冷たいはずの、石の敷き詰められた広いホールの床。それがこんなに暖かく感じるのはきっと、 ガラス張りの、大きくとってある天窓からの日の光の所為[せい]だろう。 柔らかな光は床だけでなく、ホールの中央に据えられた大きな砂時計に燦々[さんさん]と降り注ぐ。 砂時計はきらめいて、周りに光を振り撒[ま]く。二種の光に彩られて、 冷たいはずの床が豊かな表情を映し出すのだ。
 そして、ホールのつきあたり。美しい女神の像の立つ祭壇。
 神殿の中心部に据えられた女神像。女神の天にかざした手の上には、 美しい緑色の砂時計が、淡い緑の光を放ちながら宙に浮かんでいた。 そのフォルムは絶妙。透明な翡翠[ひすい]ででもできているような印象を受けるが、 それ以上の光を放つ。
「こちらへいらっしゃい」
 二人はサイアに導かれるまま祭壇の前に立ち、女神の像を見上げる。
「サイアさん、あれは?」
 ルナが指したその先には、宙に浮かぶ砂時計があった。
 ひとの手で作り出したとは思えない、見事なそれ。
「ああ。あれは、六つの神器のうちのひとつ。我が緑の国の神器、『緑の砂時計』よ」
 サイアは愛[いつく]しむかのように目を細め、女神像を見上げてそう言った。
「あれが、緑の神器? じゃあ、白の涙もあれくらいの大きさなのかな?」
 呟[つぶや]くルナに、サイアはするりと視線を移す。
「いいえ、違うわ。大きさだけならあれの半分ぐらいのはずよ。白の涙は、手のひら程の大きさの、 白くて丸い珠[たま]だから」
「ふーん。そうなんだ。ねぇラーク、……ラーク?」
「え? あ、ああ」
 神器に目を奪われていたラークは、呼ばれて曖昧[あいまい]に返事をした。 幼い瞳にこちらを見られて、何となく気恥ずかしい思いに駆られる。何となく目をそらして、 こんな気持ちを起こした原因を再び見上げた。
 放たれる波動と光。
 この神殿には何度も来ているのに、あの緑の砂時計だけは、何度見ても決して慣れない。 必ず目を、心を奪われる。
 硬質[こうしつ]で滑[なめ]らかな器の中、さらさらと絶えず落ちてゆく緑の結晶。 撒[ま]かれる淡い、緑色の光…
「できたわ。ラーク、この中心に立ちなさい」
 サイアの声に振り向くと、何かの液体を垂らしたのか、 ホールの床に大きく不思議な模様が描かれていた。何重かの同心円。 その中に、さらに別の小円が散らばめてある。円と円の隙間には、 等間隔で文字のようなものまでが書かれていた。
「魔法、陣?」
 驚いたようなルナの声に、サイアは小さく頷[うなず]いた。
「ラークの封印は、特別なものなの。ラークの力は、私の力だけでは封印なんて、 とてもじゃないけどできるものではなかったから。だから、あのとき私はこれを使ったの」
 力不足を補うために。
 ゴクリ…と喉[のど]を鳴らす音が聴こえて、ルナが隣を見上げると、 そこにはラークの真剣な横顔があった。
「ラーク……?」
 ルナの声に応えずに、ラークは床に敷かれた魔法陣の中心へと足を進めた。
「いいかしら?」
 サイアの声に、深く頷く。
 それを見届け、サイアはひとつ深呼吸をすると厳かに呪文を唱え始めた。
「―――我らを創造せ[つくり]し六つの守護神よ。我らの母なる『世界』よ」
 指先に淡い光が灯り、宙に大きく聖魔文字が描かれてゆく。 サイアの手の先から生まれる聖魔文字は、ルナが使うものよりずっと多く、そして複雑であった。
「我は今、心より願う。緑の大地の在るべき姿に戻らんことを。時の封印の解かれんことを。 『世界』の意思を受け継ぎし、緑の大地の解放を」
 サイアの声に呼応して、床の魔法陣が淡い光を放つ。
「我は祈る。時を司りし緑の神、フィルよ。真偽を司りし黒き神、セージよ。緑の大地に眠りし力の、 在るべき姿に還らんことを」
 聖魔文字が完成する。
「解放[リア・トゥール]、ガーヴァラント !!」
 サイアが詞と解放のコトバを唱えるのと同時に、魔法陣が目も眩[くら]む光を放った。
 その瞬間、ルナは光の中に、緑色をした尾の長い鳥と、 額[ひたい]に角を持つ闇色の獣[けもの]を見たような気がした。


 それは一瞬だったのか、長い時間だったのか…。
 光がおさまると、 そこは何事もなかったかのように静まりかえっていた。ただ、砂時計だけが時を刻んでゆく。
 さらさらさらさらと…
 光を浴びた目を瞬[しばた]かせて、二人の方を見る。そこには、魔法陣の内と外で、 それぞれ座り込んでいる母子[おやこ]がいた。
「どう、なったの?」
 ルナが囁[ささや]きにも似た掠[かす]れた声を出すと、サイアがラークへと視線を向けた。
「ラーク…?」
 恐る恐る声をかけると、ラークは魔法陣の中で俯[うつむ]いたまま、言葉を発した。
「……思い、出した。俺は、『世界』に逢ったんだ」
「ラーク?」
 ラークはふいに顔を上げた。何故[なぜ]だろう。先程までのラークとは、少し雰囲気が違う。
「俺は緑のシャーレ、ラーク・マシェル。…思い出したよ、母さん。すべて―――――」
 その言葉に、サイアはひとしずくの涙を流した。



「ルナさんは、『世界』に逢うべきだと思うの」
森で採れた木の実や茸[きのこ]をふんだんに使った、美味しい夕食を頂いたあとのこと。 ゆっくりとお茶をすすっていたサイアは、ルナを見てそう言った。
「世界に、会う?」
 唐突[とうとつ]なその言葉に、ルナは首を傾[かし]げる。
(世界になんて、どうやって会うっていうんだろ…)
 世界はルナの暮らしている『ここ』のこと。そんなものに『会う』だなんて、想像もつかない。
 眉を寄せて悩むルナをよそに、ラークが口をはさんだ。
「俺も、そう思う。ルナは絶対、『世界』に逢わなきゃならない。白の涙を探すには、 まず白のシャーレが覚醒[かくせい]しないと話になんないだろーし。それにルナが覚醒すれば、 自然と、白の涙のありかもわかるだろうし」
「か、覚醒?」
 きょとりとするルナに、ラークは頷きかける。
「そう、覚醒。シャーレは『世界』に逢って、はじめて本当に『シャーレ』になる」
「それって…」
(サイアさんが言った言葉…?)
「だから…」
 サイアはカップをコトリと置くと、ルナの方を見た。
「赤の国に行けばいいと思うの。レイ・ナンシェに会いに行ってみたら…って思うのよ」
「レイ・ナンシェ?」
「あ、そうか!」
 聞き慣れない名前を訝[いぶか]しむルナとは対照的に、ラークは得心がいったようだった。
「誰? それ」
「赤のシャーレ。決まってるだろ?」
「赤の、シャーレ?」
 ふ、とサイアが笑む。
「レイ・ナンシェなら、ルナさんを『世界』に逢わせることはできなくても、 会わせることならできると思うの」
 赤の守護神が司るのは、空間と炎または冷気。
 空間を操れる赤のシャーレならば多分―――――
「逢うことはできなくても、せめて会うことができれば、何かが変わるかもしれないわ」
 サイアの呟きに、ラークも賛同する。
「そうだよな。会うことができれば、もしかして……」
「は、はあ…?」
 イマイチ状況がわかっていないルナは、 二人の会話に曖昧[あいまい]に応えることしかできなかった。
(世界って何なのよ…?)
 そんな疑問を残しつつ、その日は眠りについた。
 ルナにあてがわれたふかふかの布団[ふとん]は、肌にやさしくて気持ち良かった。 それにそこからは、おひさまとハーブの、ふんわりとしたいい匂いがしていた。



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