部活がなく、まだ空の青いうちに家に向かった泳夢[えいむ]は、
教室でのいつもの自分らしからぬ様子に、こっそり苦笑した。いつもなら冷めた目で見るだけで、
関わる事はないというのに。
(でも、うらやましいかもね)
あの、まっすぐなひたむきさは。
『知らない事』を求める強さは。
泳夢は母親と二人暮しで、父親の事は『きいてはいけない事』であったから。
自分からそれきくのは、何故[なぜ]だかずっと怖かった。
父親に関しては、名前も年も姿さえ、何も知らない。ただ、『日本人』ではなかった、
とだけ聞いていた。
『触れてはいけないこと』。『きいてはいけない事』。
けれど、『知りたい』という思いがないわけではなくて。
『何も知らないなんて悔しいじゃない』
強い、彼女の言葉が、頭の中で響く。
泳夢はぼんやり進めていた歩を止めた。
目の前には家。自分の育った場所[ところ]。
(…悔しい?)
半分しか知らなくて? 知りたいことも知れなくて?
ひたむきに求める彼女の様子が頭に浮かぶ。
(…きいてみても、いい、かな?)
自分にしては、らしくないかもしれないけど。でも。
(ダブル、ね)
なれるなら、それも求めてみてもいいかもしれない。
久しぶりにどきどきした気持ちで、泳夢は家へと入った。昼間は働きに出ているため、
誰もいない部屋。でも、今夜帰ってきたら、きっと。
鞄[かばん]を置いて、そっと願った。
「ねぇ、お母さん…」
The End.