細い月。
 白く舞う花びら。
「ご忠告さし上げましたのに」
 声はいつかのように、坂の上から降ってきた。
 花びらの中に立つ、あのひと。
 短い髪が、風に揺れる。
「…これが最後です。それとも、私の元へといらっしゃいますか?」
 前とは、どこかが違う雰囲気。
 躍[おど]る…花びら。
「貴方は……?」
 問わずには、いられなかった。
 だって、あのひとは。
「私は、桜。」
 『人』ではないと思ったから。
「この樹々[きぎ]に宿りし者」
 薄い月の光。闇の中に在[あ]るひと。
「…私の元へといらっしゃいますか?」
 不思議な色を纏[まと]う。
 桜…さくら。
 四季を感じるもの。めぐる季節と共に在るもの。
 わたしは一度、目を閉じた。
 わたしの求めるもの、願うもの。
 もう一度、確かめるために。
 耳にあるのは、木々が枝を揺らす音。
 しばらくそうしてから、わたしは目を、開けた。
 映る、桜坂。
 樹と花とあのひとと。
「…いいわ。行ってあげる」
 わたしは、彼の目を見ていった。
「本当に、よろしいのですね?」
「貴方は、寂しがりやなのでしょう?」
 問うあのひとに、笑んでみせる。
「でも一つ、条件があるの」
「何です?」
 わたしは笑んだまま、本気で告げた。
「貴方の、名前を頂戴[ちょうだい]。」
 桜――さくら。四季を感じる木。
 わたしの願いを、たやすく持っているもの。
 あのひとは、少し目を見開いて、けれどすぐ穏やかな表情に戻って言った。
「わかりました。さし上げましょう」
 その言葉に頬[ほお]が緩む。
「ありがとう」
「ではこちらへ―――さくら」
 告げたわたしに手をさし伸べる。
「はい」
 さくら。
 その響[ひび]きが嬉[うれ]しくて、わたしは彼の手を取った。
 わたしの目には、彼と花びらと桜坂。
 わたしは彼に手を引かれて、桜へと溶けていった。



 そして桜は、今年も白の花びらを散らす。
 …わたしの、すぐ傍[そば]で。


The End.  

BACK   NONSENSE

TOP   CLOSE   NOVELS   MAISETSU