶髪の男の名は、 エルム・ドゥラン・チェロス・ヴァルメリアという。
 <白の王家[ヴァルメリア]>の名を冠するこの男は現在、白の国王の位に就[つ]いている。
 今年で三十二歳になるエルムは、 伯父[おじ]である先王の傍[かたわ]らでずっと仕事をしていたせいか、 国王といってもジャラジャラした宝石や王冠を身につけていたりはせず、身軽な格好をしている。
 その格好だけ見れば、国王というより家臣といった方が似合うかもしれない。 王としての風格がつくまでには、まだ年数が必要なのだろう。
 先王リッチェンが病の為に亡くなったのが二月[ふたつき]前。 慣習に則った長い葬儀[そうぎ]を終え、エルムが即位したのはつい先月の事である。
 子供のいなかった先王は、甥[おい]に位を遺[のこ]したのだ。
 遺言による王位継承の指名があったとはいえ、先王が倒れてからというもの、 代理として仕事を徐々に受け継いできたエルムだからこそ、 わりとすんなりと王位に就けたという感もある。位に就くまでも忙しかったのだが、 就いたら就いたでさらに仕事が増え、この一月[ひとつき]は、 『しなければならない事』に追われて日々を過ごしてきた。
 そしてやっと今日、少しの時間を得てあの部屋を訪れることができたのだ。



 進む長い廊下のつきあたり、許可された人以外は来られないそこには、古く、 いかにも頑丈[がんじょう]そうな扉が立ちふさがっていた。
 傍に控[ひか]えた扉番が、エルムに最敬礼をとる。
 それに軽く頷[うなず]き、エルムは扉を開けるよう、扉番に指示した。
 20年近く前から、 王と数人の侍女[じじょ]以外の者は決して入ることを許されていないその部屋には、 エルムはもちろん入ったことがない。しかし、その部屋の主となっている人ならば、 昔に一度だけ見たことがあった。
 今もはっきりと覚えている。
 とても、綺麗な人だった。
 薄青紫のストレートの長い髪。華奢[きゃしゃ]な体つきに白い肌。整った顔立ち。 長い睫[まつげ]。髪よりもやや濃い、薄青紫の瞳。 誰よりも清楚[せいそ]な空気を纏[まと]っていた彼女は、『白のシャーレ』と呼ばれていた。



 重く、軋[きし]んだ音を立ててゆっくりと扉が開く。
 連絡が行っていたのだろう、扉の向こうには侍女たちが並んで頭を下げているのが見えた。
「ご苦労」
 言い置いて、部屋へと足を踏み入れる。そして、中を見渡した。
 想像していたよりも広く、明るい部屋。
 清潔感のある落ち着いた色調でまとめられた部屋は、テーブルにイス、 箪笥[たんす]や本棚[ほんだな]、ランプなど一通りの家具が備えつけられている。
 陽の射し込む大きな窓からは、穏やかな風が吹き込み、 細かなレースの入ったカーテンをゆらゆらと揺らしていた。
(『幽閉されている』というから、どんな部屋かと思ったが…)
 辛気[しんき]臭い肖像画[しょうぞうが]やごてごてした飾りがないぶん、 自分の部屋より良いかもしれない。
 思いながら、何気なく奥に置かれた寝台に目をやって、エルムは言葉を失[な]くした。


 ―――そこには、彼女が眠っていた。
 エルムの記憶と少しも違わない姿で。


 思わず振り返り、自分の護衛を任せる男の顔を見た。
 今の自分が知っている顔で、少しほっとする。
 一瞬、時の間[はざま]に落ちたのではないかと思ったのだ。
 もう一度、彼女に視線を向ける。
 寝台の上の彼女は、穏やかな表情で瞳を閉じていた。
 こんなに明るいというのに、昼寝でもしているのだろうか。
 エルムはゆっくりと彼女に近づいた。
「あ…」
 侍女の一人が声を上げたが、無視して彼女へと歩み寄る。
 彼女との間がもう一、二歩となった時、ふいにエルムは何かにぶち当たった。
「 !?」
 いきなりの衝撃に周りを見てみたが、何もない。
 …と、ひとつの可能性を思い当たり、エルムは彼女の方へそっと手を伸ばした。
 すると、何もないはずの空間に、堅い壁のような感覚があった。
「やはり…」
(結界か)
 片手をその『見えない壁』にあてたまま移動をする。
 結界は、彼女を中心として四方に張りめぐらされていた。
(どうして結界なんかが張ってあるんだ?)
 不思議に思い、侍女たちへと視線を移す。
「ここに、一番長く仕えているのは誰だ?」
 言った途端、ひとりの侍女にざっと視線が集中する。
「私、ですが……」
 砂色の髪の侍女が、おずおずと進み出た。
 『一番長い』という割には、エルムよりいくつか年が若い。
「何故こんな所に結界が張ってある? それから、彼女はいつ頃目を覚ます?」
 エルムが訊[たず]ねると、侍女は困ったように他の仕事仲間を見た。
 だが助けはないと感じたのか、侍女は躊躇[ちゅうちょ]しながらも、口を開いた。
「あの、シャーレ様がいつお目覚めになるのかは、私共にはお答えすることができません」
「…どういう事だ?」
 納得のいかない返答に自然、声が硬[かた]くなり、眉[まゆ]が寄る。
 侍女はその様子に恐縮しながらも、言葉を続けた。
「シャーレ様は、今から…十九年前にこの結界をお造りになり、そのまま眠ってしまわれました。 その日以来、お姿も変わらず、ずっと眠り続けていらっしゃいます。私共も、 あの結界の中に入ることはできないのです。…ですから、 シャーレ様を起こすなどということもできません。私共も、 シャーレ様が目を覚まされるのをお待ちしているのです」
 言いながら、シャーレに視線を向ける。
 姿の変わらない彼女を。
「十九年も、眠ったままだと言うのか?」
 そんな事が可能なのだろうか。
 信じきれずにいるエルムに、侍女はしっかりと肯定した。
「ですから、お答えすることができないのです」
 告げて、侍女は静かに頭を下げた。
(そんなにも前から……)
 エルムの記憶と変わらないはずである。
 どんなに訊[き]いても決して口を割らなかった、頑[かたく]なな先王の様子を思い出した。
(では、白の神器も探すことはできないという事か)
 憂[うれ]いがまたひとつ、腹に沈む。
 エルムは先王とは違い、自分の国が元で起こった滅びへの道を、ずっと気にかけていた。
 黒のシャーレの御告げがあるものの、どうにかならないかとひそかに文献を読んだりもした。 秘密裏[ひみつり]に、別の白のシャーレを先王が探していたことも知っている。…けれど、 そちらは目ぼしい報告はなく、今日に至っている。今、自分の取れる最後の手段が、 幽閉されている彼女に願う事だったのだ。
 白の神器が本物であるとわかるのは、白のシャーレのみ。
 エルムは先王のようにシャーレを閉じ込めておくつもりは全くなかった。
 白の神器を探してもらい、その後は以前のように白の神殿へ帰そうと思っていたのである。
 なのに、肝心[かんじん]の彼女は目覚めない。
(どうしろと言うんだ…)
 やはり、黒のシャーレの御告げ通り『時を待つ』しか方法はないのだろうか。
 シャーレの目覚める時を。
「あ…」
 息を呑むような侍女の声に、エルムは思考の海から浮上した。
 侍女たちの顔には、一様に驚愕[きょうがく]と呼べるものが浮かんでいた。
 その様子の意味がわからず、視線をたどる。
「 !?」
 そこには、シャーレが……彼女が、寝台の上に起き上がっていた。
 ゆっくりとこちらを向く。
 さらり、と髪が揺れた。
 彼女は寝台から降りると目を閉じ、何かを唱えた。
 ふいに空を切るような音がして、それまであった結界が、一瞬にして消えた。
 彼女は目を開けると、にっこり微笑み、エルムに恭しく礼をした。
「初めまして、白の国の新王様。私は、先代の白のシャーレ、シセン・カルム・フェリアと申します。 どうぞお見知りおきを」
 初めて聞く彼女の声は、澄んだ水を思わせた。だが…
「先代?」
 エルムの呟きに、シセンははい、と答えた。
「私は、現在はシャーレではございません。シャーレとしての力は、 今より十九年前に継承致しました」
「なっ !?」
 エルムは驚いて彼女を見た。
 薄青紫の瞳がエルムを見据える。
 濁[にご]りのないその瞳は、無言でそれが真実であると告げていた。
 硬直したままのエルムに対し、ふっと彼女の表情が和[やわ]らぐ。
「私はシャーレではございませんが、もうすぐここに私の継承者、 今代の白のシャーレが戻って参ります」
「それは……本当か?」
 動きを取り戻し、真剣な顔で問うエルムに、シセンはええ、と頷いた。
「『時』は廻[めぐ]っているのです」
 彼女はそう言って、微笑んだ。



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