ちらちら舞う、木洩[こも]れ日。流れ行く、柔らかな空気。
 心を落ち着けて、指先に精神を集中させる。
「世界にたゆたいし、白き神の力よ」
 ルナは瞳を閉じ、両手を額[ひたい]の前で交差させながら呪文を唱[とな]え始めた。
「我らの内に眠りし、白き癒しの力よ」
 ゆっくりと瞳を開け、イスに腰かけるサイアの目の前で、 空中に何かの印―――――聖魔文字[せいまもじ]を描いてゆく。指先に灯る光が軌跡を残し、 聖魔文字を淡く光らせる。
「我は願う、眠りし力の目覚めんことを。我は祈る、白き神の御加護あれと」
 聖魔文字が完成する。そのまま指の先を、サイアの額に当てた。
「自己治癒[リ・ヴァルム]」
「あ……」
 ルナが力を放った瞬間、サイアの中を熱い『何か』が駆けめぐった。
 自分の中に確かに『在[あ]る』と感じる力。
 サイアはただ、その力が身体中に流れていくのを感じていた。白き神の司る、 回復―――――癒しの力。
 そしてサイアは同時に、自分が昔の健康な状態に還[かえ]ってゆくのも感じていた。
「どう、ですか?」
 サイアが目を開けると、そこにはルナとラークの心配そうな顔があった。
「すごい、わね」
 半ば呆然[ぼうぜん]としながら、サイアは二人を見た。
「本当に、強い力ね。驚いたわ」
「だから強いって言っただろ? あのさ、母さん。ルナは『白のシャーレ』なんだ」
「え……?」
 喜んで言うラークの言葉を、サイアは一瞬、聞き違いかと思った。
「今、何って、言ったの?」
 恐る恐る尋ねる。
「だから、ルナは行方不明中の『白のシャーレ』なんだって」
「白の、シャーレ?」
 サイアはルナをまじまじと見つめた。
 自分の息子より年下の女の子。
 まだ幼さの残る顔。深い緑色の、意志の強そうな瞳。
「…ラーク、あなたルナさんと初めて会った時、何か、不思議な感じがしなかった?」
 ふいに、サイアはそう尋ねた。
「え、ああ。そういえば初めて会った時、意識だけが浮き上がるみたいな、 変な感じがしたような……」
 それを聞いてサイアは、そう。と納得した。ラークがこんな質問に嘘をつく理由はない。
 どうやらこの少女が『白のシャーレ』であることは間違いないらしい。
(でも……)
「あ、えっと。あたし、白のシャーレらしいんだけど、そうだって知ったの、ついこの間で…」
 言葉に詰まるルナを見て、サイアは唐突[とうとつ]にしっくり来ない理由に思い当たった。
「あなた、『世界』に逢っていないのね」
「え?」
 いきなりそう言われて、ルナは不思議そうな顔をする。
「魔法も、まだ不完全ね。解放のコトバを唱えていないのに、 あれだけの力が溢[あふ]れ出ているのもすごいけど」
「え? え!?」
 混乱しているルナに、サイアは諭[さと]すように優しく告げた。
「シャーレの魔法はね、普通は『解放のコトバ』を唱えないと発動しないのよ」
「え? でも、あたしの魔法は…」
(ちゃんと発動してるのに…)
 不服そうなルナとは対照的に、サイアはどこまでも穏やかに話し続ける。
「あなたの魔法は、完全なものではないの。例えるなら、器から溢れた水のようなもの」
(ウツワカラアフレタミズノヨウナモノ…)
 サイアの言葉がルナの頭の中で繰り返された。
「ちょっと待てよ」
 傍[そば]で黙って聞いていたラークが、ふいに声を上げる。
「じゃあ、その『解放のコトバ』をルナが唱えたら、今までのより強い力が発動するのか?」
 そうね、とサイアは頷[うなず]く。
「そういう事になるわね。でも、『解放のコトバ』を持つのは『世界』に逢った者―――つまり、 シャーレになった者だけなの。普通の魔法使いは『解放のコトバ』は持たないわ。 普通の魔法使いとシャーレで、魔法発動までに時間の差があるのは、 シャーレが『解放のコトバ』を持つからなの。『解放のコトバ』を使えば、呪文を唱えなくても、 詞[ことば]を唱えるだけでいいから」
 サイアの答えにラークは愕然[がくぜん]とした。
「より強い力が、短時間のうちに発動する……」
 隣に並ぶ、自分より年下の少女を見る。
 一見すると、とりわけ変わったところもない、普通の少女。しかし、強い魔力を扱う少女。 その強さは自分も目の当たりにした。『解放のコトバ』を使えば、 この少女はあれよりも強い力を手にするというのだろうか。
 そして、とサイアは続ける。
「『解放のコトバ』は、『世界』に逢ってはじめて感じる[わかる]ものなの。 シャーレは『世界』に逢って、そしてはじめて本当に『シャーレ』になるの」
 サイアは何かを懐[なつ]かしむように言葉を紡いだ。
 まるで、かつて自分がそうであったかのように……
「世界?」
 ルナの声に、サイアは頷いた。
「そう、『世界』。あなたは、まだ『世界』に逢っていないのね。…ラークは、 『世界』に逢っているのよ」
「え…?」
 穏やかなサイアの一言に、ラークは思わず声を上げた。
「俺が、世界に会ってる!?」
 身に覚えがないと言わんばかりの表情を浮かべる。
「俺は、世界になんて会った事はない。それに、どうして母さんが、そんな事を知ってるんだよ?」
 問われてサイアは、ラークを真っ直ぐに見据えた。
「それは私自身が、かつて『緑のシャーレ』と呼ばれる者だったから」
 サイアの告白に、ラークは言葉を失った。
「緑の、シャーレ? …サイアさんが?」
 俄[にわか]には信じられず、ルナはまじまじとサイアを見つめる。対する彼女はふわりと笑んだ。
「今は違うわ。言ったでしょう? 『かつて』って」
 サイアはどこまでも穏やかに、淡々と言葉を紡いでいく。
「じゃあ、今は……」
「今は、緑のシャーレの母親」
 言いながら、視線をラークに移す。
「現緑のシャーレは、私の息子、ラーク・マシェル」
「なっ…!! ラークが? ラークが、緑のシャーレ?」
 ルナはあまりにも驚きすぎて、ラークを見たままぺたりと地面に座り込んでしまった。 ラークはと言うと、一瞬、驚いた表情を見せた。けれどそのまま俯[うつむ]いて微動だにしない。
「……ラーク?」
 ルナが呼びかけると、ラークは俯いたまま肩を震わせた。
「え? ラー…ク?」
「…クククククククククッッ。あーっははははははははははっっ……」
 涙目になりながらもお腹を抱えて笑うラークに、ルナは一瞬、反応できずに凍りついた。
「ラ、ラーク?」
「冗談言わないでくれよ、母さん。俺が緑のシャーレだなんて、そんなのあるわけないじゃないか」
目の端に溜まった涙をぬぐって言う。
「ラーク…」
「俺は魔法は使えない」
 サイアの言葉を遮[さえぎ]って、ラークは告げた。どこか、諦[あきら]めを含んだ声で。
「シャーレはみんな、魔法が使えるんだろ? シャーレの『後継者』には、 魔法の素質を持ってる者が選ばれるって聞いたことがあるし。…けど、俺には魔法は使えない。 どんなに完璧に呪文を唱えてたって、どんなに正確に聖魔文字を描いたって、 どんなに奇麗に詞[ことば]を発音したって、力は発動しない。―――母さんも知ってるだろ?」
 顔を上げ、サイアを見据える。
「魔法も使えないのに、俺が緑のシャーレなワケないじゃないか」
 その声に、戯[たわむ]れは含まれていない。
「…もっと早くに言うべきだったのかしらね」
 サイアはラークから瞳を逸[そ]らすと、思いつめたようにそう独りごちた。
「ラークの、緑のシャーレとしての力は、ラーク自身の中に封印しているの」
「え……」
「ラークはね、『世界』に逢った時期がとても早かったの。…早すぎたの。まだラークには、 力が制御できる状態ではなかったの。…十二年ほど前に大陸中で大地震が起こった事、 知っているかしら? あれは、ラークの力が暴走した結果なの。だから、 私はラークの力を封印したの」
「何を……冗談だろ?」
 目を見張るラークに、サイアは静かに首を振った。
「冗談なんかじゃないわ。これは、すべて本当のこと。封印を解けば、すべてがわかるわ。 …そうね、もう、きっと大丈夫ね。……封印を、解いたとしても―――――」
「母さん?」
 サイアは何故[なぜ]か、少し淋しげに微笑んだ。
「ラーク、封印を解くわ。…本当は、もっと早くに解かないといけなかったのかもしれないけれど」
 ゆっくりとイスから立ち上がる。
「ついていらっしゃい。神殿の中心に、案内するわ」
 そう言ってサイアは建物の中へと足を運んだ。
 ルナとラークは顔を見合わせると、遅れてサイアの後を追った。



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