巡ル想ヒ



「お前な……大変だったんだぞ、場所もわかんねーで探し回るの」
 メットを小脇に抱えながら、灯は潮に近づくなりそう毒づいた。持っているメットを 被ったせいなのか、綺麗に立てられていたはずの髪は少々乱れていた。
「おーこの池鯉がいるんだなあ。灯、餌持ってない?」
「話をそらすな」
 暢気に休憩場所から身を乗り出して池を覗き込む潮を、灯はねめつける。灯に叱られ、 潮は軽く肩をすくめた。
「場所、当てたのは蒼のお陰?」
「ああ。役所付近にいきゃいるかもしれないって。ここがはっきりわかったのは、何か、空気が変な色してたからだけど」
 それは灯独特の言い回しだった。変な色、それは『力』の具現を把握したことに他ならない。
 目の前で示された力ならともかく、距離のある場所で発揮されたものを正確に捉えたのは霊感の強い 灯だから出来たことだ。普通の人間ならば、まず、気付かない。ましてや、昼間の太陽光に遮られた中での 『力』は紛れやすく見えにくいものだった。
「よく気付いたねえ。灯は目もいいんだねえ」
「うっわーすっげムカつく。てーか礼の一つもナシか。俺はお前の護衛役なんざ引き受けた覚えはねーぞ」
「もう少し早く来てくれてたら素直に言えるところなんだけど?」
「誰のせいだと思ってやがんだよ。自業自得だろうが」
「ま、結果オーライかな。俺の力も使わずにすんだしね」
 何処までも身勝手な潮に、あーそうですかと灯はそっぽ向いた。まともに相手をしても疲れるだけだった。だが 潮の発言を思い返し、間を置いてから眉間に皺を寄せた。
「……力、使わずにって言ったか?」
「正確に言うと、自衛のためにだけですんだってこと。彼女自体は五体満足で退散したよ」
 池と足場の間に設けられた低い柵の上に座り込みながら、潮は完全にネクタイを外して切り裂かれた 上着を脱いだ。そして改めて切られた部分を見て顔をしかめる。その間ずっと灯は腑に落ちない表情を 浮かべて考え込んでいた。
「何?」
 スーツを自分の膝の上にかけシャツのボタンを外しながら、潮は灯を見もせずに問うた。襟元を 広げることでスーツ着用の改まった姿から、随分とラフな印象に変わる。
「……何で使わなかったんだよ」
 ぼそりと灯は呟いた。潮は両眉を上げると、そうだねえ、と曖昧に答えたが、それ以上は何も言いはしない。
 勿論、潮はその力を行使し、霊を消すことも出来た。だが、彼はそうしなかった。
 能力の問題ではなく。彼自身の意志で、力を使わなかったのだ。
 それは昨夜襲われた蒼と大きく違っていた。
「……何でてめーが自由に動けて、蒼がそうじゃないんだかな」
 明確な答えは得られないと察した灯は心の底から嘆息し、言った。首に手をあて、回していた潮はそれを聞いて不自然に顔を傾けた状態で動きを止めた。そして、 心底可笑しそうに笑い声を上げた。
「笑ってんな。お前は範囲とか、限られてねえんだろうが。好きなだけ、好きなように出来るんだろ。 なのに、何で蒼にはあんな訳わかんねー条件付きなんだよ。どうかしてんぜ」
 灯はメットを持ったまま備え付けのベンチに座り、正面にいる潮を睨みつける。潮は笑いを かみ殺すようにしながら、口を開いた。
「根本的に違う、と言っただろう? それだけ蒼の力が稀少なんだよ」
「けど、除霊は除霊だろうが」
 灯は釈然としない表情のまま、足を組んで潮を眺める。 潮は何度も説明したはずなんだけどなあと独り言を言うと、視線を宙に泳がせた。
「俺は全てを消しちゃうからね。勿論今回みたいにただ撃退することも出来るけれど、それは解決にはならない。 本当の意味で除霊するなら、蒼の方が良い。俺の力は、出来ることなら使わない方が良いんだ」
「わっかんねぇ……」
 灯の正直な感想に、潮は今度は微苦笑を漏らす。
「輪廻は巡ってる。その輪の中にいる限り、生きとし生ける者は全ていつか、転生する。けどね…… 俺の力はその輪廻の輪を切っちゃうから」
 そこで言葉を切り、潮はかすかに悲哀にも似た表情を浮かべた。
「その先にあるのは、完全なる無だよ」
 抽象的で、かつ自分には理解出来ない、おそらく一生理解することのない世界の話に、灯は首を振る。
 輪廻だの、前世だの、来世だの、そういった部分は自分の許容範囲ではない。
 だからこそ、潮と蒼が当然のように捉えている彼ら自身の力の違いと、その制約の違いを簡単に 理解することもない。
 たとえ何度聞いても、理不尽だ、としか思えないのだ。
 潮と蒼の、その違いに。
「……蒼の身長、今何センチだっけ?」
 ため息混じりに漏らされた、灯の唐突な問いに潮は格別驚いた様子も見せなかった。さあ、と茅葺の 屋根を見上げながら潮は考え込む仕草を見せる。
「180センチ、かな……? しばらく測ってないから伸びてるかもしんないけど、まだ俺よりは 低いでしょ」
「それでも伸びた方か……」
 灯は地面に視点を落とし、深々とため息をつく。そうだねえと潮は実に適当に相槌を打った。
「能力の違い云々は置いといても……何でアイツの能力は自分の身長に比例してんのかはやっぱぜってー わかんねえ」
 真剣に言う灯に、潮はまた、笑い声を上げた。
「それがわかってたら苦労しないさ」



「……人のいないところで噂とは失礼な話ですね」
 くしゃみをした後、鼻を押さえながら蒼は一人呟いた。
 彼は相変わらず一人縁側で庭を、空を、大気を、目に触れるもの全てを眺めていた。
 申し分ない快晴は夕刻に差し迫り、青の色から禍々しいまでの赤に染まり始めていた。
 やがて空は闇に染まり行く。
 夜の世界。彼らが蠢く世界。
 そして自分達の役目を果たす、本来の時間(ばしょ)。
 己が力だけでは満足に動くことも出来ない枷を履きながら、けれど決してその力は無用ではないことを 蒼は知っている。
 彼の存在があるならば、その枷があれども自分の役目を果たすことが出来ると。
 その認識は、必ずしも間違いではないはずであった。
「……実らず咲かずして地に還る花」
 幾度目かの呟きを蒼は漏らす。
 実りもせず、咲きもせず、ただ地に還るだけの花――不毛の、花。
 その花の名を、問いかける女(れい)。
 蒼は手に持ったままの写真に視線を落とす。
 楽しげに笑う同級生の傍らで、一人、灯に寄り添うようにして立っている。
 虚ろな表情。
 そこには殺意も憎しみもなかった。
 ただ――そう、そこにあるのは。
「花の名は……」
 蒼はふとした動きに、勾玉が光を揺らめかせる。
 彼女が求めている、花の名。
 実らず咲かず地に還った花。
 ――その名は。
「……君か?」



「君って言うな。どこぞのバカ坊主を思い出す」
 誰に断るでもなく中まで入り込んできた灯は、来た早々蒼にケチをつけた。蒼は写真から 目を上げ、憮然として立っている灯を見上げた。
「その『どこぞのバカ坊主』とは合流できたんですか?」
「んまあ! 兄に向かってバカ坊主とは何事よ!」
 灯に続いて潮も後ろからやって来る。潮は指に引っ掛け背中に垂らしていた上着を、戻ってくる早々 乱雑に縁側続きの部屋へと投げ入れる。蒼は上着が不自然に裂けていることを目に留めたが、それを 問いただすこともしなかった。
「コイツ後ろに乗せんのホントヤダ」
「あらあ、ちょっとくすぐっただけでしょうが」
「バイク運転してる人間くすぐるバカがいるか!」
 そのキーを手で弄びながら、灯は縁側に腰を下ろして胡坐をかく。その視界には 決して潮を入れようとはしなかった。
「今日は車で行ったんではなかったんですか?」
 そんな二人の間に入るように――決して気を遣ってという訳ではなかったけれど――蒼は 潮に目を向けた。
「うん、公共機関(バス)使ったよ。あそこの駐車場、入りにくいんだよねー」
「相馬造園ですか」
「相馬造園?」
 蒼の言葉に反応したのは、灯だった。その目は険しくなり、蒼を凝視する。蒼は灯に 向き直り、小さく頷いた。
「今回の依頼主がその相馬造園の社長さん、なんだけどねー」
 蒼と灯の真剣なやり取りを目にしながら、潮は一人のんきな声を上げた。だが二人の 視線が自分に集まると、潮は小さく首をすくめて笑ってみせた。
「そこで反応するってことは、アレが誰か察しがついてるってことかな?」
 その口調からは、潮があの正体について既に――少なくとも灯よりは早く――察しがついていたことが容易に知れた。灯は 眉間に皺を寄せる。気付いてたんならもっと早く教えろよ、と彼が非難する前に、潮は口を開いた。
「そう、あれは――相馬造園社長の一人娘だよ」









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