巡ル想ヒ



 相馬造園は、元は小さな花屋だった。相馬花店。それが現社長相馬裕彦が父から受け継いだ店だった。
 若くして店を継いだ相馬夫妻は慣れない経営に戸惑い、決して楽ではない生活ながらも幸せに暮らしていた。
 そんな相馬夫妻にさらなる吉報が訪れた。それは、吉報となるはずだった。
 子供が生まれたのだ。
 それは愛らしい娘だった。目に入れても痛くないほどの愛情を感じた。夫妻はより一層幸福に、仲睦まじく暮らしていた。
 だが、娘が生まれて十年経った頃。一家の生活は、激変した。
 娘に、心臓疾患が発見されたのだ。
 相馬夫妻は嘆き、苦しみ、そして途方に暮れた。
 娘を完治させるだけの――手術を受けさせるだけの治療費は、莫大な、見たこともない金額だったのだ。
 自分達の娘を、器量よく愛らしい娘を諦めることは絶対に出来ない。 しかし花屋を営むだけでは一生集めることの出来ない金額を前に、夫であり父裕彦は賭けに出るしかなかった。
 事業を、拡大したのである。
 相馬造園は、たった一人の娘のために設立された会社だったのだ。
 花屋時代のツテを頼り、造園は少しずつ軌道に乗り始めた。少なくとも花屋を営んでいる頃よりは、 収入は増していた。
 だがそれと並行するように、娘の容態はますます悪化していった。
 裕彦は一人がむしゃらに働き、必死に金を集めた。私腹を肥やすためではなく、娘の為だけに。
 そして相馬造園最大の受注を受けたとき――娘は旅立った。
 相馬造園を設立して三年目のことだった。
 それ以来相馬造園は急成長を遂げ、業績を伸ばし続けている――……。



「俺の、同級生だったらしいんだ」
 胡坐をかきながら、灯はポツリと言った。夕焼けに照らされ、紅く染められた髪はさらに朱に染まり、あたかも 燃えさかる炎のようだった。
「見たときにわかんなかったの?」
 部屋の中で縁側に背を向けて座り、潮は放り投げた上着から煙草を取り出す。その時蒼が眉をひそめたが、背を 向けた彼の目には入らなかった。
「学校の頃一回も見てないし、……正直そういうヤツがいるってこと自体頭になかった」
「ああ、病気わかってからは全く学校行けてなかったみたいだね」
 潮の問いに怒るでもなく、淡々と灯は答えた。潮は口にくわえた煙草に火をつけながらぞんざいに返す。
 写真に写った『彼女』。
 同窓会にやって来た『彼女』は確かに、本来そこにいるべき人物だったのだ。
 佐治の言うとおり、彼女は一度も灯とクラスメイトとして接する機会はなかったのだけれど。
 その名だけは、確かに、クラスの一員として在籍していたのだ。
「俺のこと、見つけたのは……同窓会だと思う。けど、やたらわからないことが多い」
「と、言うと?」
 苦虫を噛み潰したように顔を歪める灯に、合いの手を打つように潮が問う。
「あいつが花荒らしてるのは間違いないだろ。ってことは、親父の不利になるようなことしてるってことだよな?  けど、あいつが死んでから結構経ってる。今頃になって親父に恨み晴らしたり、……俺に変な問いかけしたり、何かよくわかんねえ」
 灯は軽く首を傾げながら潮ではなく、蒼を見た。潮に問うよりまともな答えが得られると判断したのだろう。蒼はそんな灯にしっかりと頷いてみせる。
 相馬造園の娘が亡くなってから6年の月日が流れている。だが今まで相馬造園は好調の一途を辿っており、 このような事件はなかったはずだ。灯の疑問はもっともだと言えた。 それに、同窓会で灯を見つけたとして、何故あんな問いかけをしたのか、その答えはなんなのかもようとして知れない。
 その疑問に返された蒼の言葉は、灯の予想の範疇にはないものだった。
「きっかけが、あったんでしょう。それまで彼女は相馬造園が有利になるように動き続けていたはずですから」
「……どういうことだ?」
 俯きがちに答えた蒼を、灯は凝視する。だが顔を上げた蒼よりも先に、片目を細めながら煙草をくわえた潮が口を開いた。
「霊は害を為すだけじゃないってことさ。今まで彼女は涙ぐましいほど親父の会社の為、親父の為に 力を使ってたんだ」
 煙を吐き出しながら、まるでそれが馬鹿げたことだといわんばかりに潮は言う。蒼は立ち上がって 部屋に入ると、隅に片付けてあった灰皿を取り出した。そして手にしていた写真とその茶の色に焼かれた陶器 を潮に渡す。
「気が利くね」
「私の湯飲みを灰皿代わりにされてはかないませんから」
 眉をあげてそれらを受け取った潮に、蒼は笑顔で返す。背後で繰り広げられている 不穏なやり取りは全く無視して、灯は胡坐をかいた膝の上に立て肘をして一人考え込んでいた。
「……つまり、あいつのお陰で親父の会社はデカくなったってことか?」
 蒼が元の位置に戻ると同時に、灯は口を開く。難しい顔をしている灯に、蒼は再度、頷いた。
「ええ……おそらくは彼女の力によるものが大きいでしょう」
「守護霊みたいなものだよ。運も巡るし、時には実力行使で手伝ってもいたんだろう。……勿論、社長本人は 娘が傍にいる自覚なんてないだろうけどね」
 蒼の言葉を、潮が継いだ。潮は灰皿に灰を落とすと、写真をレントゲン写真のように日に掲げて眺めていた。 赤い太陽の光を浴びても消えることなく、『彼女』の姿はそこにあった。
「それで『きっかけ』があって、逆のことをしだしたってワケか……。でもそのきっかけって何だよ。 同窓会で俺を見つけたからっつーんじゃないよな、時期的にも」
 絡み合った糸を一つずつ解きほぐすように、灯は問いを繰り出していく。その顔は相変わらず険しい ままだった。
 灯が『彼女』を見つける前から事件は起きていた。だから、灯の存在自体は依頼が来た『事件』とは 関係のないもののはずだ。
 よくわからないことが、多すぎる。
 その時、灯と目を見合わせていた蒼は、背後の潮を見返った。
「それは潮が知っているでしょう?」
「おやご指名かい?」
 長い足を伸ばしたままの潮は相変わらず写真を眺めていた。片手で灰になった煙草を完全に押しつぶすと、両手で それを持ち直しながら二人を見返る。
「我々が今回の依頼に関わっている以上、その内容に関して秘密主義に走られることはないと思いますが?」
「別に秘密主義に走った覚えはないんだけどなあ」
 やれやれと肩をすくめると、潮は唇の端を歪めた。けれど決して『知らない』訳ではない辺りが潮の 潮たる所以だ。灯は座ったまま体を反転させて、その答えを待った。潮が言わないならば、 力ずくでも吐かせるつもりだった。だがそんな気配を察してか、潮は案外簡単に答えを示した。
「夫妻の離婚が決まったみたいだねえ……。しかも最初に事件が起きた日と正式にそれが決まった日の 辺りが一致してる」
「なるほど」
 一人納得した様子で蒼は左の手で口元を押さえ、包帯が巻かれた右の手を左の袖に差し入れた。そう する様はまるで新作について考える文豪のようだ。その隣で肘をついた手を上げ髪に差し入れながら 灯が深々とため息をつく。
「いつの間にんなこと調べ上げたんだか……」
「仕事してるって言ったデショ?」
「俺が言いたいのはそんなことわかってたんならとっとと言えよバカっつーことだ」
「今日言おうかなーと思ってたトコロ」
 本当にそうなのかどうか非常に疑わしいところだったが、灯がそれを口にする前に潮に先を 越された。
「それに両親の離婚が『きっかけ』であっても、それで何故あんな真似をしたのかは解明されてないし、 まだまだ謎は残されてるよね?」
 潮は謎を指摘しながらも、それを謎とは捉えていないような口ぶりで灯に振った。 自分の手にした写真を、床を滑らせて彼のもとへ寄越す。灯はそれを手には取らず、 ほとんど沈んでしまった夕日が最後の余韻で照らす一枚の写真を見下ろしながら呟いた。
「……実らず咲かずして地に還る花は……か」
「難しい問いかけだよねえ?」
 揶揄するような潮の口調に、灯は眉を吊り上げる。それが何かわかっていれば最初から 苦労などしていないのだ。
「灯」
 灯と同じ写真に目を向けながら、彼の名を呼んだのは蒼だった。 「何?」
「彼女が同窓会に出たという自体気になりませんか?」
「ん? ああ、まあそりゃあなあ……」
 最初蒼の意図するところが読み取れずに適当に答えた灯だったが、ジッと写真を凝視しているうちに 何かに気付いたように目を瞠った。
「ああ……そうか」
 灯は、独りごちた。
「……そういうこと、かよ……」
 灯の呟きに、蒼は微笑を浮かべる。
「こいつは、誰を恨んでるワケでも、ねーんだな……」
 彼がそう呟いたのは、闇が光を凌駕し始めた頃。
 闇の力が、動き出す頃のことだった。



「佐治、さーじ、お前人の話聞いてるか?」
 玄関先で靴を履きながら、灯は苛立たしげに言った。
「バイトが何だよ、ガキぐらい一日放ったらかしにしとけよ。自習ってもんがあんだろ」
 生真面目な塾講師からの反論に、灯は舌打ちする。その後ろで着流しから昨日と同じような 黒のシャツとパンツに着替えた蒼がそのやり取りを無言で眺めていた。
「……俺が知るか、んなこと。俺は今日一日その体貸せっつってるだけだ。別に無理難題 押し付けてる訳じゃねーじゃねーか。……あ、おい!」
 灯は必死に言葉をつなげようとしたが、既にもう遅かった。
「アイツ、切りやがった……」
 灯はもう一度舌打ちをしてから、乱雑に電話を切る。余計な用件は持ってくるくせに、 肝心な時には使えないやつだ。
「灯には生身の人間とのコミュニケーションの方が難しいようですね」
 くすくすと笑い声を忍ばせながら、蒼がそんな感想を漏らす。靴を履き終わった灯は立ち上がりながら 後ろの蒼を睨んだ。
「今回は彼の写真のお陰で随分わかることがありましたから、それでよかったことにしませんか?」
 灯と交代して、座り込んで靴を履き始めた――動きやすい黒のスニーカーだ――蒼は憤懣やるかたない 灯を宥めた。
「アイツのせいで余計なことに巻き込まれた気がしないでもないんだけど」
「それは、灯が灯だから仕方ありませんね」
 そもそも佐治がいなければ同窓会に出席することもなかったはずで、あの場で『彼女』と出くわす こともなかったはずなのだ。幹事の佐治がいなければ同窓会自体成り立たなかった可能性だってある。 勿論、氷城に『依頼』は来ただろうが、直接自分に関する所ではないからこれほどまでに気が重くなることも なかったはずだ。釈然としないものを感じながらも、諦めて嘆息した。
「じゃあまあ、俺は俺のやることっつーのをやりに行きますか」
「そして私は私の……ですね」
 蒼はそう言って胸元の勾玉を握りこんだ。 その右手には相変わらず包帯が巻かれているのを見て取って、灯は眉間に皺を寄せる。
「手、大丈夫なのか?」
「傷のうちにも入りませんよ。包帯は、大事をとっているだけです」
 にこやかに答えながら、蒼は立ち上がる。立ち上がった蒼は灯よりも幾分、背が高い。灯はその 蒼の顔を見て、首を振った。
「なーんか、見せつけられてる感じがするんだけど」
「灯にではありませんよ」
 笑顔のままで返した蒼に、灯は視線を外してぼそりと呟いた。
「……根性悪な兄弟だよなあ……」
「何か言いましたか?」
「いーや」
 確かアイツの責にはなりえないとか言ってなかったっけか、と内心思いながらも決してそれは 口に出さず、それを誤魔化すように、灯にしては陽気に声を張り上げた。
「では行きますか」
 玄関先に置いてあったヘルメットを蒼に放り投げて、灯は一人先に外へ出て行く。
 見上げても目がくらむほどの太陽はそこにはない。
 朧な月や星に照らされた世界。しかしその光は微弱たるもので、そこは闇に満ちている。
 闇に待つ者の望む『答え』は、用意できていないのかもしれない。
 けれど『彼女』が何を望んでいるのか、今の灯には見えていた。
 その望みを叶えるために。
 彼は、『彼女』の元へと向かった。









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