その日の放課後。鐘はとうに鳴り、部活をする声が聞こえてくる時刻。
掃除[そうじ]を済まして日誌を書き終えた泳夢[えいむ]は、
帰る用意をしていたガーネットの席へと歩み寄った。
「サラネイドさん」
「はい?」
「今日みたいなのがあると面倒だから、移動教室を教えておくわ」
ついて来て、と言い置いて、泳夢は教室を出た。一瞬、戸惑[とまど]ってはいたものの、
後ろから慌[あわ]てたようにガーネットがついて来る。
それを目の端にみとめて、泳夢は特別室の並ぶ北棟へと歩き出した。
放課後の北棟は、部活動をする生徒をちらほら見かけるだけで、グランドからも離れているため、
ゆたりとした空気が流れている。その中を、二人分の足音が響いていた。
「校内案内はしてもらったと思うけど、そこの家庭科室は金曜2時間目に使ってるわ」
「金曜2時間目…」
歩きながら説明する泳夢に続いて、ガーネットが曜日と時間を復唱する。
それを後ろに聞きながら、泳夢は北棟をぐるりとまわった。
「ありがとう」
教室に戻るとガーネットに笑顔で言われ、泳夢は別に、と肩をすくめてみせた。
「1学期だけって言っても、移動教室は結構あるし、その度取り残されてても大変でしょう?」
「そうそれ。話くらいしてくれてもいいのに」
背の高い美少女は、憤然[ふんぜん]とそう言って腕を組んだ。
「片岡さんの目について、次の標的になるのが怖いんでしょう?」
泳夢はそっけなく言って、鞄[かばん]に手をかけた。
けれどガーネットはその言葉に納得がいかなくて、訝[いぶか]しげに眉[まゆ]を寄せた。
「Miss 片岡? 私、彼女に何もした覚えはないわよ? 気に入らない事があるなら、
直接言ってくればいいのに」
それには応えず、泳夢は視線をガーネットに向けた。背があまりないため、
必然的に見上げる形となる。
「…留学って、そんなに日本語ができるのなら、1学期もいなくてもいいんじゃないの?」
「どういう意味?」
まっすぐな視線が泳夢へと向かう。それを平然と受けとめて、泳夢は告げた。
「この状況、あなたが向こうに戻るまで続くわよ。日本語が学びたいだけだったら、
1ヶ月くらいで十分なんじゃないの?」
ほぼ完璧に日本語を話すガーネットなら、そこまで学ぶものもあるとは思えない。
「…日本語だけが学びたいんじゃないわ」
深く、底に何かを秘めた声で、ガーネットは言葉を発した。
「この国の事が知りたいのよ。向こうで調べられる知識だけじゃなくて、
本当のこの国の事を知りたいの」
強く言うその瞳は、屈しない光を宿す。
「だって、自分に流れる片方の血のことを、何も知らないなんて悔しいじゃない」
一気に告げたガーネットは、自分を見るだけで何も反応を示さない泳夢に諦[あきら]めてか、
息をついて机に腰[こし]かけた。
「『居場所』ってないのかしらね」
トーンを落としてひとりごちる。
「私ね、向こうでもやっぱり『Half[ハーフ]』なのよ」
苦笑して彼女は告げた。
「ここでは『日本人[あなたたち]』とも違うけれど、でも向こうにいてもね、
やっぱり『向こうの人』とも容姿は違うの」
でも、とガーネットは強い瞳で言葉を紡ぐ。
「半分ずつ血を引いてるって事は、
Half[ハーフ]じゃなくて Double[ダブル]にもなれるでしょう? 私はね、Double になりたいの。
だから来たのよ」
『半分』であるのではなく『両方』になるために。
けれど言い切るその瞳が、ふいに揺らいだ。
「でも、中途半端って、結局受け入れてもらえないのかしら?」
気弱に呟[つぶや]くガーネットに、泳夢は単調に言葉を発した。
「混血は、何も『貴女[あなた]だけの特別』じゃないわよ。悲劇のヒロインぶらないでよね」
その言葉にガーネットは、かっと頭に血を上らせた。
「ヒロインぶる? そんな事してないわよ。私は…」
「だって、わたしもハーフだもの」
激昂[げっこう]するガーネットは、けれと泳夢の感情なく告げられた言葉に、
軽く口を開けたまま言葉を途切れさせた。
「他の子に言ってないし、これから言うつもりもないけど。ま、他の子はソレ、
言わなくても感じてるんじゃない?」
ガーネットは何も言わず、目を少し見張ったまま泳夢を見ていた。
肩口で切り揃[そろ]えたセミロングの黒髪に茶色い瞳、平凡な顔立ちの泳夢は、
一見しただけではそうは見えないだろう。けれど、確実に違う部分もあるのだ。
「ま、そのダブルって考えは、認めてあげなくもないけど」
それだけ告げて、泳夢は教室を後にした。