青く晴れ渡る空。ぎらり照りつける太陽。強い潮の匂いと、まとわりつくような空気。 見上げる蒼のキャンバスには、隅[すみ]でたなびく白い綿雲[わたぐも]。
 『世界は、ひとつの大きな大陸である』
 その言葉を遺[のこ]したのは誰だったか。遥か昔から云[い]われている、この世界の在り様。
 実際は、一つの大陸とそれを囲むようにしてある大小の島々で、 この世界の『陸』と呼ばれる部分は成っている。周りには何もなく、ただ青い海が広がるばかり。
 その大陸は六つの国に分かれており、大陸の一番南に位置するのが、ここ「白の国」であった。
 早朝からクーシェを走らせてきた二人は、昼前にはどうにか南の果てへ着くことができた。 岩砂漠を走るうち砂の比率が増え、砂砂漠へと辺りは変わった。そしてそのまま景色は変わらず、 『南の果て』―――海岸線はゆるやかな砂浜となっていた。その向こうには、 果てのない海が広がっている。浜辺には、波が寄せては返し、永遠の営みを続けていた。
 二人は波のかからない所に日よけを立て、影に休んで陽が傾くのを待った。昼間は温度が高すぎて、 歩き回ることなどできない。
「ねえ、ラーク。訊[き]きたいことがあるんだけど」
 軽く食事を取り昼寝に向かうラークに、ルナは思い切って尋ねた。
「何を?」
「…あの、さ」
 一呼吸置き、顔を上げ、ラークの目を見て問う。
「『白の涙』って、何? 世界の滅びって?」
 昨日、なかなか寝つけなかった原因の言葉。初めて聞いた言葉。
 今までそんな話は、ジンの口から出たことがなかった。 他の仲間―――シーラからでさえ、そんな話は聞いたことがない。
「? ひょっとして、知らないのか?」
 あっけにとられるラークに、ルナはただこくんと頷[うなず]いた。 真剣なその様子に、ラークは起き上がると、表情を緩めて問うた。
「世界が、六つの国からできてるのは知ってるな?」
「知ってる。一番北に赤の国があって、その南に青の国。青の国の東側に黄の国があって、 南西には黒の国が、南には緑の国がある。緑の国の南がここ、白の国なんでしょう?」
 教えてもらった時に地面に描かれていた大陸の地図を思い出しながら言うと、 よく知ってるな、と感心して言われた。
「じゃあ、それぞれの国の、神器[しんき]は?」
「知らない。何? それ」
 きょとりとして問うルナに、ラークは立ち上がり、近くにあった枝を拾って ルナの隣[となり]に戻ってきた。
「それぞれの国には、守護神がいるんだ」
 言いながらラークは、拾った枝で地面に聖魔文字[せいまもじ]と呼ばれる 象徴文字を描いていった。


 世界にある赤・青・黄・黒・緑・白の六つの国には、それぞれ守護神が存在する。
 六体の守護神は、それぞれ異なる力を司っている。
 赤の守護神は『空間と炎または冷気』。
 青の守護神は『生命と水』。
 黄の守護神は『言葉と光』。
 黒の守護神は『真偽と闇』。
 緑の守護神は『時間と大地』。
 白の守護神は『回復と風』。
 神器とは、それぞれの守護神の力が宿っている物をいう。
 『白の涙』は白の国の神器である。
 世界は六体の守護神によって創られた。
 けれど、世界のバランスを保ち、今ある世界を維持するには、それらの神器を『在るべき所』 ―――つまり、それぞれの国の神殿に祭らなければならない。
 神器が在るべき所にあってこそ、世界のバランスは保たれるのである。


 ラークの説明に、ルナはふぅん、と唸[うな]った。
「全然知らなかった」
 素直に感想を告げるルナに、けど、とラークは続ける。
「今、白の涙は神殿にはない。十八年前に、何者かによって盗まれた」
「え? どうして?」
「言っただろ? 神器には守護神の力が宿ってる。『それが目当てだったんじゃないか』って 言われてる。せめてシャーレが神殿にいれば、どうにかなったかもしれなかったんだけどな」
「シャーレ?」
 首を傾げるルナに、ラークは苦笑して答えた。
「シャーレは、世界と同調できる者のこと。各国に一人か二人しかいないって言われてる。 だいたいは、神殿に仕えてるんだけどな…」
「居なかった?」
 ああ、とラークは頷いた。
「白の国王に、幽閉されてたんだ。その人は、未だに城に閉じ込められてる」
「白の国王は愚王[ぐおう]だから。今は、病気で倒れてるらしいけど」
 吐き捨てるようにルナは言った。込められた憤りに気づかないふりをして、ラークは言葉を続ける。 王に関しては、白の民でない自分がどうこう言えることではないのだ。
「シャーレの力は、白の涙が盗まれてすぐ受け継がれたって聞くから、 今の白のシャーレは十八歳だな。そのシャーレも行方不明らしい」
 シャーレの継承は極秘の情報だと、声を小さくしてつけ加える。
「どうして十八だってわかるの?」
 ルナは不思議そうに尋ねた。
「シャーレの力を受け継ぐことができるのは、生まれてから一週間以内の赤子と決まっているからな」
「ふぅん。そうなんだ」
 ルナは、果てのない海を見つめた。色を濃くしていく海面は太陽を映して、キラキラと光っていた。
「白の涙が盗まれたことによって、バランスが崩れ、世界は滅びへと進み始めた。 ゆっくりと、でも確実に」
「え……」
 隣で発せられた言葉に、ルナははっと顔を向けた。けれどその横顔からは、 何も読み取ることができない。
「世界が滅びへの道を進み始めたってことは、すぐ世界中に広まった。一時期、 滅びの不安からパニックになるかと思われたけど、かろうじてそれは免[まぬが]れたらしい」
「…どうして?」
「黒のシャーレの御告げが降りたからな。『時を待て』って」
「それって、諦めて滅びの時を待てって事?」
「いいや。時が来れば滅びから逃れられるから、それまで待てって事らしい。 その御告げが降りたおかげて、パニックは免れた。けど、俺はただ待ってるだけなんて嫌だ。 俺がしたことが無駄だとしても、何かしないと気が済まない。世界の滅びを止めるには、 白の神器…つまり『白の涙』を在るべき所―――白の神殿に還すしかないしな」
「……じゃあ、今も世界は滅びへ向かっているの?」
 今、この瞬間も。
「そう、なるな」
「それって、大変なことなんじゃないの?」
「…だから、探してる」
 海風が、サァッと通り過ぎて行った。
 波打ち際[ぎわ]では、変わらず波が寄せては返し、遠い遠い昔からの営みを続けている。
「ねえ、あたし、あたしもついて行きたい」
「え?」
「あたしも、手伝いたい。世界が滅びに向かってるのに、知らないふりしてられない。お願い。 あたしも連れてって」
 真剣なルナの瞳にラークはたじろいだ。
「おい。わかってんのか? 俺が行こうとしてる所には、ヴァーニジアより、 もっと強い奴がいるんだぞ?」
「大丈夫。あたし、風魔法使えるもん」
「……………え?……………」
 自身ありげに笑むルナに、ラークはあっけにとられた。
「風魔法…って、お前、魔法使いなのか?」
 呆然[ぼうぜん]とするラークに、ルナは首を左右に振った。
「違う。あたしは盗賊。でも、あたし捨て子だったから、 他のみんなとは違う力があるんだって言われた。…だから、魔法が使える」
「……ダメだ」
「どうして?」
(魔法が使えるのに…)
 魔法は、唱[とな]えれば誰にでも使えるという代物ではない。 この大陸でいう魔法は、世界に力を借りる『依存魔法』なので、 生まれつきの素質がなければ使うことはできない。
 魔法が使える者は、あまり多くはない。それゆえ、旅には重宝がられるものなのだが。
 沈んだ口調でラークは言った。
「お前は多分、足手まといになる。俺一人でも危ない時があったのに、お前がいたら、 きっと守りきれない。魔法が使えたってたいしたことない……なッッ !!!」
 いきなりの豹変[ひょうへん]にルナがつられて振り向くと、灼熱の光の中、 一頭の獣がこちらを見据えていた。
 砂色の乾いた肌。のぞく牙。
低い唸[うな]り声を上げる。
「なっ……カッセプト !? 気をつけて、コイツ、ヴァーニジアの比じゃないわよっ!!」
 ラークは日除けから出ると同時に得物を握[にぎ]った。
「我らを守護せし白き風よ」
「ルナ?」
(何を…)
 そう思い、視界の隅[すみ]に姿を映した途端[とたん]、ラークはルナに魅入ってしまった。
 ルナの周りを、風が取り巻いていた。
(―――――魔法 !?)
「その身をもって刃[やいば]と為[な]し、我の行く手を阻[はば]みし者を、 白き刃で貫[つらぬ]け」
 響き渡るのはルナの声。呪文を唱えながら、空中に何かの印を描く。
(あれは…聖魔文字?)
 カッセプトが、咆哮[ほうこう]する。
「風刃[ヴァグ・ルーナ] !!」
 ルナが叫ぶと同時に、取り巻いていた風たちが、一斉[いっせい]にカッセプトへと向かった。
 凄[すさ]まじい空気の流れ。一瞬にして、カッセプトは切り刻まれていた。
 砂の上にぐったりと横たわる。
 胸の辺りには大きな空洞[くうどう]ができていた。息は既[すで]にない。
「すげぇ、一瞬で…」
 ラークは唖然[あぜん]としていた。今まで何度か魔法の発動に立ち会ったことはあるが、 これほどの魔法を見たのは初めてだった。
「たいしたことない?」
「いや、えーと」
 いつの間にか隣に来たルナに、ラークは言葉を詰まらせた。
「決まりね」
 勝ち誇って言うルナに、ラークは戸惑[とまど]った。
「頭[かしら]は? 頭が許さないんじゃないか?」
「じゃあ、頭に許してもらえたらいいのね」
 ルナはにっこりしてそう言った。邪気のない笑み。
「……いいだろう」
 それに負けてラークは渋々[しぶしぶ]承諾[しょうだく]した。
 ふふんと笑むルナの横で、海は変わらず光を反射していた。



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