(どうなってるのよ? 一体…)
 自分の身に起こった事が理解できなくて、キルは呆然[ぼうぜん]としていた。
 瞬[まばた]き一つする前までは、部屋の中にいたのだ。
 黒の国との国境に近い街、緑の国のファウリー。
 大通りを抜けた少し先の路地。古びた二階建ての建物。その二階にいたはずなのだ。
 なのに今、キルとシーナは外、煉瓦[れんが]の敷[し]かれた路地に立っていた。 目の前にあるのは、自分たちが暮らしていた家に良く似た、けれどずっと新しい建物。
 二階の窓枠の模様でさえ、こんなにも似ている。
 呆然とするキルの手には、袋がしっかりとつかまれている。それが唯一、 今までのことが幻でない証拠に思えた。
「何が、起こったの?」
 かすれたような声に振り向くと、そこにはやはり呆然とした様子のシーナが立っていた。
「私たち、ファウリーに居たの、よね?」
 服のすそをつかみ、不安げな表情で訊[たず]ねてくる。
 キルはどう応えてよいのかわからず、妹の顔を見て、ただ浅く頷[うなず]いた。
(そうよ。確かにファウリーに居たのよ)
 ここしばらく滞在しているのだ。それは、間違いない。
 けれど…
(ここは、何処[どこ]?)
 似てはいるのだ、ファウリーに。けれど、あそことは絶対的に何かが違う。
 何もわからなくて、ぐちゃぐちゃになった頭を整理してみる。
 起きて、出かけて、帰ってきて。
 それはいつもと変わらない。けれど、帰ってきて早々耳にした声は。

『「白の涙を探してて、ここにあるはずなんですけど」ってでも言うの?』

 聞こえた瞬間、音を立てて血の気が引いた気がした。そう言ったのは、強い光を宿した、 深緑の瞳の女の子。

『「白の涙」を返して』

 告げられた言葉。
 確信を持ったかのようなそれは、否定しても揺らぐ事はなく。
 嵌[は]められたと知ったのは、それを自身で手にした時。
 今も手にある、世界のための神器のひとつ。
(で、あたしはシーナと逃げようとして…)
 シーナの手を取った事は覚えている。けれど、その次の瞬間には、二人はここにいたのだ。
 あの子供たちが、何かの魔法を使ったのだろうか? …けれど、そんな気配はなかった気がする。 しかし…
「キル?」
 名を呼ばれ、思考にふけっていたキルは、はっと顔を上げた。
 心配そうな表情。気遣[きづか]うその様子に、逆に「守らなくては」との想いが生まれる。
「シーナ、とりあえずここから離れよう。またあの子たちが来るかもしれない」
 そう言ってキルはシーナの手を取った。
 歩き出そうとするも、予想に反してシーナは動こうとしなかった。
「シーナ?」
「キル、教えて」
 細い路地の真ん中で、まっすぐにキルを見据えてシーナは問うた。
「『白の涙』ってあの女の子は言ってたわよね。『白の涙』って、 なくなってる白の国の神器でしょう? …『それ』は『白の涙』なの? キルが持ってるのって、 キル様が私に下さったものよね? どうして―――――」
「シーナ」
 低い声でキルはシーナの問いを遮[さえぎ]った。
「―――後で、全部話すから。お願い、今はここから離れないと」
 舞台に立つ前のようなキルの真剣な表情に、シーナは強く言えず、 引っかかりを覚えたままそこを離れた。







 陽射しが少しきつい。
 道の脇に生えた草が、軽装の足をくすぐる。
 時折[ときおり]荷馬車の走る田舎道は、他の街へ向かう道よりもほのぼのとしている。
 見上げれば晴れた空。道はまっすぐなものの緩い坂になっているらしく、遠くで地面が切れていた。
「ちょっと休む?」
 振り返り問うキルの声に、シーナはこくこくと頷[うなず]いた。
 なだらかな丘の上で枝葉を伸ばす、大きな木の下に二人は腰を下ろした。
 農家のおばさんに頼み込んでもらった古い水筒[すいとう]に入れた水をこくりと飲む。
 荷物を全く持っていない二人だが、二人で旅するようになってからそうなったのは、 別にこれが初めてではない。ごく身近に身に付けていたものを除いて、 そっくり荷物を盗られたこともある。
 今回の状態は、それに近かった。いつもなら、 その町か村で少し路銀をためてから別の地へと移るのだが、今回キルは、それを嫌がった。
 一刻も早くここから離れたいと、とりあえず一番近い村まで移動する事になったのだ。
 聞いたところ、そこまでは徒歩で半日かかるということだった。半日で行けるのなら、 とシーナも承諾したのだ。
「こんなに歩いたのって久々だから、ちょっと疲れちゃったわ」
 はぁ、と息を吐いて、シーナはそうこぼした。
 ちらりと横を見ると、渡った水筒にキルが黙[だま]って口をつけていた。
 視線を高く上げると、空には雲が浮かび、陽射しも弱まって、 心なしか影が薄くなったような気がした。
「ねぇ、キル」
「ん?」
 シーナは視線を足元に落とし、ついで双子の姉にその先を向けた。
「教えてくれる? さっきの事。『それ』が、何なのか」
 ひた、と注がれる視線に堪[た]えきれなくなって、キルは顔を背[そむ]けた。
 ぽつりと事実のみを述べる。
「キル様は、これが白の国の神器、『白の涙』だと言っていたわ」
「本当に?」
 視線を外したまま、浅く頷く。
「キル様が亡くなる前に、あたしに話してくれたから」
 まだキルがカペラだった頃、カペラだけに話してくれたのだ。
 もし、自分がいなくなっても、あの白い珠だけは手放してはならないと。あれは白の神器で、 あれが失[な]くなってしまえば、シーナが生きられなくなるから、と。
「…じゃあ」
 淡々と話すキルに、シーナは小さく声を出した。
「私が今、生きていられるのは、白の神器があるから、なの?」
 心が、理解するなと叫ぶ。知るなと警鐘[けいしょう]を鳴らす。
「そう、キル様は言ってたわ」
 それでもシーナに導かれた答えは、呟いた声を掠[かす]れさせた。
「じゃあ―――――」
(私は、世界の滅びと引き換えに生きている…の?)
 すべての命の消滅と引き換えに……
 シーナの中ではまさかという思いと、それを認める心がぐちゃぐちゃと混ざり合っていた。
(私は、私は…)
「見つけたわっ !!」
 大きな声に視線をめぐらすと、黄土色の髪を風になびかせた少女と、 大きな太刀を持つ青年が丘を駆け上ってくるのが見えた。
 白の神器を探していると言っていた者たち。
 ……世界の滅びを止めるために。
 キルはそれを目にすると、ちっと舌打ちをして立ち上がった。
 白の神器を取られまいと身構える。
 シーナもつられてふらりと立ち上がる。
「まさか、時を飛ぶ力があるなんて思わなかったけど。さぁ、『白の涙』を返して。わかってるの?  世界が滅ぶって事は、あなたたちも死ぬって事なのよ !?」
 ルナの強い声に、シーナの表情が一瞬揺らいだ。
 そのまま地面へと視線を落とす。対照的に、キルはルナをキッと睨[にら]んだ。
 瞳に力がこもる。
「世界が滅んだって、絶対渡さないわ。行くわよシーナ」
 俯[うつむ]いたままのシーナの頭の中には、多くのものが飛び交っていた。
(世界が滅べば私たちも死ぬ? 私も死ぬ? キルも死ぬ? ロシャーニアさんも死ぬ?  セティクートさんも死ぬ? フェン・タリサさんも死ぬ?)
 知り合いや、お世話になった人々が、町が、村が、風景がぐるぐる回る。
「…シーナ?」
 訝[いぶか]しげに呼びかけたキルに、シーナは泣き笑いのような表情を見せた。
「地縛[ディア・クレイン]」
「なっ !!」
 シーナは地縛の魔法を放った。
 ルナとラークにではなく、自分の双子の姉に向けて。
「シーナ !? どういうつもり !?」
 キルはシーナの行動を信じられずに叫んだ。シーナが、 自分の双子の妹が何故[なぜ]こんなことをするのか、全く理解できなかった。
「ごめんね、キル。私には、耐えられないわ」
 今にも泣きそうな表情。
「死ぬのは怖いけど。でもねキル、人はね、いつか死ぬものなの。 それが早いか遅いかはそれぞれだけど。もちろん、キル様には感謝しているわ。 私を救ってくれたもの。……でもね、このまま私が生きるってことは、 世界を背負うっていうことでしょう? 私は、私にはそれは、耐えられないわ。 キルを巻き込んでまで生きられない。それに、過ちはどこまでいっても過ちでしかないけれど、 正すことができるのよ」
 言いながら、シーナはキルの手から白の神器を奪い取った。
「シーナっっ !?」
 シーナはごめんね、と呟くと、成り行きを見守っていたルナの下へと歩み寄った。
 すっと白の神器を差し出す。
「あなたが本当に白のシャーレなのかはわからないけれど、 世界の滅びを止めようとしている事だけは本当だとわかるわ。だから、これを……」
「シーナっっ !!」
 キルが何とか動こうともがくが、地縛は強く、キルを覆[おお]っている。
 ルナは頷いてそれを受け取った。
 シーナは力が抜けたように弱々しく微笑んだ。
 ルナがそっと包みを開くと、中には不思議な白い珠が入っていた。
 材質もわからない、完璧な球形のそれは、淡くやわらかな光を放っていた。

 ……ドクンッ ドクンッッ

 ルナの鼓動[こどう]が大きく響いた。
(あ…この感じ。すごい。あたしと共鳴してる。これが、『白の涙』)
 世界を遠く近く感じる。ルナの意識が大きく広がる。
「それ、本物か?」
 ルナはラークの方を向いた。
「うん。わかる。この感じ。これが、『白の涙』」
 心が何かに満たされる。
「 !?」
 突然、シーナがその場に倒れ込んだ。
「シーナっ !?」
「大丈夫か?」
 慌ててラークが支える。
 と、どこかでピシッという小さな音がした。
(え……?)

 パリィィンッッ

 不意にガラスの割れるような綺麗[きれい]な音がして、『白の涙』が砕[くだ]けた。
 キラキラと破片が飛び散る。
 同時にキルの地縛が解けた。
「なっ… !?」
「『白の涙』が割れた !?」
 呆然とする二人に構わず、キルはシーナに駆け寄った。呼んでみても返事がない。
 心臓に耳を当てても、鼓動は聴こえなかった。
「シーナ、シーナ、シーナッッ !!」
 揺さぶるが返事は返らない。
 やがてそれを止め俯いたキルは、そのまま肩を震わせた。
「ふふふふふふふっっ。あーっははははは。これで世界は滅ぶってわけだ。ザマーミロって感じよ。 あーっはっはっはっはっは……」
 青い瞳と灰色の空から、ぽつり、と光る雫が落ちた。
 キルの哀しい笑い声だけが、辺りに響いていた。



BACK   NEXT

TOP   CONTENTS   CLOSE   NOVELS   MAISETSU