幾重[いくえ]にも刻まれた轍[わだち]。その上を迷うことなく踏みつけて、 獣車[じゅうしゃ]は木々の下、薄暗い道を進んで行く。
 どこの街とも違う、少し水気を含んだ空気は、この森の深さと水の豊富さを思わせた。
 それは、首都ペリオルムより南、南の砂漠よりも北西に位置する所。 生い茂った森の中、薄暗い道を進むうち、唐突[とうとつ]に姿を現す。
 大きな湖の辺[ほとり]に建つその外壁は純白。
 その姿は流石[さすが]に「白の神殿」と呼ばれるだけのことはあるかもしれない。
 ルナは思って、湖と共に現れた大きな建物を見つめた。
 青い森の中で、その建物だけが際立って光を放っていた。


 獣車から降りると、シセンは懐かしそうに門の奥に見える建物を見上げた。
 ここにシセンが生身で戻って来るのは、二十年ぶりぐらいになるだろうか。
 変わらない入り口と、少し変わった周りの木々。 それでもこの雰囲気と匂いは記憶にあるそのままで、 シセンは我知らず感嘆[かんたん]のため息をこぼしていた。
 ルナとラーク、そしてシセンは白の神殿へとやって来ていた。
 …白の守護神を呼び出すために。
 あの後、シセンが守護神降臨の魔法がどれだけ危険な物であるか説明したが、 ルナはそれでもゆずらなかった。
 白の神器が元に戻らなければ、いずれ世界は滅んでしまう。それなら、 少しでも可能性のあるものはやってみた方がいい、と。
 それならば、と呼び出すのに選ばれたのが、この白の神殿であった。


 門が開かれると、そこにはひとりの男が立っていた。
 黒い髪、不精髭[ぶしょうひげ]、旅慣れた格好、独特の雰囲気…
 不敵に笑んで、こちらを出迎える。
「頭[かしら]っっ !?」
 ルナはそう叫んで男に走り寄った。
 そのまま勢い良く飛びつく。
 男は両手を広げてルナを受け止めた。そのままくるりと一回転して勢いを流す。
「よう、ルナ。久しぶりだな。元気だったか?」
「うん、元気。頭も元気そうね」
 ルナの嬉[うれ]しさを抑えきれない笑顔に、南の盗賊の頭は口元を緩[ゆる]めた。
「けど、どうして頭がここにいるの?」
「連絡があったんでな。ルナが戻って来てるらしいって」
 ジンはそう言うと、シセンに目を移した。
 シセンはそれを受け、そっと会釈[えしゃく]を返した。生身で二人が会うのは、 これが初めてのことになる。
「さ、クゥイン・テルナ、中へ」
 シセンに促され、門をくぐった瞬間、ルナは『あの感覚』に襲[おそ]われた。
 意識だけが浮き上がるような、世界がぶれる、不思議な感覚。
「ルナ?」
 ジンに呼ばれ、するりと意識が戻る。
「共鳴が…。シセン様、どうして共鳴が?」
 問われてシセンは歩を止めた。
「共鳴は、その者がシャーレであるという印のようなものなの。ごめんなさい。 どうして起こるのかは、私にもわからないの」
 シセンはそう言って神殿を見上げた。
 シセンにとっては慣れ親しんだ建物。
 すべての白のシャーレと共鳴を起こす、神器の入れ物。
 風が、さやさやと木々を揺らし、その向こうで太陽がやさしい光を放っていた。



 円形のホール。タイルの敷き詰められた床は、所々に文字が刻まれている。 けれどそれが全体で祈りの言葉を示すということは、 この地を頻繁[ひんぱん]に訪れる者であっても意外と知らないことが多い。
 白い、モルタルを塗りつけたような跡の残る壁。その跡自体が模様となって、壁を覆う。
 ドーム型の天井へと向かう、高い場所にとられた変わった形の窓は、 その向こうに青の空を映す。
 簡素な、飾り気のないホールは、それでもかえって清浄な空間を生み出していた。
 入った扉の真向かいにある祭壇[さいだん]。
 ルナはラークたちの見守る中、その祭壇の前に立っていた。
 白い巫女装束に身を包んではいるが、その首からはあのペンダントが下がっている。
 ひとつにまとめていた黄土色の髪は背中に流し、窓からの光を弾[はじ]いていた。
 祭壇の奥には女神の像が立っていたが、天に向かうその手の上には何もなく、ただ、 ぽっかりとあいた空間があるだけだった。
 そこに在るはずのものの破片は、今はルナの手の中にある。
 その感覚を確かめて、ルナは目の前に敷かれた魔法陣を見つめた。
 特殊な液体で描かれたそれは、前代のシャーレであるシセン自らが敷いたものだ。
 ルナにも、それが大きな力と願いが込められたものだとわかる。
 ピンと張り詰めた空気の中、ルナはゆっくりと深呼吸をした。
「いきます」
 覚悟を決めて、瞳を閉じる。
「―――――すべての風、すべての回復を司りし我が守護神、白き神パーシカリアよ」
 呪文を唱えながら、空中に聖魔文字を描いていく。
「我は今、心より願う。白き神の降り立ちて、我が前に姿を示されん事を」
 魔法陣が呼応して、淡い光を放ち出す。
「我は祈る。我のすべてをかけて。我は器なり。『世界』の器なり。白き神の器なり。 我がクゥイン・テルナの名の下に、白き神の降臨を願う」
 聖魔文字が完成する。
「白神降臨[ルイン・パーシカリア]、リベラ・ズィオン !!」
 ルナが詞[ことば]と解放のコトバを唱えると同時に、 魔法陣から目が眩[くら]む程の光が放たれ、白い風が吹きしいた。





 風が収まり、ルナがそっと目を開けると、そこは何事もなかったかのように静まり返っていた。
(あたし、生きてる……の?)
 恐る恐る、手を動かしてみる。
 確かに皮膚[ひふ]の感触があった。
(そうよ、白の守護神は?)
 ルナが魔法陣に目を向けると、そこには一匹の小動物がちょこんとのっかっていた。
 白銀色のつややかな毛並み。兎[うさぎ]ぐらいの大きさで、 全体的には耳を少しばかり長くした猫のような感じ。ふさふさの尻尾[しっぽ]。 くりっとした銀色の瞳。背中には、細かく震える透明な羽がついている。
(失敗……した?)
 自分が喚[よ]んだのは世界を司る一体の白き神。
 こんな小動物ではないはずである。
 その小動物は、ルナの目の前で二、三度瞬[まばた]きをすると、周りを見渡した。
「我を喚んだのは誰か?」
 凛[りん]とした声がホールに響いた。
(え……?)
 その声は、この小動物から発せられているようだった。
「あ、あたしだけど……」
 ルナが進み出ると、小動物はルナを見上げた。
「ほぅ、風の一族の娘か。其方[そなた]、名は?」
「あ、あたしはクゥイン・テルナ」
 問われるままに、ルナは名を告げた。
 声を発した瞬間に、小動物は気圧されるほどの空気を纏[まと]ったのだ。
「『南の果ての風』か。良い名をもらったな」
 そう言って目を細める。
「我はパーシカリア。すべての風、すべての回復を司りし者」
「白の、守護神?」
 聴き慣れた声に振り向くと、いつの間にかルナの隣にはラークの姿があった。
 いかにも、と小動物は頷[うなず]いた。
「しかし、この姿では少々話しづらいな」
 言うなり、姿が歪[ゆが]む。
(え…?)
 それは瞬[まばた]きをする程の時間のこと。
 ピンとした横に長い耳と、長い白銀色のストレートの髪。それに、変わらない銀色の瞳。 白いゆったりとした裾[すそ]の長い服。
 魔法陣の上には小動物の代わりに、二十歳前くらいの美しい女性が現れていた。
 その面影[おもかげ]は、どこか『世界』に似ている。
「これで良かろう。さて、クゥイン・テルナ。我を喚び出した理由を聞かせてもらおうか」
 そう言って、女性は強い瞳でルナを見つめた。



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