私が家を出たのは半年前。
そう、本当にふらりと『家を出た』のだ。
割と気に入っていたワンピース。小さな鞄[かばん]にはケータイと化粧ポーチとおサイフ。
街に出かける格好[かっこう]そのままで、私は汽車に乗っていた。
手に、1輪の白い花だけを持って。
ゆらり、ゆられて山を登って鉄橋を越えて。
そうして辿[たど]り着いたのが『ここ』だった。
知らない土地のはずなのに、まるで予[あらかじ]め決められていたかのように、
私はこの地へと降り立っていた。
出会う人も何の疑問も持たず、それが当然のように私をこの家へと案内してくれた。
私も、この家が住むべき場所なのだとひどく素直に思えたから、あれからずっと、ここに、いる。
家に連絡をしたのは1度きり。
隣の村までバスでゆられて。葉書を1枚、投函[とうかん]した。
その葉書を机の上に置いて、奏[かなで]さんは淡々[たんたん]と質問を口にした。
「今までずっと、ここに居たんですか?」
葉書の差出人欄[さしだしにんらん]には私の名前だけ。
古い切手の上に隣村の消印がひとつ、押されていた。
「御母さんから聞きました。『そういう人』が出る家系なのだと」
握[にぎ]られた手に浮き出た血管が、激情を堪[こら]えているのだと告げる。
「黙[だま]って行方不明になって、僕らがどんなに……どんな思いで探したと…」
「奏さん」
言い募[つの]るその言葉を、私は名前を呼ぶ事で遮[さえぎ]った。
歪[ゆが]んだ表情。
この人は、本当に私を追いかけて来てくれたのだと。心配してくれていたのだと、
その想いが痛い程に伝わってくる。けれど…。
「ごめんなさい。私は、ここに、いなければならないの。私は私だけれど。でも、
確かに『わたし』も私だから」
「何を……」
眼鏡の奥で怒りに満ちていたはずの瞳が、私の意志にごく僅[わず]か、不安に揺れた。
「私のことはどうか、忘れてください」
愛しいひと。
胸にある、この想いはまごう事なき真実だけれど。
…それでも。
そっと口接[くちづ]けて、薬を含ませた。
「おやすみなさい」
倒れてゆく奏さんに、私はそう、言葉を送った。