巡ル想ヒ



 ピンポーン
 灯が目覚めたのは正午過ぎだった。今朝早く眠りに就く前から今日は自主休講だと決めていたので 特に焦りもしなかった。大学生は時間の都合がつけやすくて、良い。無論、それは誤った都合の付け方には 違いないのだけれど。
 パイプベッドの縁に座り、灯は前に垂れてきた髪をかきあげる。Tシャツとジャージを着、いつも逆立てている 前髪が落ちると、灯は普段着の尖った印象が和らいで多少幼く見えた。彼はその場から立ち上がるでもなく、 未だ夢見心地で座り込んでいる。
 自然に起きたのではなかったはずだが、何故自分は目を覚ましたのかそこまで思考が回らない。寝起きの 悪い灯は髪をかきあげたまま頭をポリポリとかき、再びベッドの中へ舞い戻ろうとする。
 その時に、再びベルが鳴った。
 インターフォンだ。
「……あー……」
 中途半端に被りかけていた掛け布団を放り投げ、ようやく灯は起き上がる。だが、その頭は完全には 醒めていない。この家は灯が生まれた頃から住む、馴染みある一軒家だったが、今は彼以外に住む 人間はいなかった。欠伸を連発しながら灯は自分の部屋を出、階下に下りる。そして飾り気のない、 殺風景な玄関先でサンダルを突っかけると、無言でそのドアを開いた。頭で考えて起こした行動ではなく、 体が勝手に動いたという方が正しい。
「……日高」
 戸口には、眼鏡をかけた優等生然とした男が立っていた。灯よりは幾分小柄である。その両手はさほど 大きくもない鞄を抱きしめるようにして抱えていた。
「……佐治、か……?」
 ぼやけた頭を押さえつつ、灯は前にかかる短い髪を鬱陶しそうに振る。佐治、と呼ばれた男は心配そうに 眼鏡の奥の瞳を細めた。
「大丈夫か? 何か昨日も、大変そうだったけど……」
「んー……寝てた、だけ……」
 もう一度大きな欠伸をし、灯は扉を開け放した。入れ、ということだと察した佐治は無言で玄関に 入る。灯は佐治を招くでもなく、一人で中へ進んでいく。一方で佐治は、お邪魔します、と遠慮がちに 声をかけ、丁寧に自分の靴と灯が放ったらかしにしたサンダルをそろえてから灯の後に続いた。
 灯が向かったのは、キッチンだった。佐治はそこまでついては行かずに、キッチンの隣にあるリビングのソファに 腰をかけた。座るその間も相変わらず、その腕にはしっかりと鞄が抱えられている。
「やっと、目ぇ、覚めてきた」
 キッチンからやって来た灯は、水の入った冷えたペットボトルを佐治に投げて寄越す。自分はもう一つのペットボトル の口をあけ、そのまま飲み込んで手の甲で口元を拭うと、佐治の前のソファに沈み込んだ。
「寝起きの悪さは相変わらずか……」
 佐治は咄嗟に受け取ったペットボトルを、灯との間にある小さなテーブルに置きながら嘆息する。うるせ、 と灯は眉をしかめた。
 佐治と灯は同じ町に住み、保育園から大学まで全て同じ学校と言う、よく言えば幼馴染、その実 単なる腐れ縁の仲だった。否応にも知り合うし、付き合いも出来る。 だがそれほどまでのつながりがなければこうやって 友人でいることもなかっただろうということはお互いが承知していた。 嫌悪感を抱くほど性が合わない訳ではない。ただ好んで共にいようと思うほど共通点がある訳でもないのだ。
「……お前、ガッコは?」
 冷たいペットボトルを額に当てながら、ようやく頭が働いてきた灯がそう訊いた。今度は 佐治が顔をしかめる番だった。
「お互い様だろう」
 つまり、佐治も大学を自主休講(サボった)ということだ。
「俺と違ってお前はマジメ一筋だろうがよ……」
「こんなの持ち歩く気にもならないし、家に置いていくのもどうかと思ったんだよ。今日取りに来るって 言ってたからずっと待ってたんだけど」
 佐治はそう、軽い叱責をこめて言うと、抱え込んでいた鞄を膝の上に置いて探り始める。灯は その様子を見、ペットボトルの蓋を閉めるとテーブルの隅に置いて足を組んでソファにもたれかかった。
「お前も大概臆病モンだよな」
「僕は日高と違って繊細なんだ」
「はいはい」
 真剣に怒る佐治を相手にせず、灯は適当に手を振った。佐治の目の下にクマが出来ているところを 見ると、昨晩はろくずっぽう眠れもしなかったのだろう。もう夜遅かったが帰り際に貰って帰って やれば良かったか、と内心灯は思ったが口には出さなかった。
 生徒会長やら委員長やら、そういったことを好んで引き受けるこの堅物は、心霊現象など認めもしない クセに人並以上に怖がる。そういった部分からも、二人は本来なら接点を持つべき相性ではないことが明らかである。 けれど、長い長い付き合いから灯は普通とは違うということを察しておきながら完全に見捨てることは出来ない というのは、ひとえに佐治のお人よしな人柄からだと言えた。
「これだよこれ。この前の同窓会の写真! ……白いものが映ってるだろ、お前の後ろに」
 馬鹿丁寧に封をした封筒を開け、佐治は自分が置いたペットボトルの横にその数枚の写真を 灯に向けて差し出した。灯はため息をついてから、ソファに任せていた体を起こし、だらしなく腕を テーブルに伸ばす。
「こんなのが嫌なら、俺の写真は撮るなって昔から言ってるだろうが」
 灯はそんな風にぼやきながら写真を取り上げると、ソファの上に寝転がった。
 それは、ついこの間行われた小学校の同窓会の風景だった。灯や佐治と同じ六年三組にいたメンバーが成長した姿で 楽しげに映っている。
 しかし、立食パーティー形式だった会場、その華やかな空気の中で、灯が映っている部分の隣や後ろには 光や影の加減では説明のつかない白い姿が確かに映っていた。
 霊を呼び寄せる性質の灯が映る写真が、こういった所謂『心霊写真』になることは少なくなかった。 そこに集う霊が皆灯に語りかけたり、接触してきたりすることはなかったけれど――そして、灯自身 見えてはいても相手にはしなかったけれど――、やって来た霊がこういった悪戯を起こしたことは数知れない。
「僕は撮ってないよ。ちょっと用事があってカメラ預けてたうちに誰かが撮ったんだよ」
 そんなことは百も承知だと言わんばかりに、憮然とした表情で佐治は答える。
「俺は同窓会とか、人が集まるところには行きたくねーっつったよな? 誰だ、無理やり 引っ張ってったのは? そこで文句つけられる覚えはないんですけど?」
 相変わらず自分を責めるような口調の佐治に気分を害し、灯はそんな風に言った。
 人が集まると、それだけでその楽しげな雰囲気に引かれて霊が集まることがある。余計なモノに 懐かれたくもない灯はすすんでそのような会に出ることは稀であった。だが今回ばかりは、当時の 委員長、そしてこの同窓会の幹事である佐治に無理やり連れて行かれたのだ。
「それは……だって、他に欠席する人がいたら別にいいと思ってたけど、日高以外全員集まれるって言うから。 それに、日高どうしてるかっていちいち訊かれるより本人連れて行ったほうが早いと思ったし」
 言い訳がましく続ける佐治の言葉を半ば無視して、灯は写真をめくる。その指がある一枚の写真で 止まり、ソファに座り直した。
「コイツ……来てたのか……」
 灯の独り言に、佐治は言い募っていた言葉を止めて怪訝な顔をする。
「コイツ……って?」
「くたびれたリーマンとか、派手なババアとかいたのは知ってたけどな……」
「……さりげなく怖い話しないでくれる?」
 相変わらず説明もせず一人でぶつぶつ呟いている灯に、佐治は一言釘を刺した。
 灯が見ている写真は、全員が集まった記念に撮影した集合写真だった。
 一番後ろの列、その一番左端に並んだ灯はつまらなさそうにあらぬ方向を向いて映っている。だが その時は一番端だったはずの灯の左に、同じように並ぶ影があった。
「ああそれは……特にはっきり映ってて気味悪かったんだけど……」
 灯の様子が気になって身を乗り出して写真を覗きこんだ佐治だったが、すぐにその視線を外した。直視したくはないらしい。 灯はかきあげた自分の前髪を掴んだ。
「この後、俺をつけてきたのか……」
 随分とはっきりとした姿がその写真には収められていた。青白い光を放つこともなく、まるで人間そのもののように。
 綺麗な顔をした女だった。灯達の中に入っても、年端はそう変わらない。もっとも霊は その姿を自在に変える事が出来る故、それが『彼女』の本来の年齢なのかどうかは定かではなかったが。
 この写真に写る『霊』は間違いなくあの『女』だった。
 同窓会、幹事の雑事に追われた佐治を放って一人帰路についたこの間の日曜。
 その、夜だ――あの霊と、あったのは。
 花の名を求める、あの女と遭ったのは。
「もしかしたら、本当に全員揃っちゃったんじゃないかって、怖くなったよ」
 佐治はソファにもたれかかりながら、俯きがちにそう呟いた。佐治の何気ない言葉に、灯は 片眉を上げる。
「どういう意味?」
「覚えてないのか? あのクラス、ずっと休んでいた人がいただろう? その後病気で亡くなったって聞いてたから」
「……お前なあ」
 非常に疲れきった声で、脱力しながら灯は声を絞り出した。
「もっと早くそれ言えよ、バカ……」









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