何かに呼ばれたような気がして、夕凪[ゆうなぎ]は目を開けた。真っ暗な闇の中、 体のあちらこちらがひどく痛む。
 今は、いつなのだろう。時間の感覚がわからない。外が見たいが、少しでも動こうとすると、 激痛が走る。
 …けれど、何故[なぜ]だろう。何かに呼ばれている気がする。行かなければならない気がする。
(……何処[どこ]へ?)
 自分が行かねばならない場所など、あるのだろうか。ああ、けれど……
(呼ばれている)
 それは確信となって、夕凪の中に凝[こご]っていた。自分は呼ばれている。誰かに。誰かに……
(…誰に?)
 思った瞬間、脳裏には一人の娘の姿が思い描かれていた。長い、黒髪の娘。 心からの笑顔を見せる娘。
(翠雨[すいう])
 その名が意味するものは『翠[みどり]の雨』。
 生命力あふれる青葉に降りかかる雨。草木を育[はぐく]む、雨。
(雨……)
 天[そら]より落つるもの。地に還[かえ]りしもの。
 雨。雲。天[そら]。
 自分に近しきもの。
 近しきもの……
(ああ、そうか)
 息を吐き出し、思う。
(私[わたし]は……)
 落とし物を取り戻しに来たのだ。
 ……天[そら]から。
 この、大地へ。
 夕凪は、大きく呼吸を繰り返した。
 力をめぐらせるために。
 ゆるりと、何かが動き出す感覚。
 深く、呼吸を繰り返す。
 大きな流れに身をまかせるような感覚。
 意識の変革。
 傷が、癒[い]えてゆく。
 痛みが嘘のように退[ひ]いてゆく。
 力を少し、外に向ける。と、 手足を拘束[こうそく]していた縄[なわ]が瞬時に塵[ちり]と化した。
 立ち上がり、外へと出る。どうやら、集落のはずれの廃墟[はいきょ]に閉じ込められていたしい。
 乾いた夜風が、髪を揺らす。
「向こうか……」
 呟[つぶや]き、夕凪は導かれるままにゆらりと歩き出した。



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